色男No.1語録(2003・平成15年度)


藪の中と天皇 色男No.1 2003/04/02 23:46
こんばんは、私が色男です。
上流階級のデカダン生活を描いた「甘い生活」は昭和35年に製作公開されましたが、それに先駆けて「鏡子の家」は昭和34年に発表されています。慎太郎によると、三島にボクシングをそそのかしたのが他ならぬ彼自身であり、それが「鏡子の家」の深井俊吉というキャラクター形成に影響を与えたと、慎太郎は考えているようです。そればかりでなく、慎太郎の「亀裂」を意識して「鏡子の家」は創作されているとまで書いています。また別のところで三島を日大ボクシング部に紹介したのは安部譲二であると、安部自身が証言しているし、肉体改造や文士らしからぬ奇妙なフッションは美輪明宏の冗談に傷ついたのがきっかけだろうと、美輪は語っていますから、まさに真相は藪の中です。
「地獄に堕ちた勇者ども」についても、昭和44年製作45年公開で、同じレーム事件を扱った「わが友ヒットラー」が昭和43年発表の作品でヴィスコンティに先んじています。
 (^^)さん、知らない間に娘さんが立派に成長せれていたというのは、嬉しい事ですよね。
 皇室関係の本と言えば、私は古史古伝やらご落胤もの、出口王任三郎から熊沢天皇まで余程変わったものばかり読んでいます。近代の天皇では大正天皇が面白いですよ。

異常な自己演出能力 色男No.1 2003/04/13 02:07
こんばんは、みなさん、私が色男です。
長い間一部の好事家にだけ知られていたマイナーな哲学小説の書き手足穂は60年代末期になって、にわかにマスコミの注目するところの存在となったのですが、その発掘と再評価の演出は実に三島自身が手がけたものでした。サブカルチャーと全共闘全盛のこの時代、三島は一群のサブカル表現者のパトロン的存在だったのですが、文学全集の編集や文学賞の選考など最高の文壇政治力を誇った三島は「少年愛の美学」を日本文学大賞に推して、最終選考に残った井上靖の「おろしや国酔夢譚」と争って、同時受賞で妥協したというエピソードがあります。非文壇的仙人の足穂は三島演出に利用されては敵わないと思うところがあったのか、生前、三島の悪口を吐きつつけ、三島も澁澤龍彦との対談でその事に触れ、あの人はテレ性でこちらが持ち上げるほど悪口を言う、実に愉快だ、しかしながら、最終的には僕はあの人しか信じようがない、と語っています。
そして、自分が人生でなにか愚行を犯し、日本中が笑った場合に、あの人だけが自分を分かってくれるという確信がある、としています。つまり、この自意識家は間接的に足穂の思想が自らの行動の形而上学的側面を保証するものである事を鋭く洞察し、決起に先だって後世にミシマ思想の手引きを残しておこう、という意図が含まれていたように思われます。
ナルシストはやがて、文壇を俗世間と同一視し、自らを弥勒とする事で、最終的完成を目指したのでしょう。
 三島は時折、作中に偽者と本物の二元論的対立の構図を持ちこむのですが、これは明かにプラトンのイデア論を敷衍したもので、同時代のサブカルや学生運動あるいは言語表現を一律に葉隠における芸道のうちに包摂して、自殺によって差別化を図り、相対主義的世界からの飛翔によって、永遠なるものとの同一化を果たしたものと考えられます。
自意識家は常に自らが不在と化した世界を想定して、全てを演出していた訳です。
「美エロティシズム死」とどこかで言っていたように、彼自身がゾルレンとしての天皇であり、やがて世界単一国家のような状況が到来して、「日本」がなくなってしまったとしても、そこで固有名として想起されるのは自分である、という訳です。
埴谷雄高との対談で、未来の預言者は死なずとも啓示を体現すればよいとしたのに対し、三島は預言者は死ななければならないと語っており、そこでも三島思想をあらかじめ解説していました。
汎神論的自然調和の日本風土において、あるいは三島は武田泰淳も言うように宇宙人だったのかもしれません。生前から、なにかと私小説的文壇から観念過剰だ人工的だ造花だと評されて来たのですが、これが一神教的普遍性の世界文学の文脈に置き換えた時、価値観の転倒が起こり、何らの違和感なく世界の同時代文学として受容されたのです。弥勒には、日常的な写生一辺倒の私小説的サロンが俗世間に見えたのでしょう。
トーマス,マンがゲーテとトルストイを自然の人、シラーとドストエフスキーを精神の人と分類しましたが、当然、それを三島が知らなかった訳もなく、詩を書く少年などで自己規定もしています。
日本の文芸では古来より万葉調と古今調の形式的美学的対立があり、王朝文学が様式美の洗練へと発達した経緯があったためか、近代以降は自然主義のヘタウマ的リアルが幅を利かせるようになる訳です。王朝文学の継承を自認する三島にしてみれば文章はうまくなければいけませんし、そこで文体重視の観点から鴎外と鏡花を双璧として評価しています。風景描写も観念的に再構成しているので、奥野健男などは「潮騒」を読んでも潮の香りがしないし、銭湯の富士のペンキ画みたいだと評しています。海外マーケット開拓を意識した戦略的オリエンタリズムという評価も根強くささあやかれていますが、世界一週旅行を3度もして、欧米の文化人と交流しては自邸のパーティーに招いたというエピソードも、この国際人の営業能力の高さを今日に伝えるものです。
文学作品においては同時代的普遍性を持つ三島も、行動者三島の演出においては「日本及び日本人」という限界を意図的に与えていきました。映画「ターミネーター2」におけるシュワルツネッガー演じるところの旧式が、いわば三島であり、筋肉という形の中に閉じ込められた存在は、液体記憶合金の新型より、「進歩」していません。変身可能な新型は安倍公房的匿名性でxとでも賞するものです。「日本」のなくなってしまった未来社会で「日本人」の形の中に留まり続ける事、変身を拒んだ仮面ライダーというのが、三島のサブカル的解釈になるでしょう。
したがって全てが匿名性のxの裡に溶解してしまった世界において、郷愁をもって最後には復活し、ナルシスの願望充足に君臨する事になるであろう事までも念頭に思い描いて、日本的に切腹におよんだのかもしれません。

