豪傑NO.1語録(1999・平成11年度)

●豪傑NO.1(9) 題名:ゴジラおよび007について
はじめまして。私、THE LAST☆PARADISEのスタッフBこと豪傑NO.1です。
今後ともよろしくお願いします
コンテンツ作成は私が担当する事になると思うのですが、何分、私事において多忙を極め、首が回らない状態でありまして、なかなか思うように作業がはかどらず、難航しております。
これまで、入国者の皆さんからあまり質問はなかったようなのですが、当HPのスタッフについて多少の説明をさせていただきますと、正式スタッフは全員で6名、それぞれが専門分野に一見識をもち、なおかつ、その守備範囲拡張の為、更なる探求の結果同一の思念にたどり着きこのHPを運営する事となった有志一同のグループです。最終教祖=神に仕え、日々真理探究の修行をしております。
ちなみに、皆さんの最も知るところとなるユニークなキャラクターWEB担当のおねむりパーシー嬢はスタッフCにあたり、教育の国コンテンツ全般にわたって作成し、壮大な構想はとどまるところ知らず更なる大風呂敷を広げつつあります。分からない事などあれば、お気軽におねむりパーシーまでご連絡下さい。
今回、掲示板を見た限りでは^^;さん、(^_-)さん、)^o^(さんが御来訪下さったようです。ありがとうございます。怪獣映画は昭和29年の東宝作品「ゴジラ」に止めを刺すようですが、この作品はゴジラが正義の味方になる以前の恐怖と破壊の権化として設定されてあり、第五福竜丸事件等が大きな社会問題になっていた時代の水爆実験批判映画として言及される事が多く、今日でも古典の域に入って揺らぐ事がないという評価に落ち着いていると思います。シリーズ化される事でゴジラは人間世界の擁護者となり、後発の文明批判キャラクターとしての怪獣と格闘する事になるのですが、「ガメラ」などもこのパターンの延長線上にあって正義の味方キャラに振られている作品が大半のように思われますが、今回の「ガメラV」はこのような勧善懲悪パターンの焼き直し以上のものではないのでしょうか。私はあまり親切な怪獣映画の鑑賞者ではありませんが、その意図するところテーマなど共感できる部分も少なくありません。このジャンルで何か特筆に価する作品がありましたらご紹介ください。
「007」シリーズは、私も結構見ています。あのシリーズが単に軍事マニアに迎合したものでない事、華やかなボンドガールの存在がいい意味での大衆性を保証しているところが人気ある長寿シリーズになった最大の理由でしょう。ただ、スパイもの自体が冷戦時代にあまりにも密着したジャンルである為、作品の質を落とさずにシリーズ化を継続する事は企画面などで大変な困難を強いられているであろうことは容易に予想されます。あるいは007シリーズもゴジラシリーズと同じような時代による制約という問題を分かち合っているのかもしれません。両シリーズは、今後も制作されていく事になるのでしょうが、本当に見るべきものが現れるかどうか、考えるだに寂しい気持ちになってくるのは私だけではないでしょう。 ここしばらくは、世紀末もの、天変地異もの(「アルマゲドン」「ディープ・インパクト」etc)等が観客動員数を保証する傾向として続くでしょうが、フィクションにリアリティを与えるのは時代であって、その時代を超えたところで観賞され得る作品、という意味ではそれとて古典の域に達する作品が一体いかほどある事でしょう。ひょっとすると、私達は十年後になっても「やっぱり初代ゴジラは超えられないね。」とか「007はロシアより愛を込めてだよ。結局ボンドガールを絡ませる事で恋愛ものとして成功している作品がヒットする訳だろうし、ロシアパターンで完成したものにひねりを利かせてどれだけプラスアルファーを盛り込んでやるかというところに問題は集約されるよ。」といった会話をしているのかもしれません。
投稿日 : 99年4月25日(日)14時48分

●春樹先生と一緒に走ってみたい
5月15日(土)17時45分 投稿者 豪傑NO.1

はじめまして。私はTHE LAST PARADISEのスタッフをしている豪傑NO.1という者です。その節はリンクの件でお世話になりまして有難うございました。私どものHPでは文学コンテンツも準備中なのですが、いかんせんスタッフが多忙ゆえになかなかUP出来ません。近々、村上春樹関連のコンテンツもUPされる予定になっておりますので、その時はまた相互リンクという事でお願いにあがりたく考えています。
ところで皆さんは「BRUTUS」6/1号(マガジンハウス社)をもう御読みになりましたか?村上春樹のボディー&ソウルについて大特集しています。とにかく青と白のコントラストが印象に残る紙面作りで、J・POPヒットチャートでは「ひまわり」もランク入りしているチューブが連想されますが長嶋と王の対談も掲載されてあり、おまけに篠山紀信が撮影した2人の写真まであって、確かにひまわりだとうなずけました。
春樹先生は専業作家になる決意をして経営するジャズ喫茶を人に譲ってから、33歳でランニングを始めました。1982年、「羊をめぐる冒険」が出版された頃です。ヘビースモーカー(一日に60本ぐらい)だったのが、走るようになって禁煙し、モットーも一に足腰、二に文体という事で、実に16回のフルマラソンを走り抜けて、「肉体が変われば、文体も変わる。」という境地に到達されたという事です。「風の歌を聴け」の文体はジャズに支えられていたが「ねじまき鳥クロニクル」は明らかにランニングに支えられています。ある種の「病気」を売り物にしていた作家とは長距離ランナーとして一線を画そうとしている春樹先生は健康状態極めて良好、正しく古典主義の作家であられると思います。それに比べて、私なども何度かハーフマラソンに出場したことがありますが、完走は一度きり、タイムなども恥ずかしくて公開など出来ません。これでは春樹先生にもっとスポーツなさいと叱られそうですね。しかし、私も豪傑を自称するからにはそれなりの結果を出さねばなりません。みなさま、どうぞ今後ともよろしくお願いします。私どものHPも見に来てね。

