豪傑NO.1語録(2001・平成13年度)


●豪傑NO.1 題名:JSAとシュリは男女ペアの対をなす作品 投稿日 : 2001年6月19日(火)02時12分
こんばんは、みなさん、私が豪傑です。
全く以って久しぶりの登場だぜ。私が不在の間に桜桃忌(いよいよ今日だな。今年はパーシーがオフ会幹事で没後50年の年を上回る20人近くの参加者が見込まれているというから、大したもんだよ。)、ユニバーサルスタジオジャパン、色男語録2000年度版などの新コンテンツが目白押しだな。黒沢清は役所広司を使ってホラー撮る監督だと思ってたら、国際批評家連盟賞かよ、「回路」はチェックしとかないとね。
ところで私は最近、大いに盛り上がっている韓国映画の大ヒット作「JSA」を見ました。ジョイント、セキュリティー、エリアという事で、いわゆる38度線の共同警備区域で起こった事件と、その真相を究明を命令された中立国監督委員会の女性スイス軍将校の物語です。これが本国では「シュリ」の持つ記録を全て塗り替えたという事らしいですね。前作とは補完しあうセットの一つのような印象を私は個人的に抱いたので、作品の優劣という観点からでなく、構成の点でいかに対応しているかに着目して鑑賞しました。テーマとしては政治的に南北の分断があり、それぞれの陣営を超えて男女間の愛、あるいは男同士の友情が、その現実のもとで引き裂かれていく悲劇が壮大なスケールで描かれている訳です。愛し合う、あるいは信頼しあう双方がお互いに殺し合うのですが、シュリでは韓国側が生存し、JSAでは北朝鮮側が生存する事でバランスもとれているんですね。両作は監督も異なり、ハリウッドばりのアクションに共通性があるもののJSAでは女性が中立であり、認識者であるという立場から設定し、男だけの世界の内部に関与する事は全くありません。事件の当事者は北の一人を除いて結果的に3人とも死んでしまいます。この登場人物の関係性の極めて緻密な処理方法に私は映画としての成熟を感じました。

● 豪傑NO.1 題名:いらっしゃいませ、§^。^§さん 投稿日 : 2001年7月13日(金)01時33分
こんばんは、§^。^§さん、私が豪傑です。一応説明しておきますと、私は色男とは別人で、もちろん、私のほうがオリジナル、彼は私に対する対抗意識から私のパロディーみたいなハンドルネームを使っております。変な例えですが、私が宇多田か林檎なら色男は倉木かヤイコみたいなもんですかね。(倉木、ヤイコともに私はとても大好きだし、それぞれの持ち味があると思っています。)愛の嵐、ティファニーで朝食を、アマデウス、風とともに去りぬ、は私も見ています。ホタルは知人がよかったと言ってます。私は前作の鉄道員は見ましたよ。もっとも、私は高倉健は四十七人の侍を最後に引退して、アランドロンとともに老醜をさらさない生きながらの伝説になると思っていたのですが、本人はまだまだ映画に出たいみたいですね。還暦過ぎてもなお背番号3をつけている長嶋監督と重なるものがあります。猿の惑星の昔のシリーズは面白かったですよ。昔のものには思い入れがあるからリメイクはどんな感じだか興味はありますけどね。A.I.はどっかのホームページで鉄腕アトムのパクリだと書いてる人がありました。ライオンキングの時もジャングル大帝のパクリ説が出て、手塚治虫は死んでも噂で蘇る人物ですね。