黒蜥蜴 色男No.1 2003/04/22 01:17
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 (^^♪さん、私も多忙を言い訳に書き込みがなかなか捗らず、入国者の皆さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。書きたい事はたくさんあるんですが、時間を作る事にもう一工夫必要ですね。ところで先日テレビで放送された「たけしの誰でもピカソ」は見逃してしまったのですが、その翌日の「ETVスペシャル」はきちんと見る事が出来ました。現在主要都市で公演中の「黒蜥蜴」のメイキングのような番組でしたが、美輪明宏の演出術やこの舞台にかける情熱がインタビュー形式で語られていました。
三島に関するエピソードもあって、美輪の語る三島像はいささか単純すぎるものですが、それはそれで興味深いものです。魂の純度の高い頑是無い幼子のような三島こそが一番美しいもので、美輪がいろんな人物と交際する上で基準にしているのは、それだけだと言う事です。


黒蜥蜴観劇評 色男No.1 2003/05/20 01:36
こんばんは、みなさん、私が色男です。
 (^_-)-☆さん、存在を忘れるなんて事はありえないので、心配ご無用ですよ。金融機関でのお仕事日々精進されているようで、お疲れ様です。社会に出ると、それまで遭遇する事のなかった人や出来事に戸惑い、反復する職務に忙殺され、自分だけの小さな内面世界が蒸発してゆくような感覚に襲われるような事があるかもしれません。人によっては環境の変化は五月病やら軽鬱のような症状を引起す事さえありますので、とにかく生活をパターン化させる事なく、右脳を活性化させるようなリフレッシュ効果を日常性の中に巧く取り込んでいく事が必要です。新人の時は失敗を恐れず、積極的な取り組みから経験則を養っていけばいいのです。私はいつも(^_-)-☆さんを応援していますよ。
 ^^;さん、はじめまして。今、御国では悪名高い肺炎の蔓延で大変だと思いますが、どうですか?太宰好きと言う事ですが、中国でもその存在は知られるところなんでしょうか?
 太宰は「惜別」はじめ中国に取材した作品も少なくありませんし、親しみやすい要素が多いのかもしれませんね。パビナールのEnglish-nameというのは私は不勉強で知らないのですが、(^^♪さん、ご存知ですか?
 ところで(^^♪さん、私は去る5月10日、大阪の千秋楽で「黒蜥蜴」を観劇して参りました。とにかく舞台美術の壮麗さと美輪明宏の発散する耽美的オーラが実に調和していて、三島がこの作品で目指したであろう世紀末デカダンスが申し分なく体現されているように思われました。ロココ風の装飾過剰の科白も美輪明宏が口にすると、何の違和感もなく、シュトラウスやマーラー等の浪漫派のシンフォニーに身を委ねるような心地よさが全身を包み込むように、こちらに忍び寄り、いつしか溶け込んでいきました。ただ、三島演劇の常としてよく言われるように、その大時代なゴージャスな舞台にリアリティを与えるような俳優がそうざらにいるとも思えず、美輪以外の俳優の現代性が時に不協和音を起こす事もあるようで、その辺の主役と脇役の存在感の不均衡をいかに演出によって処理するか、というのが見所になってくるのでしょう。劇中、歌舞伎調で大見得を切ったり、意図的に非現実の細部を積み重ねる事で、観客にある種、リアリズムとは異なる様式性を前提してあるのが、すぐ見て取れるのですが、それは新劇一般のお約束なのかもしれません。明智を失って悲嘆にくれ、自らの死を予感するかのような黒蜥蜴の孤独が、同時代に存在し得ぬ者の存在論的悲劇とオーバーラップし、猥雑なまでの生命力に満ち満ちた黒蜥蜴一座の空騒ぎの中に一人悲愁に彩られた主役の姿が浮き彫りに去れ、明智事務書のスタッフ達の機能性重視の現代的事務処理能力、宝石商一家の日常性のぬるま湯に首までつかった緊張感のない弛緩した科白回し、これら全てが輪をかけて主役の存在をこの世のものならぬ不調和の極地へと追いやって行くかのようです。そして、黒蜥蜴の悲しみ、その存在の本質の唯一の理解者が探偵であり、他ならぬ彼女の敵であるという絶妙の皮肉。美輪明宏の入魂の演技はそれこそ怨霊にでも憑依されたかのような他者を寄せ付けぬ卓越したもので、返す返すも三島演劇は俳優を選ぶものだと言う事を感じました。