●豪傑NO.1(34) 題名:色男氏の危険な誘惑

皆様、お久しぶりです。私がスタッフBこと豪傑NO.1です。
今回新しく「音楽の国コンテンツ」としてUPした「芸能界スターシステムの秘密」はご覧頂けましたか?これは色男の歌謡曲による戦後史についての論考という風に聞いております。ナベプロやジャニーズ事務所についての怪情報も登場する予定となっていますのでみなさん、お楽しみに。御三家からグループサウンズ、フォークを経て、新御三家、たのきんトリオへと至る歌謡曲の歴史はまさに時代を克明に刻んでおり、リアルタイムに見えなかったものが今日的にははっきりと鳥瞰できるポジションが獲得せられ、色男氏もついに彼なりの懐かしい年への手紙を書く心構えが出来たのでしょう。彼によると1970年は1945年に匹敵する価値観の大転換が見られる時代の分水嶺であり、45年直後に第一次ベビーブーマーが、70年直後には第二次ベビーブーマーの誕生が観測され、スター不在の今日にあっては少子高齢化が叫ばれて一般化されているようです。芸能史をひも解いても戦後はやたらと若さが賛美され太陽とか海という言葉が数限りなくリフレインされ、太陽の季節から太陽族、真っ赤な太陽かと思うと太陽の塔(芸術爆発)!まるで年取る事が罪悪であるかのような強迫観念に駆られ、白くて薄い胸板にむりやりアロハシャツを身につけて「そこのマブいねーちゃんいかしてるぜ。」としょぼいナンパで涙に濡れたあの日…。
80年代はニューアカとお笑いブームがクロスオーバー、太陽もパロディー化されてサザンのアルバムは「ステレオ太陽族」、チューブも暑い夏を歌いつづけるけど、ビーチには石原裕次郎も加山雄三もいなくて何かが違う。その辺のところが色男のテーマであるらしい、今日的時代状況におけるプレイボーイとはいかなる存在か?週刊プレイボーイには高齢の吉本隆明氏が人生相談なんか連載してて、それは一体いかなるプレイなのか?そこでこの恐ろしくメタフィジカルな難問から色男氏がひらめいたのが、平安朝の我が国最大のプレイボーイ光源氏没後の世界、宇治十帖であったといいます。現代とは宇治十帖なのだと色男氏は確信しバイアグラや援助交際(ロリータ志向)の衰弱した男性機能にスター不在との深い関係性を垣間見、そして更に恐ろしい事にはプレイボーイ復活の時は今だと日本国民に語り伝えるべくしてスターシステムの秘密の執筆を決意したということなのです。
ずいぶん大袈裟ですね。恋に夢見る花咲く乙女達よ、色男氏の甘いささやきにとろけてみてはいかが。
投稿日 : 99年5月30日(日)18時25分/王子

みなさん、私がスタッフBこと豪傑NO.1です。
教育の国掲示板に書き込みするのは、確か初めてだったかな。読売新聞6/19夕刊に「理想の父親」についての記事があったので紹介しておきます。
20日の父の日を前に、万年筆メーカーのパーカーが行なった「理想の父親像」アンケートに1800通の応募があり、1位には加山雄三が2年連続で選ばれたのに続いて、中村雅俊、高倉健、長嶋茂雄、所ジョージときて8位に梅宮辰夫、10位は石原慎太郎、17位は小渕恵三という結果でした。このメンバーは所ジョージ、小渕恵三を除けばなんだか豪傑揃いではありませんか。治安神話の崩壊から学校崩壊まで社会システムの金属疲労ともいうべき現状にあって、危機管理者としての父親像にリーダーシップという過去の物語が呼び求められているかのようです。確かにブルースリーや「北斗の拳」のケンシロウが父親であったなら誰が反抗しようなどと思うでしょう。でも、これってスターリニズムの発想で野党としての母親がやっぱり必要ですね。皆さんが選ぶ父親になって欲しい有名人は誰ですか?色々書き込みがあったならパーシーにでも言いつけてパラダイス版ランキングを作っても面白いなぁ。
♪お〜れはジャイア〜ン、が〜きだ〜いしょ〜う、天下無敵の男だぜぇ〜。 色男、パーシーは目~じゃないぞ〜♪ガキ大将なら豪傑NO.1です。色男やパーシーばかりが話題になっておれ、ジェラシー感じちゃう。聞くところによると、6月19日は三鷹で強烈な盛り上がりを見せたという事で、羨ましい限りだぜぇ。WEB担当パーシーは今回は不参加だったが、来年は戦線復帰するかもしれないということです。こんな豪傑なおれでも参加できるのかい?あぁ〜酒と女におぼれてぃ〜。もてる奴が憎いぜぇ。
(志賀直哉は女にもてたのかなぁ。)ガキ大将より乃木大将、神社に祭られる奴あぁ、菅原道真よぅ、パーシーの好きな歴史人物はもう一人、源実朝よぅ、神様に妬いても始まらない、あんたぁ、あんたも神様かい?
ところで、色男の新しいコンテンツ「1970年をめぐる冒険」は読んだかい?まだの奴あぁ、早く読んだがいいぜぇ。色男の考える事は全く分からない。女を泣かせる奴の気持ちなんざぁ、この俺には分からないのさ。BABY、俺もさくらんぼ、喰いてぇよう。
「文学の国」また遊びに来ておくんなせぇ。達者でなぁ。