●豪傑NO.1 題名:パールハーバーの問題性とは 投稿日 : 2001年8月7日(火)02時25分
こんばんは、みなさん、私が豪傑です。
今回のお題はパールハーバーでいく事にします。「アルマゲドン」のスタッフが再び手を携えて作った話題作はインターネットや新聞、雑誌などの批評や書き込みを見る限り、かなり評判悪くて、相当なものです。作品としては歴史的大事件を背景にロマンスを描くというハリウッドの王道を行くパターンを踏襲したものなのですが、「風とともに去りぬ」「タイタニック」あるいは同じ真珠湾攻撃を扱ったものとしての「トラ、トラ、トラ」と比較しても、決定的に珍品扱いされている印象があります。まず、登場人物として、ルーズベルトや山本五十六、ドゥーリトル中佐、ドリーミラー三等水兵などの実在人物を脇役にして、3人の架空の典型的アメリカンヒーローが、まさに紋切り型のキャラで愛と友情を体現して、アルマゲドンの人類の救世主さながらの活躍で平和、正義、日常を守ります。    日本軍はハワイの日常を突如として悪夢のように襲うのですが、単純な勧善懲悪は避けて、作戦会議の様子などリアルな描写をせずにシュールな象徴的な表現を用いています。アメリカ側ではふんだんに人間劇が散りばめられているのに、日本側には厳密に言って「人間」はいません。しかし、悪者にはしていません。実際には奇襲攻撃を受けて逃げ惑う民間人のセリフ、くたばれ、ジャップ!のようなものはカットされているという事です。
しかし、このような歴史的背景はこの作品ではアメリカンヒーローに、その役割を与える舞台道具でしかありません。美しい看護婦をめぐって、子供の頃から兄弟のような絆で結ばれた2人のタイプの異なるパイロットが戦う事になるのですが、日本軍という彼らの共通の敵が障害を乗り越えて、再び熱い友情を蘇らせて愛する祖国と女を守り、命がけの東京空襲に加わって、戦局をアメリカ優勢に転じる起爆剤的活躍によって、弟分のナイーブな青年が戦死、もう、そこからアメリカの平穏な戦後の風景として、英雄の勲章授与のシーンと戦死した弟分の子供を産んだ看護婦と生き残った兄貴分の日常が描かれて幕、となっています。戦争という試練が英雄を成長させ、美女との幸せな生活をもたらした、というストーリー。
以上の構成から見ても、これは戦意昂揚国策映画とか反戦ヒューマニズム映画とかのカテゴリーに入るものでない事がわかります。つまり、戦争それ自体が主役ではないので戦争映画として見ると、おかしなものという事になってきます。これは英雄の成長物語なのです。ですからヒーローにスポットを当てる上で、重要でない細部は編集されます。ヒーローの生活空間の日常的細部が描かれて、日本軍のそれが描かれないのは、そのためです。絵画でも遠景はぼやかして描くパースペクティブが採用されています。アメリカの国内向け物語としてはそれでいいのですが、海外輸出に際しての外交的問題がそれに付随してくるのは当然なんですね。
英雄物語は場所と時を選ばずに成立し得るか、という問題。この映画への評価は英雄なる存在の難しさをも反映しているように思われます。

●豪傑NO.1 題名:映画いろいろ 投稿日 : 2001年8月21日(火)01時21分
はじめまして、(^^ゞさん、私が豪傑です。
いつも文学の国ではお世話になっています。気が向いたら、是非、映画の国の方も時々覗いてみてくださいね。ミリオンダラーホテルはヴィム、ベンダース作品ですね。そのホテルはロスに実在するみたいです。ベルリン天使の詩は見たのですが、ミリオンダラーは残念ながら見ていません。機会があれば見てみたいです。ジョボビッチもフィフスエレメント、ジャンヌダルクともに見ていません。バイオハザードはもう公開されたのですか?私は最近でいうと、マレーナ、これは監督が水の上のピアニストと同じですよね。あと、A,I,ですね。これは地球温暖化で南極の氷が溶けて水位が上がり、導入部はウォーターワールドと全くよく似ているんです。まあ、近未来物なんですが、21世紀半ば出産制限が課せられ、ロボットが社会的に重要な役割を果たすようになっている。ターミネーターのサイバーダインシステム社みたいな工場が出てきて人間の子供の代用品、愛を知る少年型ロボットが製作され、実の子が不治の病で冷凍保存されている夫婦のところにやって来る、というところから物語は始まります。これは本を読みすぎて自分が本物の騎士になったと思いこんでしまうドンキホーテを下敷きにしたような話なんです。母親を愛するようにインプットされたロボットは、ピノキオの話を聞かされて、自分も母親に愛される事で人間になれると信じこんでしまい、奇妙な行動をとり、森の中に捨てられてしまいます。偽者の人間は本物になるためにピノキオに出てくる妖精を探し出す旅に出ます。ロボット達は皆人間のために奉仕するように作られ健気なまでに尽くします。人間の方が人間疎外が進展して非人間となり、ロボットの方が愛すべき人間であったりするんですね。キューブリックからこの作品の映画化を託され、長年に渡ってテーマを暖めてきたようなのですが、2000年の時を越えて人類の絶滅した氷河期に宇宙人によって、母親との関係をプレゼントされるという救済の物語はいかにもスピルバーグにお似合いのように思います。