中国での日本文学受容 色男No.1 2003/05/30 01:43
 ^^;さん、お返事遅れまして、大変申し訳ありません。パラダイスのスタッフは私を含め、皆、超多忙集団なので、時にはお返事の遅くなる事があります。ご了承下さい。でも、書き込みは遅くても、きちんとしますので、他の国の掲示板やコンテンツを旅行しながら、気長にお待ち下さいね。
ところで、中国では太宰の作品はどれくらい翻訳されているのでしょうか。惜別はやはりご存知でしたね。あれは昭和19年の特殊な状況下に執筆されたもので、今日、必ずしも太宰の代表作とは見られていない作品ですが、あそこに描かれている魯迅は多分に太宰的に歪曲されているので、中国の読者がどのようなご感想をお持ちになっているのかなど、非常に気になるところではあります。
 また太宰以外の日本人作家では誰がよく読まれていますか。いろいろと質問みたいな事になってしまって大変恐縮ですが、よろしければ参考までに教えていただければ、ありがたく思います。

(新日本文学会)05年に解散へ  色男No.1 2003/06/18 02:36
こんばんは、みなさん、私が色男です。
 以下、6月17日付けの新聞記事をヤフーニュースより全文引用しておきます。
「(新日本文学会)05年に解散へ 財政難、文学運動低迷理由に
 戦後の左翼的な文学運動の一端を担い、作家や評論家を生み出してきた「新日本文学会」が、05年をめどに解散することが決まった。針生代表世話人は解散理由について「財政難と、文学運動が時代の要請に応え切れなくなったことが大きい」と説明している。1946年創刊の文芸誌「新日本文学」も廃刊する。(毎日新聞)」教科書的な説明を補足すると、新日本文学は戦前のプロレタリア文学をそのまま戦後に継続するもので、政治が文学に優先する運動体でしたが、それとは異なる形で戦後文学をリードした「近代文学」は既に60年代の末には終刊していました。
 ^^;さん、[老(アルト)ハイデルベルヒ],「フォスフォレッセンス」,「おさん」,「親といふ二文字」...などはいわゆる太宰後期、1945年以後の戦後の短篇になります。太宰BBSには、^^;さんのような若い方が大勢いらっしゃるのですか?
 (^^♪さん、「シカゴ」はどうやら豪傑が見たようです。あれはもともとフォッシーが手がけたブロードウェーミュージカルのヒット作なんですよね。野村万歳によるシェークスピアについても、観劇なさった時には是非こちらでご感想を聞かせてくださいね。