●豪傑NO.1(118) 題名:千人千様のイメージ分裂する三島

皆さん、ご機嫌いかがですか。
私がハイテンションなダンディ・ガイ、豪傑NO.1だよ。♪お〜れはじゃいあ〜ん、これは前回やったよな。ようこそ、p(^_^)qさん、お久しぶりです。お噂はかねがね色男やパーシーから聞いております。特に色男などはあの女を誘惑するような怪しい目つきで「p(^_^)qさんは心の友だよ。」と語っていました。p(^_^)qさんは安藤武の「三島由紀夫の生涯」をお読みになったそうですが、あの本の表紙にある三島の写真はかっこいいですね。本のタイトルも「鬼龍院華子の生涯」みたいで、著者のねらいがスターとしての三島像を定着させる事にあるのかなという気がします。三島と夏目雅子をカップリングしたらいかにも美しいではありませんか。安藤武は、確か以前にも「日録」というかなり詳細な三島の年譜本を出していましたが、こちらの表紙は横尾忠則の三島とワーグナーをツーショットにした油絵だった様に思います。私自身はそれらの本に目を通した訳ではないので、p(^_^)qさんのご忠告くださったプラトンとユングがゲイとか同性愛に市民権を与える為に利用されているというくだりについてはコメントしかねます。安藤という人物の経歴についても私は何一つ知るところがありませんが、p(^_^)qさんのご理解では安藤氏がなんらかの「権利拡張論者」であり、彼自身の政治目的から社会的影響力ある三島をプラトン、ユングを全く自家流に解釈して同性愛者と規定し、つまり、文学がイデオロギーに対して自立性を剥奪されている印象をお持ちになったのでしょうか?そのあたりの事をもう少しご説明願えれば大変嬉しく思うのですが。p(^_^)qさん、どうぞ豪傑NO.1もよろしくね。それから、色男が今度は映画の国コンテンツを新しく書きおろしたようなので、WEB担当おねむりパーシーに早急にUP完了させるようにします。乞うご期待。
ところでみんなはジャイアン好きかい?ジャイアンリサイタルのコスチュームって、プレスリーのジャンプスーツそのままだけど、抑圧的な父性像を感じますか?
投稿日 : 99年7月10日(土)20時51分

●豪傑NO.1(129) 題名:色男、パーシーは目じゃないぜ。

皆さん、ご機嫌いかがですか。私が豪傑NO.1です。(色男じゃなくてごめんね)
p(^_^)qさん、私の質問に驚くほど親切に詳細にわたって答えて頂きまして、ありがとうございます。噂に違わぬ真面目なp(^_^)qさんに、文学における至純の魂を見る思いがして、感銘を新たにしました。安藤武氏の著作でのプラトン・ユング理解の根本的な誤謬がp(^_^)qさんの説明によって、いちいち納得されるばかりでプラトンに関する限り、当時のギリシャにおいて広く見られた少年愛ないし同性愛を反自然的悪習として退けているのは明らかであり、愛の精神性を主張するのも同時に肉感主義の絶滅を志向してのことに相違ありません。ただプラトンは同性愛を病気に分類しようとしたのではなく、一般的な習慣に対して理想主義的な価値を対立させたまでであり、中世のキリスト教社会に見られるような恐ろしい罪悪としての同性愛という認識は、プラトンの同時代にあって存在しなかった事は把握しておくべきでしょう。つまり、同性愛が罪悪視される起源には唯一神教的な父性原理があるということです。M.フーコーの「狂気の歴史」などを待つまでもなく病気についての規定は、時代との相関関係によって決定され、したがって「神が死んだ」といわれる地点において、同性愛がかつてのような光芒を持たないのも、また事実なのです。
ですから、私の個人的な見解としては、三島同性愛論争に関する限り、どちらであっても三島文学の価値に変動は見られない、という立場です。対立意見に対して、何らかの絶対知を示して封印しようという文化官僚的な関心は私にはなく、評価の決定不可能性が作家の自由な創作活動を困難にすると考えるほどに、私は文学という制度について信仰を持っていません。といいますのも、歴史的存在というのは結局、未来のものであって、イメージの分裂が豊饒な物語群を形成するというのは、他でもない、その歴史的存在が魅力的なものであるという証左にこそ、なりはしないでしょうか。人気の高い歴史的事件には、常に「外伝」なるものはつきものです。ですから、三島に関する新しい見解が今日なお生産され続けているというのは、肉体は死んでも、「神話的存在」として今も生きているという事を意味しているのです。ただ、安藤氏のユング・プラトン理解については、p(^_^)qさんのおっしゃる通りであるという事に対して、私は賛同の意を表する事にやぶさかではありません。
^/^さん、はじめまして。
司馬遼太郎の著作は私は「殉死」などの数冊程度を通読したに過ぎないので、あまり多くを語る資格はありませんが、私のある友人は司馬遼太郎の大ファンであり、彼も大体)^o^(さんと似たような感想を私に聞かせてくれました。とにかく評判の良い人で、戦前の吉川英治と並んで国民的作家と呼ばれていい人であると思います。この両作家が生み出した二大ヒーロー、宮本武蔵と坂本竜馬に、何か共通する要素でも発見できれば、戦前戦後を首尾一貫する「昭和」の英雄像の総体が発見されるのかもしれませんが、さすがに私もそこまでは手が回る筈もなく、どなたか有能な研究者の方で志願してくださればと思います。
…・・と、今回は私も真面目バージョンで決めてみましたが、いかが?
(>_<)さん、はじめまして。これからもよろしくね。
ところで、色男は女あさりに超多忙であるとの事で、どれだけの収穫が得られる事やら(笑)
本当は色男よりモテモテな豪傑NO.1でした。
投稿日 : 99年7月17日(土)16時17分