●豪傑NO.1 題名:豪傑が語る、あの事 投稿日 : 2001年9月28日(金)02時08分
こんばんは、(^^ゞさん、(^^)さん、私が豪傑です。
私も基本的に映画鑑賞はレンタルビデオによる事がほとんどです。
スピルバーグはディズニーを、宮崎駿は手塚治虫を意識していますよね。細部を比較しながら見れば面白いかもしれません。タイタニック、風とともに去りぬ、やはり両方見ていますね。
文学の国を見ていると色男は実に周到に政治的問題に関する言及を避けていますね、耽美のスターも、しかりです。あるいはそれを野暮な事とするダンディズムを気取っているのかもしれないし、また、自らのキャラを構築する上でのある計算から言及しない領域というのを意図的に設定しているのかもしれません。
いずれにせよ色男はあの事を語ってはくれないのです。
今回の米国同時多発テロ事件は様々な方面からの言及が可能だろうし、ある一定以上の社会的立場にある者は何らかの立場表明を求められる事でしょう。公の場所で言論に従事する者にとって、それは非情に明確な、文学的曖昧さをよしとするところのレトリックを容認しない発言によって試金石となるような事件でこそあったと思われるのです。何か不用意な発言をしても全ては政治的文脈に回収され、それが記録されると後々まで、その自らの言葉に縛られる事となる訳です。
その様な象徴的な事件が90年代以後、少なくとも3つはあったのですが、それらは根底において共通する物語を内包して、ほとんど発言者に同一の問題を突き付けてくるものです。そして、それは実に1970年の段階で世界大にまで拡大される問題をマクロに対するミクロとして縮図として呈示されていたのですが、それが他ならぬ三島事件だったのです。
先程、3つの同一の物語を内包する事件と私が指摘したのは、湾岸戦争、地下鉄サリン事件、そして米国同時多発テロ事件なのですが、三島事件によって縮図として先駆的に呈示され、90年代以降になって勃発した事件に内包された物語について私は一切の個人的見解を加える事なく、まさに物語として言及してみる事にします。

●豪傑NO.1(218) 題名:今日でお別れ 投稿日 : 2001年9月29日(土)02時32分
こんばんは、§^。^§さん、^_^;さん、私が色男です。
佳つ乃と言えば当世祇園最高の名妓にして郷ひろみや伊集院静とも浮名を流したあの方ですね。存在自体が文化財的で様式美に見事に調和しているから、お付き合いする事は男性にとってもステイタスになるんです。「六本木心中」はとてもバブリーな時代を反映していて、今聴いたらノスタルジーに誘われますよね。銀座赤坂六本木は右肩上がりな時代の大人のステイタスなんであって、新宿なんかはそのアンチという意味あいを感じます。という事で椎名林檎は反体制の匂いがして団塊おやじにも懐かしいムードがあるみたいですね。この人には川端的な処女性というのは感じないですね。太夫とか花魁というのでもない。もっとデカダンです。汚れた感じというのは、だから理解できます。モラトリアムの頃はまだ見習いで客を取ってなくて、純潔な好奇心で客を取ってる歌舞伎町の女王の部屋を覗き見ている気配がありますね。ここらあたりが、§^。^§さんのツボなんでしょうね。たけくらべの美登利みたいな感じ。倉木はさしずめ女郎に売られても父母を恨まず健気に奉公する生娘という物語になるんでしょうか。江戸後期の小説、あるいは荷風から吉行淳之介に至る廓赤線物の系譜ですかね。林檎を柳美里、内田春菊と比較するスレッドが2ちゃんねるにあったような。狙っているのか他人の空似なのか私には分かりませんがね。
^_^;さん、壁紙素材で当ページがいつもお世話になっています。パーシーはそそっかしいから、また何かヘマをしでかしていたら、こっそりそれとなく教えてやって下さいね。ADSLはヤフーBBなんか早くて安いというから吉野家並で気になっているのですが、私は現在、家の電話がフレッツISDNのためにデジタル回線に工事してしまっているので、ADSLにするとなると、再度アナログ回線に戻さないといけないらしいのです。それが面倒で、とりあえず現行のままでよいかなと思っているのですが。電話局から離れているから駄目とか、線路に近いと駄目とか、やっかいな話ですね。
ところで、只今、ニュースなどの速報で知ったホットな情報なのですが、今季限りで長嶋監督が勇退するみたいです。川上哲治を超えて15年間監督を務め、後任は永遠の若大将背番号8の原ヘッドコーチに決まったと言う事です。色男の芸能人スターシステムの秘密では更新が1999年で止まっていますので、背番号3は封印されているとか寝ぼけた事が書いてあるままになっているのですが、みなさん、ご承知のように2000年ミレ二アムに3が復活しているんですね。3の次は8。金閣の次は銀閣ですよ。長嶋原コンビは三船加山の赤ひげコンビの反復ですし、いいシナリオ書いてますよ、やっぱり。それでフジテレビのめざましテレビの人気コーナー松任谷由実の575も今月をもって終了し、11月にはユーミン教宣教師の色男も驚きのバラードベストアルバムが出るといいますからね。みなさん、いよいよ時代は変化しますよ。

