桜桃忌の歴史(お気楽篇)

1.太宰を悼む〜彼の周りの人物を中心に〜(昭和20年〜30年代)

 「桜桃忌」の由来は、彼の作品の「桜桃」にちなんだもので、同郷の作家今官一が命名。第一回目は死の翌年で、直接親交のあった井伏鱒二、佐藤春夫、壇一雄、野原一夫といったそうそうたるメンバーが遺族を招いて、桜桃をつまみながら歓談するといった「法事」であった。亀井勝一郎が中心となって38年まで進行役を務めたようで、途中、外部からの若い文学青年が多数を占め、初期メンバーは顔を見せなくなるが、彼は笑みを絶やさかったという。
 なお、この日が命日とお思いの方も多いだろうが、正確にいうと遺体発見の日&誕生日である。
(実際に亡くなったのは山崎富栄の日記の記述にあるように13日か、遅くても14日であろう)
 39年より太宰治賞が制定。発表と受賞者紹介がここで行われるように。。。。

2.文学ファンが殺到(昭和40年〜50年代)

 今と違って、「読書」は若者の必須アイテム。議論が昂じて、取っ組み合いなどもあったという熱い時代。主催も筑摩書房に移り、菊田義孝ら太宰の弟子が世話人会を引き継ぐ。
 しかし、太宰治賞は筑摩書房側の事情により53年(14回目)で中断。

3.世話人会メンバーの高齢化(60年〜平成4年)

 世間はバブルで浮かれていたが、太宰ゆかりの人たちもいつまでも若くない。
阿佐ヶ谷文士村の首領、井伏鱒二も平成5年に逝去。  

4.インターネットの普及でオフ会(平成10年〜)

 ちょうどこの時期、一般人のちょっと新し物好きがHP作りやネットサーフィンを始める。(パーシーもこの年オフ会デビュー)聞くところによると、今はなき元富栄下宿(中塚葬儀社)の方に嘆願して中を見せてもらった輩もいるとか。。。それを機に、オフシーズンでも実際に会おうという機運が高まり、関東地区を中心に”食事をしながら太宰談義”が行われ、一般客にインパクトを与える。(だって、資料なんかの交換してましたから)
 そうそう、この年の日経新聞の桜桃忌を報じる記事に「太宰治の墓前に手を合わせる人」としてパーシーの写真が載ってた。(フラッシュたいてたの見えたから、そんな感じがして翌日新聞を買い、発見)
 平成11年(1999年)は太宰の没後50周年&世紀末ブームの相乗作用か、20人弱の個性豊かな面々で文学散歩と飲み会(なぜかぱーしーの選んだ店)・カラオケが行われる。ほぼ、太宰系サイトの主要メンバーオールメンバーではなかっただろうか。実際に顔を合わせて、自分の中の太宰と他者の中の太宰が対峙し、考えさせられた人もいるかと思う。
 太宰治賞も筑摩書房と三鷹市の共催という形で復活。
 平成12年(2000年)は、それに比べると少々寂しくはなったものの、新しいメンバーもいた事だし、有意義な時間を過ごせた事ではないだろうか?
 平成13年(2001年)に桜桃忌オフを大規模に実施。 のべ20名の参加あり。一次会には「中央線の呪い」などの著書がある「中央線人」三善里沙子氏も参加。
 3年後の平成16年(2004年6月19日)には、文学散歩・講演とグループワーク・懇親会の三部構成で実施。のべ25人の参加。老若男女幅広い参加があった。
 1月28日 『桜桃忌の三十三年』著者の桂英澄氏、肺炎で逝去。
 平成17年(2005年6月18日土曜日) は「太宰治は若者の教祖になれるか」〜尾崎豊との関連性〜というテーマで平成16年の桜桃忌オフの講演を務めた明石矛先氏を招いて太宰は勿論、尾崎もリアルでは知らない世代と一緒に若くして逝った二人の生き方を考察した。
 平成18年(2006年)については(私は)オフ会を企画する事ができなかったが、ネットユーザーのコミュニケーションもオープンの「掲示板」から「ブログ」、そしてmixi(ミクシィ)という会員制ソーシャル・ネットワーキング・サービスに移行し、その中の「コミュニティ」で太宰が語られる事が増えてきた。
 「心中三部作」(『太宰治 七里ヶ浜心中』『太宰治 水上心中』『太宰治 武蔵野心中』:広論社)などの著書を刊行、生涯を太宰治の”実証的研究”に捧げてきた長篠康一郎氏が永遠の旅立ちをされたのは平成19年(2007年)2月16日。5年ほど前よりパーキンソン病等を患っておられたとの事。何度かお会いした事があるが、いつか来るべき「死」とも正面から向き合い、今ある生を懸命に生きようとしていた気迫がつい先日のように思い出される。
 この年のオフ会は「mixi(ミクシィ)」の太宰関連コミュニティーを中心に告知。何よりも携帯電話でもネットがだいぶ見れるようになり、mixiのメッセージやメールで連絡が取れるようになったのが年月の経過を思わせる。”ランチセッション・ザ・太宰”として、初めての試みであるが、こじんまりと昼食をとりながら太宰にかぶれた若き日を語り合う。食べた後はみたか観光ガイド協会さんのガイドにより太宰の足跡を『復習』。
(追伸)11月にとある大学の学園祭で2003年太宰治賞受賞の小林ゆり氏に出会う。文学を語る時よりも自分の生き様を語ってる時の方がノッてたと思うのは私だけ?

5.これからの展望
 来年(2009(平成21)年)は、太宰の生誕100年。三鷹・金木(五所川原市)とも賑わいが予想される。ある意味、太宰と同じ空気を吸った人たちの証言が聞ける最後のチャンスともいえるだろう。地域での催しに大いに期待しているし、連携も図っていきたい。
 また、西日本での中人数オフ会の可能性も探っていきたい。(時期をずらす。太宰治賞受賞者との交流など。)

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