●豪傑NO.1(135) 題名:生き急いではいけない、(~_~;)さんよ

こんにちは、私が豪傑NO.1です。ようやく映画の国掲示板が復旧され、かねてから映画の国掲示板復活を主唱しつづけてきた私としては、喜びもひとしおです。今回は色男の書き下ろしたコンテンツもある事だし、他国に対してずいぶんと立ち後れてしまった発展途上の映画の国を盛り上げるべく、なにとぞ皆様、文学の国同様、贔屓にしてやって下さる様、切にお願い申し上げます。「スターウォーズ エピソード1」もうご覧になった方、何か書いてくださればとても嬉しいのですが。
p(^_^)qさん、前回に引き続いての同性愛に関する問題提議、大変ありがとうございます。今回分を拝見させて頂きましたところ、同性愛的精神構造が建築的な知的造形力あふれる作品を創作し得るか、という問題と、同性愛禁忌は文化的現象でなく医学、生理学的現象であるとのp(^_^)qさんの見解の二点に要約されるものとして、以下、私なりのコメントをさせて頂く事とします。
まず、前者の問題提議についてですが、p(^_^)qさんは結論として同性愛者には三島文学のような作品群を創作する事は不可能であり、その根拠として友人で同性愛者でもあるT・ウィリアムズと太宰の作品に共通して認められる構成力の弱さを、三島が指摘し批判している事から気質上の相違点が認められる、したがって極めて知的な造形力の見られる三島文学それ自体から三島自身が同性愛者のT・ウィリアムズと同質であるとは言えないのではないか、という事を主張しておられる訳です。
しかしながら、三島の太宰嫌いは近親憎悪によるものだという立場を取られる研究者に対しては、p(^_^)qさんの説は有効性を持たない様に思われます。つまり、三島はナルシストであるが故に自分と似たような存在を許す事が出来ず、その本来的な気質を克服するために男性的な強さの演出によって「弱さ」を隠蔽したのである、という理解も可能であるという事です。古今東西の歴史をひも解いてみても、同性愛者と見られる芸術家は多く、T・ウィリアムズ類型のみをもって同性愛者一般の典型とするのは早計であり、シェークスピアは劇作家として最も偉大な才能であるというのは定説であり、ミケランジェロの作品群を見る限り、どこにも「太宰」的な弱さは見出されません。また、p(^_^)qさんの下記の文章、──同性愛者説は三島文学と三島を全く分離して、むしろ三島という人間を疎外してしまっているので、納得できない。──これは、前提として三島が同性愛者でないという事が実証される事で成立するもので、同性愛者説を取る者には三島文学は同性愛的傾向があったればこそ創作し得た芸術であると考えている事でしょう。p(^_^)qさんの今回分の書き込みに関する限り、結論を急ぐあまりに自らの推量を飛躍させて、そのまま断定に走るという文章から、かなり「主観的、感情的」なものと印象されるのが残念ですが、そこにこそp(^_^)qさんの嘘・偽りのない三島への愛がひしひしと私には感じられました。これら全編、p(^_^)qさんの三島へのラブレターとも読めるのもです。(笑)
次に同性愛禁忌についてですが、禁忌(タブー)というものは観念であり、これは明らかに文化共同体内における共通了解事項というものでしょう。同性愛という現象に対して、時代や民俗によってこうも様々な変化が見られるのは、そう考えた方が自然であり、武将と小姓、僧侶と稚児のような伝統文化を持っていた日本人は免疫機能が低下しており、イエズス会のおかげで治療されて文明人になったと考えるのは、西洋中心主義的に過ぎるというか、構造主義以前への退行でしょう。多神教的もしくは汎神論的文化は未開なのでしょうか?
なお、同性愛についての最近の研究(1990年)でも、特別に性器の発育不全以外は、遺伝など生物的要因による明確な証拠は見出されず唯一証明されたのは、男性同性愛者では「父との心理的隔たり」が関係しているとされている事で、70年代に台頭した自己心理学的精神分析のハインツ・コフートの理想化欲求の不満として代償的に理想的男性を求めるという説明とも一致していると考えられます。エイズに関する発言などは全く根拠のないもので、もう少し慎重に発言すべきでしょう。不明な点の多い学術上の問題は根拠のない推量で結論を急ぐのでなく、「保留」にして、事実の積み重ねから自説を地道に構築する方が、よほど説得力があると思います。それでもなお、結論を急がれるp(^_^)qさんは、百年も二百年も自身の寿命に限りがある以上待っている事は出来ない、俺の目の黒いうちに三島の謎の真相を俗世間に知らしめ啓蒙してやらねばならん必然性がこの俺の中に脈打っているのだ、分かるか豪傑よとおっしゃるかもしれません。
しかし、(~_~;)さん、「待つ」という恋心はいつの世も切ないものですよ。あみんの名曲「待つわ」なんて切ないじゃありませんか。
文芸批評家の江藤淳氏がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。合掌。
投稿日 : 99年7月24日(土)22時53分