●豪傑NO.1 題名:千と千尋の神隠し 投稿日 : 2001年10月20日(土)01時33分
こんばんは、みなさん、私が豪傑です。
「千と千尋の神隠し」をご覧になった方は大勢いらっしゃると思います。国内記録としては観客動員、興行収入ともに「タイタニック」を超えて名実共に日本記録を樹立したようですからね。私も今月1日の三鷹の森ジブリ美術館オープンに先駆けて、映画館に足を運んでまいりました。10歳の少女による異世界探訪というアリス的ファンタジックトリップムービーな訳ですが、あの神隠しにあって迷い込んだ非日常の美術が目に毒々しい程にエキゾチックで実際、どこかの山道の枝道に紛れ込んでしまったら、あんな光景が眼前に広がりそうな気がして、あれは植民地の新開地とかそんなイメージがあるんです。温泉町だから観光地で70年代の国鉄キャンペーンに誘われていかにもマイナーな温泉街に行って見たら、驚くほどの威容を誇っていたというような感じ。この異世界では名前が奪われると自分の出自も記憶の中から失われて、現実界との接点も途切れて帰れなくなってしまいます。言霊の力というものが息づいている。神話的八百万の神々がお湯を求めてやってくる湯屋の従業員などを除いて、労働に従事しないものは千尋の両親のように豚に姿を変えられ、畜舎に繋がれている。それにしてもあの油屋の美術デザインが圧倒的で目黒雅叙園をモデルにしたというが、あの内部の従業員居住空間は香港九竜城の雑居ビルさながらの複雑怪奇な迷宮的様相を呈して、あれだけで完結した一つの世界を形成しているかのようです。あの都立小金井公園内にある江戸東京たてもの園にある擬似洋風建築物をイメージして、近代化と神話化の見事に二重構造を示した世界観を再現しているんでしょうね、その色彩、その細部、この世ならぬ風景はいつかどこかで通り抜けた過去の残像だという確かな実感。千尋はまるで夏の林間学舎にでも行っていたかのように両親と共に名前と人間界の記憶を奪還して日常に帰ります。浦島太郎のようなオチもそこにはありません。感受性豊かな子供が見る彩色ある鮮明すぎる夢とあの冒険とをどこで区別してよいのでしょう、体験を共有する人を持たぬ千尋の記憶はやがて幼き日のセピアの記憶となって消えてゆくのかもしれません。

