日本映画の幻

森雅之から役所公司へ
 

 本人の思惑を超えて時代から呼び求められ、半ば強制的に何らかの典型に祭り上げられ、賞味期限が過ぎてしまうと中古車さながらにスクラップされ殿堂入りする事で、セピア色の静止画像と化してゆくものがある。あるいは同様のイメージを継承するものにその典型性を譲り渡す事で、役から降りる訳だ。
 たとえば、極めて毛並みの良いサラブレット、父に作家有島武郎を持ち、京大哲学科を中退して舞台俳優となった森雅之(1911〜1973)は、同時代にあまりにもキャラクターのかぶった伝説的人物を持ってしまったがために、ある意味でそのダミーとしての栄光の頂点を味到した後、時代の変化に応じて凋落していった象徴的な俳優である。
 舞台俳優志望であった彼は劇団テアトル・コメディを皮切りに文学座、東京芸術劇場などを遍歴するが、1942年に島津保次郎監督作品「母の地図」で映画デビューを果たし、戦後には「安城家の舞踏会」(47年)で没落貴族の長男を演じてデカダンスの匂いをまき散らし、「わが生涯のかがやける日」(48年)で麻薬中毒に苦しむ元将校のニヒリズムを見事に演じきって、人気は急上昇した。映画界はまさにある伝説的人物を映像化する必要に迫られていた。1947年の「斜陽」という流行語にもなった大ベストセラーを生み出した時代の寵児はその名声に反して、一庶民としての生活をあくまでも堅持せんとして、ジャーナリズムの執拗な追跡を雲隠れするなどして逃走しつづけたのである。その男は役者になりたいというナルシズムを胸中に秘めつつも、晴れがましい席は一切苦手の含羞の人であったために、世間的にも今日における週刊誌的なのぞき見的関心を別な方向にふり向けておく必要が生じていたのだ。流行作家の新聞連載小説はまだ完結する前から映画化する事が決定され、ユーモアあふれる喜劇映画「グッド・バイ」は小説連載と同時に撮影が進められていたという。
 そのプレイボーイの主人公の役には、今をときめく森雅之が抜擢され、相手役のものすごい美女の役には原作者も大ファンで口もきけぬ程に赤面したという人気女優高峰秀子が選ばれた。まさに、その当時、1948年は森雅之にとっての───わが人生のかがやける日───だった訳である。と、いうのも、この「グッド・バイ」は原作が最後まで完成せず、後半部分は映画会社の脚本家によって執筆されるというハプニングによって、笑えない喜劇というミステイクを犯してしまったからである。なぜ、原作が未完に終わってしまい、偽物の「グッド・バイ」を完成、劇場公開せねばならなくなってしまったのか?その原作者であり伝説的人物であった男が戦争未亡人と心中自殺してしてしまったのだ。何という皮肉であろうか、「グッド・バイ」の主演男優森雅之の父、有島武郎は大正時代にあって、女性雑誌編集記者と軽井沢で不倫の末、心中して果てていたのである。こうなってしまっては、森はもう、そのイメージを逃れられない、心中した男の影を背負い、日本映画黄金時代の追い風を受けて、彼はいよいよ「典型」としてファンを裏切ることの出来ない立場へと追い詰められてゆくことになっていくのは、語るまでもあるまい。

 その後の森雅之の略歴を簡単に追って見よう。
世界的名作として後世にまで語り継がれるであろう「羅生門」(50年)では、妻を悪党、三船敏郎に寝取られる弱い武士(源実朝を思わせるような)を演じ、「雨月物語」(53年)ではお化けの京マチ子に恋慕して滅びる情けない男、林芙美子原作の恋愛映画の決定版「浮雲」(55年)では、再び高峰秀子とやるせない男女の情愛を演じて心中した作家を彷彿とさせて鬼気迫るものがあり、そして黒沢明の超大作「白痴」(51年)では原節子をめぐって永遠のライバル三船敏郎と極限的三角関係を演じきって、もう森雅之自身が「典型」の彼方へ行ってしまう。
 出がらしみたいになった森雅之は晩年には演劇に帰って、時として新派や芸術座の大衆芝居の舞台にも立っていたという。
 時代は冷酷なまでに過去のスターを廃棄処分にしてしまう。焼け跡が復興へと駆け登るのを体現するかの如きスター三船敏郎は日本人俳優としておよそ考えられる限りの栄光と名声を欲しいままにして「世界のミフネ」と呼ばれる地位についた。三船以後にも続々と太陽のごときスター達、石原裕次郎が、高倉健が、加山雄三が、我が世の春を謳歌していたのを、まだ記憶している人も大勢いることだろう。しかし、また、時代は一度熱烈に愛された人物を、「典型」にまで高められた人物を忘れはしない。
 73年に森雅之がいなくなった頃より、映画界は(その当時、映画はすでに斜陽産業と呼ばれていた)森をリニューアルしたキャラクター作りを着々と準備していた。あるいは60年代には歌謡界における船木一夫がその役割を担っていただろう。船木もまた2度に及ぶ自殺未遂で世間を騒がせていた。

 ここで思い出して欲しいのは、あの伝説的人物、森雅之をそのダミーともしたキャラクターの御本尊である。その御本尊の没後50周年までに仕掛けられた、映画再生の立役者とも言うべき俳優がいることを、もうお気づきになった人もいるだろう。その風貌が酷似している事から抜擢され、現在より数年前にTVドラマとして製作された「グッド・バイ」で主役を演じた役所公司は、それを契機としてあらかじめシナリオに定められていたかのように大ブレイクして、続々と大役を射止め、「Shall we dance?」「失楽園」「うなぎ」などの諸作を通じて、今日の日本映画界を代表する顔にまで急成長しているのは、もう周知の事実であろう。

色男No.1 記
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