アイドルの作り方 1999年09月05日(日) 17時10分
No.22580 豪傑NO.1
HAPPY BIRTHDAY!! §^。^§ちゃん。

FRIDAY見ましたよ。昔、写真週刊誌に山口百恵のバストトップが写った写真が掲載された事がありましたが、あれは篠山紀信の激写シリーズで撮影したものから関係者に無許可で流出したものだったように思います。アイドルをごく単純に類型化すると清純派とセクシー派の2パターンに分類されると思いますが、彼女の場合、吉永小百合に代表される清純派に位置しながら、過激にセクシー派領域への接近を図りつつも最後の一線を守って結婚=引退という他のアイドルとの差別化を図ったステイタスを確立し、全く新しい典型として完成されたのでした。後続のアイドル達はこの百恵パターンからずれる事で自らのキャラクター作りをすることを余儀なくされた訳ですが、かなりの苦戦を強いられているのが実情であると思います。つまり、トップレスになるかポイントを隠蔽するかというのは重大問題であり、その後のイメージ戦略にも多大の影響を及ぼすものなのです。これから§^。^§ちゃんはいかなる戦略によって自らのキャラクターを確立していくんでしょうね。私がブレーンとなってあげてもいいよ。
それから、お願いしたいんだけど私のHPと相互リンクなんかしてもらえれば嬉しいんだけどなぁ。管理人さんと一度相談してみてね。

●豪傑NO.1 題名:時代劇は永遠に不滅です 投稿日: 1999年9月19日(日)15時07分
こんにちは、私がスタッフBです。(もちろん豪傑NO.1です)

先日、往年の美剣士スター市川右太衛門氏がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。市川氏は1907年生まれ、享年は92歳でした。太宰より2歳年上ですね。
阪東妻三郎(田村正和の父)、長谷川一夫(国民栄誉賞受賞)、嵐寛寿郎(鞍馬天狗)、大河内伝次郎(京都嵐山に大河内山荘有)、そして片岡千恵蔵(松方弘樹も大尊敬)など戦前からのスターがスターとして自明の理であった時代の最後の大御所として、今日まで存命されていました。戦前に右太衛門プロを設立、代表作は全31作もある旗本退屈男シリーズです。北大路欣也はTVの明智小五郎役などでご存知と思われますが、歌右衛門がその父に当たる方です。三島も贔屓にしていた歌舞伎の女形中村歌右衛門とは別人ですよ。時代劇といえばかつては東映でしたが、今日ではあまり制作されることもなく、今年のヒット作といえばモントリオール映画祭主演男優賞で話題となった高倉健主演の「鉄道員」がありますよね。時代劇は演歌と同じく様式美の表現として熟年層に支持されるのみとなっています。邦画よ頑張れ!

●豪傑NO.1(78) 題名:COME BACK! 女王 (T_T)
みなさま、こんにちは。私がスタッフBこと豪傑NO.1でござりまする。

ブルースの女王こと淡谷のり子さんがお亡くなりになりました。享年92歳。ご冥福をお祈りします。淡谷さんは戦前から洋楽ノリの反骨精神の人で、古賀政男路線じゃなくて服部良一路線でした。服部メロディ−といえば李香蘭の「蘇州夜曲」や笠置シズ子の「東京ブギウギ」などメジャーな曲が目白押しですね。羽賀研二よりも巨大なチンチンのディック・ミネにくどかれても一蹴したといわれる淡谷のり子さんは、あの大正モダンの画家竹久夢二とも面識がありました。若い世代にはフジTVの物まね番組での審査員役が記憶に残るところかな。清水アキラの下品なネタを大変毛嫌いしていましたよね。昭和12年の大ヒット曲は「別れのブルース」♪まどを〜開けぇ〜れば〜、港がぁ〜みえるぅ〜メリケン波止場のぅ〜灯がみ〜え〜る〜、メリケンというのはアメリカのことですよ、若い人々。それから翌年の「雨のブルース」ですよね。タイトルにブルースがついた唄は、75年までに計25曲もあったというから、驚き桃の木だねぇ。ブルース以外にも、ジャズ、シャンソン、タンゴなど、いわゆる演歌は嫌いみたい。面白いですね。芸能界のご意見番であったらしいのですが、現在、そのポジションにいるのは和田アキ子や美川憲一ですね。
投稿日 : 99年9月26日(日)16時57分