●豪傑NO.1 題名:文明の衝突と情報戦 投稿日 : 2001年10月25日(木)03時48分
こんばんは、みなさん、私が豪傑です。
9月11日、米国世界貿易センタービル、国防総省などにハイジャック旅客機が自爆テロ、イスラム原理主義組織による計画的犯行との見方を強め、捜査線上にオサマ.ビンラディンの名前が浮上、アフガニスタンを実効支配するタリバン政権に対し、オサマ.ビンラディンとそのテロ組織アルカイダの指導者全員の身柄引渡しを要求。
10月7日(日本時間8日未明)、米英両軍によるアフガニスタンの首都カブールなど軍事施設に空爆開始。後日、米軍特殊部隊による地上戦も開始。
米国報道機関及び議会などでテロ行為と見られる炭疽菌による被害が拡大。
というように、これらの一連の出来事が湾岸戦争時と比較しても、驚くべきスピードで展開しています。アメリカ政府は今回のテロ事件を21世紀型の新しい戦争と規定し、国際社会の連携とテロ犯罪の殲滅を訴え、今回の軍事報復行為の対象が決してイスラム教及びアラブ社会ではない事を再三強調している訳です。一方で、イスラム原理主義組織は広くアラブ社会に対してジハードに立ち上がる事を呼びかけてもいて、ここに一種の情報戦の様相も呈している事が理解されます。いわゆる文明の衝突を自作自演して、民主主義国家とは言い難い国が大半であるというイスラム諸国の支持を得るために英米の空爆映像のあるいは情報の洗脳的活用が危惧されるという側面もあるという事ですね。全世界を単一文明圏とみなすところから、弱者の戦闘行為としてのテロ、貧者の核兵器生物化学兵器の使用という悪夢も生じてくる事は、わが国の文学作品でも擬似国家の独立空想物語という形で何度も言及されてきたように、想像力によって半ば予測して来たとも考えられます。
三島事件はまさに同時代の国際社会において、顕在化した日本の集合的無意識、軍国主義復活の悪しき前兆ではあるまいかとの不信感を一部に与えるものとして、ありました。当時の日本政府やマスコミは三島と政府、防衛庁、自衛隊との関係を明言せず、天才の狂気、など一個人の思想の問題であって、日本国とはなんら関係ない、という姿勢で一貫しました。試みに当時の毎日新聞社説を一部引用してみましょう。
「三島の死によって、引起された対外的な悪影響を最小限に食い止めるために、出先外交官たちがそれぞれの任地国における適切な広報活動を取ることを期待したい。(略)われわれは、三島の死の描き出す軌道を、じっくり見守りながら、民主主義の体制を一層意識的に防衛し、強化していかねばならない。また、そうした、安定した「民主的な日本」のみが、日本への警戒心を深める諸外国の疑惑を解く最も的確な道であることを強調したい。」
さらに読売新聞社説からの引用。
「こんな事件が起こると、外国では日本にふたたび極右や軍国主義が復活しているという批判が出るのではないかと思う。だが、これはあくまでも異常な人民の異常な事件であって、わが国の民主主義社会の基盤はいささかもゆらぐものではない。」
上記の引用文を見ても分かるように、日本は三島をスケープゴードとして、田中内閣は日中国交回復を達成するなど、死んでもなお政治利用されるミシマという記号はタブーであったという事です。
三島の父梓によると、三島は70年代のニクソン訪中を予言していたらしいのですが、以下、梓の著書より引用して、今夜はおしまいと致します。
「そして周恩来はまず日本には目つぶしを一発というわけで、たまたまフットライトを浴びていたミシマを小道具に使って、軍国主義のシンボルのごとく仕立ててこれをたびたび発言し、また日本のテレビは喜んでこれを鵜呑みにして字幕に出しました。(略)これも北京詣での日本政財界のお歴々が口を揃えて周恩来閣下に、「ミシマは消えてしまいました。したがって軍国主義の御懸念はなく、ご安心ください」と揉み手でエへラエへラと御追従を並べ立てたからでしょう。」
「倅.三島由紀夫」(平岡梓著、文春文庫)

●豪傑NO.1 題名:湾岸とテロ事件の間で 投稿日 : 2001年10月31日(水)02時01分
こんばんは、みなさん、私が豪傑です。
テロ関連3法が29日の参院本会議で可決、成立しました。湾岸戦争当時、92年のPKO協力法で野党の牛歩戦術で国政大波乱となった頃と比べて、世論も随分変わったようです。今回は文化人の反戦声明こそ聞きませんが、自衛隊の海外派遣に対して、反対意見もまた出ているようです。例えば、湾岸戦争時に断食した瀬戸内寂聴は米同時テロと米軍などによるアフガン攻撃の犠牲者の冥福と武力戦争の停止を願って、26日、庵主を務める京都嵯峨野の寂庵で3日間の断食を行ったという事です。

●豪傑NO,1(220) 題名:若年層にシフトする有線の戦略 投稿日 : 2001年11月8日(木)02時03分
こんばんは、みなさん、私が豪傑です。
今年で34年目を迎える全日本有線放送大賞が今回より、名称をALLJAPANリクエストアワードに変更する事になったようです。以前にも紹介しましたように(豪傑語録2000年度版を参照)、1968年(昭和43年)にレコード大賞のアンチテーゼとしてスタートした同番組は、当初、「11PM」の枠で放送したので司会も藤本義一だったという事です。
番組タイトルの変更理由としては、大阪有線放送社も今は有線ブロードネットワークスと社名を変えて事業形態も多様化している事に加えて、少なくともこれから30年間は続けていく事を念頭に置いて、内容も若干の変身を遂げるために、昔は有線=演歌というイメージだったのを、時流に合わせて若年層にアピールするものにするという事です。新設される賞は、最優秀エンターテイメント賞、最優秀歌唱賞の2つがあり、読売テレビ特別賞も特別表彰と名称変更するようです。
とにかく音楽賞として在阪局唯一の制作である事に意味があるという事らしいです。天童よしみ、孫、氷川きよしの演歌の逆襲、そして雨あがる、御法度、梟の城、どら平太から現在公開中の陰明師、近日公開予定の千年の恋までの時代劇と、様式美世界もまだまだ奮闘していると思っていた矢先の、有線変身劇でした。
音楽業界は昨年12枚のミリオンヒットを世に送り出しましたが、今年は現在までのところ、まだ4枚のミリオンヒットしかないようです。   

