嵐の前の静けさ・・・だろうか?
桜桃忌オフ会も私が幹事をするようになって3回目。「毎年ある」という安心感からか、みな、父の日にかこつけて日頃の家族サービスを優先したようで(笑)、下記のようなささやかな集いになった。
「オフ会より、親が大事」かぁ・・・(T_T) (そりゃそうだ。)
「尾崎豊のファン(が集う姿)は、桜桃忌の光景に似ている!」
明石氏の第一声。
尾崎豊の命日になると、ゆかりの場所にファンが集い、ギターを持って歌っているとの事。
桜桃忌の雰囲気は、奥野健男が言うところによると「話をするでもなく、ノートや本を持ってたたずんでいる」そうだ。
まぁ、最近は皆さんご存知の通り、ネットという『しかるべき通信手段』が出来たんで、掲示板でやりとりをした人と対面するというケースが多々あるが、「オフ会を企画する」となるとかなり敷居が高いというか、「慎重さん」なんでしょうね。(見習わなくっちゃ)
そこで、気になる太宰と尾崎の共通点が明らかに。。。
1、二人称の呼びかけ多用。(強者にNoを唱えた)
2、表現が分かりやすい
3、波乱万丈の人生
4、外見的にカッコイイ
5、死の真相、未だ謎(ここら辺の事情にも共通点があったりする)
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今も太宰作品は若い世代に読み継がれる。
尾崎を知らない世代にも・・・・。
尾崎と太宰の共通点を参加者に熱く語る明石氏。 |
お話を聴き、自分が若かりし頃に思いがめぐった。
1985.4.1に「シェリー」という尾崎の曲がオリコンチャート第一位になった。昭和で言うと58年、おねっぱは小学校高学年であったが、当時は「校内暴力」が社会問題になっており、お年頃の生徒の18.2%が非行に走っていたとの事(警察白書S58)。通学路を歩くと、中学校の無造作に割られたガラス窓が見え、子ども心に恐怖を覚えたものだ。暴走族を模した「なめんなよ」という猫のキャラクターがはやったのも、ちょうどこの頃である。今はおとなしくなった?横浜銀蝿は少し前だったかな?
彼らは、尾崎を大人と戦う「自分たちの代弁者」として捉えていたのだろう。実際、中学〜高校の頃はミーハーな子達はOZAKIの話でもちきりだった。
大人になってから、尾崎を聴きはじめ、太宰を読み始めたワタシ。いったい何と戦ってるのだろう・・・・(笑)
2次会は、おなじみのEndoさん加わり、太宰もありつつ、結構まじめな話も。。。
あぁ、料理が余ってもったいない。。。^^;と思いながら会場を後にしたパーシーでした。
参加者一覧(ネット上での表記に準ずる。敬称略) のべ4名の方々にご参加頂きました。
(1次会のみ)上杉鈴、(2次会のみ)Endo
(全行程参加)明石矛先、どろぽん、おねむりパーシー