●豪傑NO.1 題名:新しいヒロインを求めて 投稿日 : 1999年10月23日(土)22時38分
こんばんは。私がスタッフBこと豪傑NO.1です。

♪お〜れはジャイア〜ン、が〜きだいしょ〜う。天下無敵の男だぜぇ。色男、パーシーは目じゃないぞぅ〜。TVじゃ「金八先生」「意地悪ばあさん」「天才バカボン」復活するっていうし、なんか懐かしモード入ってるぜぇ。
o(^-^)o様
はじめまして。黒澤論読んでくださって、他のスタッフ共々大変感激しております。今後ともよろしくお願いします。黒澤全作品ご覧になったのですねぇ。どの作品がお気に入りなのでしょうか。よろしければお教えくださいね。
ところで、私は週刊文春10/28号を買ってしまったのだが「輝くアイドルシネマ・ノスタルジア」はよかったなぁ。吉永小百合、山口百恵は共に「伊豆の踊り子」「潮騒」のヒロインを演じていますが、これらの作品は映画界にあっては定番の青春ストーリーであり、アイドルの登竜門的な映画でもあるという事でこれまでに何度も映画化されてきました。「伊豆の踊り子」は計6回、最後の作品は山口百恵版で74年、それに対して「潮騒」は計5回 、最後の作品は堀ちえみ版で85年という事です。ここ10年以上両作品は映画化されていない訳ですが、もし新作を作るとすれば来春解散するSPEEDの上原多香子なんかはどうでしょう。相手役は勿論DA PANPの噂の彼ですよ。(笑)そこで上原多香子はいかにも純愛路線の主題歌を歌い、世の男性諸氏が冷や冷やするようなギリギリセミヌードを公開し、DA
PANPイッサとめでたく結婚、川端康成が舌なめずりしそうな純白のウエディングドレスに身を纏い、バージンロードの果てにある沖縄のどこまでも青い海の直中へと消えてゆく…・・というシナリオはアナクロニズムに感じられますか?あの山口百恵でさえ同時代にあって十分時代錯誤であったように思います。純白の喜劇性。ドン・キホーテは常に小説の帰結点であります。ドン・キホーテがもはや無効である時、我々はいかなる小説も持ち得ないのであって、小説の可能性を測定し得るようなドン・キホーテ・パフォーマンスとしての上原多香子というコンセプトをいかにもさりげなく提示してみる。70年代において角川春樹は活字メディアも映像ジャンルとタイアップしなければ延命し得ない事実を身をもって示しました。これから、我々は新しい「伊豆の踊り子」や「潮騒」のヒロインに出会えるのでしょうか?日本文化の死滅していない事を念願しつつ私は提言する次第であります。

●豪傑NO.1 題名:三船敏郎「以後」 投稿日: 1999年11月13日(土)23時04分
こんばんは、みなさま。私が豪傑NO.1です。
(^o^)丿さん、o(^-^)oさん書き込みありがとうございます。

「どですかでん」の原作は確かに「季節のない街」で原作は山本周五郎です。三船敏郎最後の黒澤作品「赤ひげ」も山本周五郎ですね。色男の分類による黒澤第二期の作品群は山本周五郎作品が好んで採用されてあり、この数々の文学賞を辞退した逸話で知られる庶民派作家はいかにも対照的な貴族的な純文学作家三島由紀夫と並んで新潮社の文学賞の名に冠せられているのはおもしろいですね。また、o(^-^)oさんが憤慨なさっているように「どですかでん」に始まる黒澤第三期の作品群は評論家の間ではすこぶる評判が悪く、英雄たる三船敏郎「以後」にあっては内田百聞があたかも「豊饒の海」における本多のように主人公格に急浮上してくる訳です。「まあだだよ」がそうですね。色男はその辺の事情に関して独自の見解を用意しているとの事です。まずは「昭和史の語り部 黒澤明」の続編を乞うご期待、という事にしてくださいね。でも何かの本で読んだのですが、三船自身は第三期の作品にも出演したかったらしいのですが、黒澤が絶対駄目だと言い張って聞かなかったようです。英雄の不在、喪失観、それこそが黒澤が最後に描いた世界であったのかも知れません。

●豪傑NO.1 題名:英雄にして国際人 投稿日: 1999年11月22日(月)20時45分

♪ジャ ジャ ジャ ジャイア〜ン、ジャ ジャジャジャイア〜ン(ベートーベンの運命のリズムで)私がスタッフBこと豪傑NO.1です。ベートーベン、ワグナー、プレスリー、そして豪傑NO.1だぜぇ。
o(^-^)oさん、お褒めに預かり大変ありがとうございます。
(^○^)さん、黒澤作品では第3期のものがお好きなんですね。「乱」は原作はシェークスピアですよ。
^/^さん、黒澤のほうで三船を「デルス・ウザーラ」に使いたがっていたのは初耳でした。
でも、私はこの話を聞いて「ゴルゴ13」を連想してしまいました。ゴルゴは国籍から出身まで不明な点が多いのですが、日露混血の噂もあるのです。「デルス・ウザーラ」は完全なソ連映画で出演者に日本人は皆無でしたから、もし三船が出演していたら全く異なる味わいの作品になった事でしょう。ちなみに「ゴルゴ13」も映画化された時にはゴルゴ役の高倉健が唯一の日本人出演者でした。他はすべてアラブ人か何かだったように思います。