●豪傑NO.1 題名:戦後処理は開始されたか 投稿日 : 2001年12月2日(日)02時40分
こんばんは、みなさん、私が豪傑です。
皇居内宮内庁病院で1日午後2時43分、皇太子妃雅子様に内親王(女児)がお生まれになりました。3頭目の狂牛病に感染した牛が発見され、オサマ.ビンラディンの身柄拘束はまだ達成されないにもかかわらず戦勝戦後処理ムード漂う中にあっての慶事に経済効果なんかも期待されているような感じです。タリバンに実効支配されていたアフガンの首都カブールも陥落し、世界最悪の差別的状況から女性たちはその顔を現して、インド映画の音楽を堪能したりしているという事です。
60年周期説を唱える人の中には、地下鉄サリン事件を226事件ないし大本教弾圧事件の反復として捉え、現在は戦前的思考が蘇っているという言説を後押しするかのように自作自演された世界大戦が突如勃発し、日本もそれに連動するように首相の靖国神社参拝、米国テロ事件なる外圧による国防問題の浮上と法案の整理、構造改革による特殊法人(旧陸軍のごとき)の解体への動きと、もう日本では新しいりんごの唄でも聞こえてきそうな気分を、この度の雅子様のご出産が昂揚させるものとして機能するやもしれません。
ところが米国はなにやらテロ撲滅を旗印にイラクとの間にも不穏な空気を漂わせ、サリンなどを警戒するとして11月2日には世界22団体をテロ関係組織として、銀行口座等の在米資産を凍結する対象に指定していました。その中にはオウム真理教も含まれていたのですが、オウムはまさにユダヤ世界陰謀論を捏造する事で日本政府(アメリカの同盟国としての)に戦争を仕掛けたのだという意見も少なからず耳にしていた事を考えても、地下鉄サリン事件と今回の世界大戦(!)は、根底において共通の問題を内包していると言えるでしょう。

●豪傑NO.1 題名:パラダイスは新時代とともにある
投稿日 : 2001年12月14日(金)01時07分
こんばんは、みなさん、私が豪傑です。
ブッシュは真珠湾攻撃60周年の声明で、9月11日と12月7日は今後永久に並び立つ二つの日付となると言ったそうです。自由を守り、文明を保護し、アメリカ的生活様式の生存をかけて戦うと誓い、孤立主義を捨て自由世界のリーダーシップを取らざるを得ない世界史的必然性を声高に主張したとも言います。
そして日本国内では、日本漢字能力検定協会によって世相を現す今年の漢字が決定され、清水寺の奥の院で発表されました。それがまさしく「戦」であって、世界的な事件に日本も含まれるものとして、この一年を送った訳です。今年の漢字という企画は95年の阪神大震災から「震」が選ばれてスタートし、食中毒、山一倒産、カレー、99年世紀末、金メダルと続いています。私個人の印象として、歴史の終りとかいう観念がある訳ですが、それが95年にもう一度激しく動き出したように思ったのです。そして現在もまだその新しい動きの上に我々がいるという認識。ラストパラダイスはそうした時代に並行して浮遊する電脳空間なんだろうという気がします。

