(中央沿線通信改め)

片町線の呪い

片町線ってご存知ですか?

「♪牛が牽いてる片町線〜。」とラジオでネタにされていたあの(昔は)「オレンジ色」の電車が走っていた路線。 現在は愛称「学研都市線」と呼ばれる事が多い。大阪府大阪市の「京橋駅」から京都府木津川市の「木津駅」の44.8kmの区間。しかし、そこには志半ばに命を落とした人たちの人々の『念』が渦巻いているのであった。

東の中央線、西の中央線

中央線といえば東京都にあり、高円寺・中野を擁するクリエーターの街。古くは太宰治や武者小路実篤、井伏鱒二、最近では霊界に行かれた丹波哲郎、楳図かずお、山口百恵もこの沿線の住人である。ところが、鉄道自殺No.1という不名誉な記録が未だ払拭できず、JR職員や地域住民を悩ませている。自身も沿線に住み、「沿線民俗学」というジャンルを改めて世間に紹介する事になった三善里沙子氏の「中央線の呪い」を初めとする中央線関連本では、中央線の魅力に始まり、歴史的観点から見た『中央線』についても言及されている。 その本を読んだ私は事実を確認すべく何度も上京。特に太宰読者の方とは気が合い、幾度も食事をしたものである。 「これ、何かに似てない?」それが片町線である。 共通点を挙げてみると 1.円型の路線がある。(大阪環状線と山手線) 2.ターミナル駅の相似:新宿と京橋(新宿ゴールデン街⇔京橋オヤジ街、都庁⇔関西ビジネスパーク) 3.鉄道自殺が多い。(一時、中央線を抜いた事も) 電車がオレンジ。(片町線はステンレスにブルー(207系)から尼崎の事故でオレンジと紺のラインに。中央線もステンレスにオレンジラインに変わってしまい寂しい限り。) 4.古き良き(?)情緒が一部に残っている。(片町線・徳庵、野崎⇔中央線・高円寺、三鷹) 5.猫町がある(片町線・徳庵⇔中央線・西荻窪、荻窪、阿佐ヶ谷周辺) 6.乗降客が多いが、いわゆる「観光地」は極めて少ない。(要するに通勤・通学路線)

昔は野崎参り、今は通学・通勤路線

片町線(あえてここではこう呼びます)はそもそも東海林太郎の「野崎小唄」や文楽「野崎村の段」の「お染と久松の心中物語」で有名な「野崎観音」の参拝の利便を図る為に作られた。京橋はいうまでもなくオヤジ街で京阪電車との乗換駅、鉄オタにはたまらない「近畿車輛」は徳庵。他にも、沿線では楠木正行最期の戦いの地である「四条畷」、更に東側は関西文化学術研究都市として発展中である。

戦いの歴史

先に挙げた歴史でもおなじみの「四條畷の戦い」では、楠木正行らが四条畷(東大阪の四条という説もあり)で足利方の高師直軍と戦い、兵力の差も大きく、敗れて弟の正時と刺し違えて最期を遂げた地でもある。
大坂冬の陣では、最大の野戦が「鴫野」で繰り広げられた。
時代は昭和になっても歴史は繰り返し、ポツダム宣言受諾1日前の昭和20年8月14日、B29が大阪砲兵工廠(大阪城)を爆撃、その流れ弾が京橋駅の片町線ホームを直撃、約800名の死者を出した。
(この話は小学校の先生から聞いた。当時、女学校に通っていたという古老に聞くと、学校自体も郊外に疎開し、電車に乗っていても空襲警報は日常茶飯事であったらしい。)

続く


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