●豪傑NO.1(109) 題名:椎名林檎はいい女 投稿日: 99年12月5日(日)00時29分
こんばんは、みなさん。

私が豪傑NO.1です。NHKは1日、大晦日恒例の第50回紅白歌合戦の出場者を発表しました。昨年出場していたのに今年の落選組としては、華原朋美・工藤静香・山本譲二がいます。来年リベンジしてください。演歌の低迷が叫ばれる中、問題があったにもかかわらず視聴率に影響を与えるという事で最後まで選考を手こずらせたのが石川さゆりです。紅白は現在ではほとんど無謀なまでに多種多様なジャンルを包摂せんとする、或る意味では我々のHP「THE LAST PARADISE」を想起させるような反時代的試みの番組で、大体、「歌謡曲」という概念と不即不離の関係にあった昭和20年代、30年代の国民的番組であり、昭和40年代以降世界的に若者文化が巻き起こってもはや歌謡曲や国民的なる単一概念で総括され得る古典的時代は過ぎ去り、時代の変化を無視してまるで昭和は終わっていないかのような過去の亡霊として幻想に視聴者をスポイルさせようとする大霊界番組と変わり果てているのは火を見るよりも明らかです。ですから現実の音楽業界における演歌の売上不振を無視してまでも石川さゆりを画面に登場させなければ「歌謡曲」なる概念はいともたやすく瓦解してしまうのです。ところが今年の紅白には、彼女よりももっと恐ろしい大霊界の魑魅魍魎が出演するようなのです。♪せんきゅ〜ひゃくななじゅ〜ねんの〜こ〜ぉんにちはぁ〜、お客様は神様です。の三波春夫をはじめ、♪しあわせだなぁ〜の永遠の若大将加山雄三、♪とぼけたかおしてバ バン バァ〜ン、青春のGSが今蘇る、あなたの胸に堺正章、ムッシュかまやつ、井上尭之、「ザスパイダーズ」が変名しての「ソン・フィルトル」。このラインナップはもう見るからに昭和元禄です。懐かしいなぁ〜というのは相当御年配の方です。(笑)松田聖子が出れば郷ひろみも♪ア〜チィチィ アチィ〜と応える。ゴダイゴ、八代亜紀、松たか子も復活し、「だんご3兄弟」も炸裂するぜぇ〜とにかく今年の紅白は自民党よろしく視聴率の過半数50%を維持したく、千両役者に片思いして振られまくった選考でした。宇多田ヒカル、ユーミン、サザン、井上陽水、矢沢栄吉、マライヤ・キャリー、ミック・ジャガー…・・
結局、彼らはみんな俺達は歌謡曲のカテゴリーには入らないよと天下のNHKに申し上げた訳です。NHKの社員でJPOP批評を読んでいる人は何人ぐらいいるのかしら。JR、Jリーグ、J-POP、J−文学、平成の時代は何でもかんでも全部「J」だぜぇ。

●豪傑NO.1 題名:ヒーローに夢中   投稿日: 2000年1月4日(火)16時59分
あけましておめでとさ〜ん。俺はジャイアンガキ大将、豪傑NO.1だぜぇ。

読売新聞1月3日の朝刊を見ると、にっぽん人の記憶20世紀という新連載記事の第一回があり、テーマはメンコが映すヒーロー、覚えてますかあの日、という事で歴史体験をインターネットなどの手法で集め、データベース化して分析、証言者の総数は、55歳から75歳、20歳前後の2つの世代全国766人というものだった。まず、55歳から75歳の世代ではメンコは遊び道具、コミュニケーションの手段であり、そこで小さな王国は営まれていました。ヒーローは主に実在人物、軍人・政治家が21%、スポーツ選手・芸能人が44%、そのBEST10は1.川上哲治、2.双葉山、3.のらくろ、4.青田昇、5.東郷平八郎、6.乃木希典、大下弘、7.楠木正成、藤村富美男、8.鞍馬天狗、9.源義経、10.黄金バット。他にも爆弾三勇士や力道山にも人気があったそうな。つまり、戦時中、メンコは「少国民」の戦意高揚を促す道具でもあったという訳ですね。戦後にかけて紙芝居やラジオドラマの正義のヒーローが台頭していきます。月光仮面や鉄腕アトムなどがそうですね。ちなみにこの世代の漫画・アニメの主人公の支持率は23%。
そして、新しい人よ甦れじゃないけれど、二十歳前後の世代では圧倒的に戦闘系のヒーローが上位を独占、漫画・アニメの主人公の支持率は驚くなかれ71%にも達しており、かたやスポーツ選手・芸能人は10%に減少しているようです。メンコはもっぱらコレクションの対象となり、そこではディス・コミュニケーションの傾向が顕著になっています。つまり、オタク的という事ですな。19歳のある学生によると、「ヒーローとは、実在の人物ではなく、現実とかけ離れたものだと思う」とコメントしている。ドラゴンボール、ガンダム、キン肉マン、仮面ライダー、ウルトラマン、ゴレンジャー、聖闘士星矢・・・・戦闘行為にリアリティのない若い世代には現実の戦争だってシュミラークルな疑似体験、TV映像は現実と非現実の虚実皮膜な世界を演出しているわけで、私こと豪傑NO.1も虚像が一人歩きしている今日この頃であります。平時=日常性にはヒーローなる戦闘集団は実在しえず架空の人物に人気を奪われてしまうようです。実在し、なおかつ虚構の人物であるような存在がいれば現代のヒーローになれるんですがね。例えば、豪傑NO.1のような。(笑)