●豪傑NO、1(224) 題名:年末音楽回顧 投稿日 : 2001年12月19日(水)00時29分
こんばんは、みなさん、そして、はじめまして、(^_-)-☆さん、私が豪傑です。
クリスマス、大晦日まで早くもカウントダウンとなり、今年も音楽業界のイベント紅白、レコ大を残すのみとなりました。結局、2001年は冬のままで終わりそうで、邦楽はシングル、アルバム両方駄目、生産額、数量も三年連続マイナス成長となりそうな冷え込みぶり。年間売上枚数ベスト5(今年11月までのオリコン調べ)をさらっと見ておくと、まずシングルが1、Can You Keep A Secret?(宇多田ヒカル148万)、2、M(浜崎あゆみ132万)、3、PIECES OF A DREAM(CHEMISTRY113万)、4、波乗りジョニー(桑田佳祐110万)、5、恋愛レボリューション21(モーニング娘。99万)という結果。2大歌姫強しだね、宇多田はR&B調サウンドが持ち味で浜崎は若いギャルの内面世界代弁の詞にポイントがあるらしいが、こういう図式は古典的だな、曲志向vs歌詞志向みたいなね。松山千春がR&B聴きたいなら洋楽聴けよとTVで言ってたけど、今の人達あんまり洋楽聴かないというか、国内で充分間に合ってるんじゃないかな。高度成長期みたいな欧米ライフスタイル神話みたいのがなくて、日本歌謡の鹿鳴館時代は終わっている。遣唐使派遣やめて国風いいじゃん、みたいな感じよ。
アルバムだとどうかな、1、Distance(宇多田440万)、2、A BEST(浜崎425万)、3、バラッド3(サザン266万)、4、DRIVE(GLAY264万)、5、ベスト!モーニング娘。1(224万)という感じでベスト盤が売れてる訳でオリジナルは辛いみたいね。あと特筆すべき事柄は、洋邦ともに復古的傾向が見られる点らしいね。
レコ大はなんとなく浜崎のような気がする。

●豪傑NO.1 題名:宝塚的世界における光源氏
投稿日 : 2002年1月15日(火)02時59分
こんばんは、みなさん、私が豪傑です。
昨年暮れより芸能界では宝塚的なブームメントがあって、モーニング娘。のミスタームーンライト愛のビッグバンドから新年特番ドラマの愛と青春の宝塚(フジテレビ)まで男装の麗人が大活躍といった感じでした。そんな中でも一際大きく派手だったのが、東映創立50周年作品の「千年の恋ひかる源氏物語」です。とにかく美術衣装の豪華さは申し分なく、キャストもオールスターで、天海祐希の光源氏も少女漫画の美少年キャラのような実在感の希薄さで夢幻を現出しています。「華の乱」で与謝野晶子を演じた吉永小百合が今度は紫式部で宝塚のライバルとも言うべきジャニーズ最大のフリーク森光子が清少納言に対立して、一条天皇をめぐる女の戦い仁義なき代理戦争を戦う事になります。圧倒的な語り部の才能で彰子を理想の中宮に育て上げるのですが、その実、都の宮廷社会の価値観に対して否定的であって自己矛盾に陥っていたりするんです。未亡人紫式部は戦勝し、道長に口説かれるのですが、都落ちして福井に帰ってしまい、家族と再会、浜辺で漁業に勤しむ人々の列に加わり労働に励んだかと思うと、沖に道長の幻を見つけて、表情に哀しみの色を浮かべたりもするのです。道長は死んだ夫藤原宣孝と一人二役の渡辺謙なんですが、彼を拒絶する物語が劇中劇の源氏物語と見事な照応をなすところに構成上のポイントがあるという感じですね。光源氏は女性を抑圧する権化として象徴化され、最愛の紫の上の出家を許さず、彼女の没後、女達の恋文を焼くシーンで特殊メイクで源氏が老醜をさらす事になるんですが、ここには脚本家の悪意が込められているように思います。紫式部(作者)が紫の上(作中人物)の悲嘆をなだめて抱きしめるシーンがあり、原作に登場しない平安女性の哀しみの妖精松田聖子が突然ミュージカル仕立てになって現れ、奇妙な唄と踊りで平安京をさ迷ったりするあたりで観客にある感想を押し付けるいやな脚本家の主観が濃厚に出すぎて、しらけてしまうところもあります。
男装の麗人には理想化された男性によって現実の男性を批判する、一種レズビアンを連想させる批評的要素がある訳ですが、現実の男性批判には同時に現実の男女関係及び恋愛に対する批判という側面もあるように思われます。そして彼が理想の救世主である限りにおいて、ついぞ彼は現実に現れる事はなく、彼を待望する事が現実否定という名の出家を結論として物語を終焉させる、、、、。源氏物語のキャラクターとしては拒む女は宇治十帖まで、その登場を待たねばなりません。映画ではそこまで描かれる事なく、作者自らがその思想を体現して見せる事になります。女だけの都。キャスティングによって言及される問題性が、この映画の主題の最大のものであるのかもしれません。

●豪傑NO.1 題名:予定調和の快楽ハリー、ポッター 投稿日 : 2002年2月19日(火)02時44分
こんばんは、みなさん、私が豪傑です。
「千と千尋の神隠し」が、第52回ベルリン国際映画祭のグランプリである金熊賞を受賞しました。日本映画としては今井正監督の「武士道残酷物語」以降2度目、アニメとしては初めての快挙となりました。同映画祭はカンヌ、ヴェネチアと並ぶ世界三大映画祭の一つとされています。一方の話題作「パール、ハーバー」はあの駄作の殿堂第22回ゴールデン、ラズベリー賞の有力候補として6部門にノミネートされているという事です。ブッシュ大統領がイラン、イラク、北朝鮮を悪の枢軸国と呼ぶなど物議をかもしていますが、アメリカの良識派がこのような時流と日本との外交的問題を配慮して、この作品にこのような役回りが来たのかもしれませんね。
それはそうと私は最近ようやくあの人気作品「ハリー、ポッターと賢者の石」を見てきました。まあ、とにかくファンタジーの物語パターンを期待通りに忠実になぞる構成になっていますし、おねむりパーシー偏愛の英国児童作品機関車トーマス同様、いかにも上品な午後の紅茶といった按配でこれなら文部科学省もなんらの躊躇もなく推薦してしまうような作品ではなかったかと思われます。勧善懲悪で東洋的な善悪不二のようなグレーゾーンは皆無で主人公は醜いアヒルの子よろしく孤児でいじわるな親戚一家に育てられ友達もないというあまりに不幸な生い立ちであっても、ひたすら健康で前向き善意に満ちて希望に光り輝いているという設定で、これを神聖化するため親戚一家は英国ユーモアまじりの紋切り型の俗物さで引き立て役に徹しているんですね。キャラクターは子供でも分かり易いようにどれも判で押されたように類型的で、一度固定された性格は子供の夢を壊さぬように徹底して統一してあるので、混乱する事はありえず、安心してストーリーを追跡すればいいように出来ています。予定調和的に主人公は悪と対決できる存在として魔法界なるパラレルワールドで知らぬ者のない有名人であり、かつ偉大な救い主となる事を待望されてさえいる訳です。現実の人間界では一人の友達にも恵まれなかった主人公が魔法学校では信頼できる友達も得られ、宝探しの冒険がはじまったりもするんですね。私はファンタジーのよき理解者ではありませんが、それはテーマパークとも一脈通じるものかもしれませんが、お約束に身を委ねる快楽があるのかもしれませんね。始めから正義が勝つと分かってはいても、現実界における孤児がひとたび異なる状況の世界に置かれれば、たちどころに世界の主役となり万人の賛辞に包まれて秘宝を手中に納め、それは同時に世界平和にさえ繋がるという物語。それは人生の門出に立つ子供にこそ与えられるべき人生の全的肯定の書物であり、現実の中で苦境に立たされる全ての大人達を童心に連れ戻す事で失われた世界とのしばしの再会に心を洗ってくれる書物でもあるようです。
と結局は太鼓持ちみたいな文章になってしまいみしたね。

■名称変更にまつわる話
豪傑NO、1(19) 投稿日:2002年3月1日(金)02時00分
こんばんは、みなさん、私が豪傑です。
今年になって、精神神経学会が精神分裂症という病名は偏見を助長するとして65年ぶりに、統合失調症と名称変更する事を決定されましたが、最近の事なのでご記憶されている方も大勢いらっしゃると思います。そもそも1896年にクレぺリンによって早発性痴呆と名付けられていたのですが、1911年、ブロイラーが予後の良い患者もいるので適切でないとして、シゾフレ二アという名称が提唱されたといいます。それが呉秀三によって日本に紹介されると、今度は数種の訳語が生まれ、それが精神分裂症に定着するようになったのが、だいたい1930年代の終わり頃という事ですから、随分長い間使用されて来た病名だったのですね。
それと比較して、かなり短命で終わった病名が最近、日本国内でも悪役としてその名も高き狂牛病です。読売新聞では2月28日朝刊より狂牛病の表記をBSE(牛海綿状脳症=狂牛病)と変更する、としています。説明によると、脳の神経組織が破壊されるものであって、精神に異常を起こすものではなく、実態を正しく反映していない側面があるから変更する事にした、という事です。1986年にイギリスで最初に発見された時に作られた俗称にすぎなかったもので、医学的には中枢神経疾患に分類されるそうです。しかし、現在世界各国政府やWHOなどは現在もBSEという呼称で統一しているのですが、日本語に訳すと狂牛病となり、先のような誤解を生じる恐れがある、という事です。異常プリオンなるたんぱく質が日本語に中に潜む問題をも破壊しているようで、全く恐ろしいものが蔓延しているものです。昔なら怨霊の祟りという事にされたのかもしれません