●豪傑NO.1 題名:恋する乙女たちよ、平成を作るのは君だよ
投稿日 : 2000年1月30日(日)23時11分

みなさま、こんばんは。お待ちかねの私が豪傑NO.1です。
♪お〜れ〜はジャイア〜ン、ガ〜キ大将〜。色男、パーシーは目じゃないぞぅ〜。
週刊新潮によると、六本木から市ヶ谷に移された防衛庁の新庁舎は宇治平等院がモデルであるという事で、色男がいみじくも提言した「平成=宇治十帖説」を裏付ける記事に少しだけうろたえてしまった。なお、市ヶ谷駐屯地一号館は解体、同敷地内に移設保存され記念館となっており、あらかじめ広報課に電話予約すればガイド付きの約一時間のコースで三島由紀夫が切腹した部屋、演説したバルコニー、東条英機以下A級戦犯が裁かれた極東軍事裁判の法廷などが無料にて見学できます。これはすごい。九段会館に隣接された昭和館と併せて見学、昭和史を学習してみましょう。
ところで、その昭和史について読売新聞が「にっぽん人の記憶 20世紀」という連載記事において取り上げていたので紹介しておきます。1月25日火曜日付けから合計4回にわたるシリーズでした。またしても全国55歳から75歳までの年齢層と20歳前後の二世代に対してアンケート。昭和のイメージはどれですかという設問に対して「戦争」「高度経済成長」「平和で裕福」という選択肢から一つ選んでもらったところ、一番多かったのは「戦争」の35%を押しのけて「高度経済成長」が46%でした。「平和で裕福」が17%、それ以外が2%です。世代別で見ると70歳代は戦争が64%で最も多く、60歳代にして戦争が46%、高度経済成長が45%と拮抗し、50歳代ではなんと74%が高度経済成長、戦争が7%、「平和で裕福」が19%となっているのです。まさに、昭和は遠くになりにけりですね。そして、20歳前後になると22%が「戦争」、48%が「高度経済成長」、「平和で裕福」が29%で、この世代になると昭和45年までの時間は体験しておらず、歴史として学習している訳ですね。
おまけといっては何ですが、平成について同様のアンケートを取ってみると「犯罪や災害は多発する危険な時代、目標や方向を失った時代」とマイナスイメージを回答した人が8割以上になり、とても暗い印象をもたれているようなのです。現在は戦後というよりはむしろ戦前である、と指摘する有識者は多くいます。「平和で裕福」というイメージは20歳前後の若い世代には昭和の方にあり、同時代を最悪と見ているのかもしれません。
色男NO.1よ、君が言うところの宇治十帖とはこんなものではないはずだ。平成という時代が完結した時、後世の人々はいかなるイメージを抱いているのでしょうか。

●豪傑NO.1 題名:俺は豪傑、女は色男に任せたぜぃ
投稿日 : 2000年3月26日(日)18時20分

こんにちは、皆様。私が映画・音楽両国の管理人にしてスタッフBこと豪傑NO.1です。
)^o^(さん、お久しぶりです。私も本来何か気の聞いた映画批評を用意しておくべきなのですが最近、多忙のせいもあってあまりきちんと鑑賞するに余裕がありません。近年の傾向として国内外共にホラー映画が一つのブームを形成しているように思われますが、何か時代潮流との背後関係を解析した文章などないのでしょうか。顔面相似系の京極夏彦、GLAYのTERU、各々のジャンルにて大ブレイクの様相を呈すは今日的常識の域に到達した感あり、演歌の「孫」から黒澤明の孫まで芋ずる式に個々の項目が連結しあい、時代を一つの絵巻物と完成せしめる神の見えざる手、文化意思の影を垣間見る思いがあります。
一種のプラトン主義者と思われる色男は、実在と現象の二元論を認識する事に執着するあまり、とんでもない神学的世界観の宣伝布教活動に邁進しているようです。このTHE LAST PARADISEも皆様のおかげで無事、満一周年を迎える運びとなりました。
われわれスタッフの間にも、語り尽くせぬ様々な試練がありましたが、これを難なくやり過ごし、ようやくここまでたどり着けた事にひと時の安堵を感じています。
パーシーは沿線民俗学に独自の見解からアプローチし、世界解釈の果てに精神世界の中心の場所として中央沿線を規定し、あたかも世界四大河文明に先駆ける事高天原のごとく、ビックバンから派生したところの現象世界として万象を説明し尽くそうとする欲望は色男の影響によるところと推察されます。この世の一番初めと終わりを言葉として定着し、その限界より彼方へと超越するを志向する事、他に並ぶべきものなし怪物としての色男。あの男の中では三鷹から東山・宇治、エルサレムを貫いて頂上世界の場所へと収斂する事は自明であり、それを知らざる事、すなわち不可知論的あり方において人間は苦界にある、と色男は常々説法しております。
それはそうと、色男が語録をUPしたのだから、私の豪傑NO.1語録もUPする事叶わないものか、WEB担当パーシーに相談してみよう。仲々どうしてこの私とて色男に勝るとも劣らぬいい味わいではないか、どう思われる、花咲く乙女たちよ!
今を去る事、2/27、私は自ら志願して第17回宇治川マラソン大会10km青年男性の部に参戦した。天候は曇り、気温5.5℃、湿度54.0%、西の風4.0m、山城総合運動公園(太陽が丘)をスタートし、関門制限白川浜とゴール地点(陸上競技場内)を見事クリアし、59分51秒で完走した。ゴール地点に設置された給水所のエネルゲンなる美杯をあおり、勝利者にふさわしい貫禄であたりにいる女子高の陸上部員諸君に声をかけて回った。なんと豪傑にふさわしい振る舞いであろうか。しかし、その成績たるや総合順位712人中532位、種目順位180人中125位、哀れ私は勝利者ではなく敗北者だった。月桂冠をかぶったのは陸上自衛隊の若き兵士である。この豪傑をして君に賛美の言葉を授けよう。あっぱれ若者よ。見事この豪傑の老体を超えようとは日本男児の誉れなるぞ!
色男にパーシーよ、私のようなハードボイルドな生き方にジェラシーを感じないか。もし、私が女であれば感動と涙に打ち震えながら老いたる英雄の方に雨のようにキスを浴びせる事だろう。GOOD LUCK 女人達よ。老兵は帰還する。女人たちは色男の胸で甘えな。