新ハムレットは如是我聞に先立つ文壇批判!? 色男No.1 2003/07/03 01:13
こんばんは、みなさん、私が色男です。
 (^^♪さんのハムレット、^^;さんの太宰の話題をミックスして、今回は「新ハムレット」について少しだけ書いてみようと思います。昭和16年7月、4ヶ月かけて執筆された太宰の初長編ですが、はしがきでは戯曲作法に就いてほとんど知るところがない、これはレーゼドラマ風の小説だと思っていただきたい、という作者の自作解題がありますので、以下、そのような作品として話をすすめる事にします。
 登場人物や時代背景はそのままシェークスピアをなぞっているのですが、ストーリーが異なっていて、劇的緊張に乏しく、どれもが太宰的に冗長な一人芝居の趣きがあります。全てが太宰的嘆願でハムレットの外観を借りた如是我聞と言えば分かりやすいかもしれません。
 それから、モチーフとしては、戦後版のあとがきで、クローヂヤスによって近代悪というものの描写をもくろんだ、というものですが、太宰の中で他者としての悪人像を獲得するに至るのは、「親友交歓」や「人間失格」の堀木、ヒラメを待たねばならないと奥野健男も語っています。太宰が最後に悪人と名指ししたのは他でもない井伏鱒二なんですが、この「新ハムレット」が狭い文壇社会の縮図として、クローヂヤスに志賀直哉、ポロー二ヤスに井伏、そしてハムレットに太宰自身を当てこんで書かれたものだという珍説を私は聞いた事があるのですが、それならば明瞭に開戦前夜に、所謂老大家に対する批判を胸中に抱いていた事になり、猪瀬直樹の「ピカレスク」などで、井伏選集の解説を担当する上で旧作にあたり、自分が作品で笑い者にされているのを知って、関係悪化するという説が翻される事になってしまいます。
 パーシーは現在、体調を崩して入院しています。検査によると、心因性と過労の合体したみたいなもので、ひとまず大事にはいたらず、ほっとしました。刻苦勉励するパーシーも一休み一休みという感じのようです。

兄妹の禁じられた恋及び日本型ポップの源流 色男No.1 2003/07/12 06:55
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 「豊饒の海」。万物を包摂する世界解釈の小説のテクスト内部にはついぞ本物の天人は現われない、つまり本物の天人を言語化する事は出来ないと言う、自己言及の不可能性。
 私は以前に「盗賊」で同様の論旨を展開した事があります。
 三島の意識は現在に密着し、未来は自分とは無関係であるというんですから、偽者の内面生活には割りと冷淡で あのような叙述になったのかもしれません。「天人五衰」は三島から見て近未来小説ですから。
その未来こそが現在でもある村上春樹は三島からクミコ(ねじまき鳥クロニクル)を奪回しなければならない。
 村上春樹の新約による「ライ麦畑でつかまえて」が話題になっているようですが、70年代には日本のサリンジャーとして、庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」にはじまる薫君四部作シリーズが話題となりました。私はこのシリーズについては未読でなんともコメントできないのですが、丹生谷貴志によると、庄司は福田章二という本名で三島にまず発見され、その影響著しく、「豊饒の海」最終巻でそれが書かれる時点の事象をふんだんに描き込んだ追跡小説であろうとした「天人五衰」を別の形で実現しようとしたもの、と言う事になるらしいです。庄司は書き止める事というヴァレリー的な(?)テーマを持っていて、その四部作の完結と同時に完全に作家活動を意図的に放棄した作家で、その後のピアニスト中村紘子さんの夫としての自適の生活は、ある意味、「天人五衰」の透の絹江との入籍後の生活を彷彿させるものである、という印象があって、隠遁のサリンジャーとともに70年代型の自意識のある典型があると考えられます。私なども表現者としては隠遁しているようなものかもしれません。
 一部福祉業界に衝撃が走った今回のパーシーギランバレー症候群疑惑と緊急入院事件は、精密検査の結果、一時的な末梢神経の機能低下による四肢麻痺状態と診断され、仕事からの離脱と静養により回復し、今月7日には退院、週末までの自宅静養となりました。みなさまには多大のご心配とご迷惑をかけ大変申し訳ありませんでした。上述のように予定では週明けには現場復帰いたしますので、これまで通り、パーシーをよろしくお願いします。

イメージの迷宮、横尾忠則の世界  色男No.1 2003/08/04 23:12
こんばんは、みなさん、私が色男です。
 私は先日、黒蜥蜴、シャングリラU、に引き続き、京都国立近代美術館で「横尾byヨコオ 描くことの悦楽 イメージの遍歴と再生」展を鑑賞して参りました。私が行った日には横尾忠則の講演及びサイン会があり、PM12時の先着100名までの整理券を獲得すべく2時間あまり座りこんで待ち、横尾と視線がバチバチ合うほど、わずか2〜3mほどの距離で、トークショーを聞き、展覧会カタログにマジックインキの直筆サインまでもらって帰りました。横尾作品は満5歳の絵本の武蔵小次郎の模写から始まって、1枚1枚がそれ自体として完結する事なく、スターシステムよろしく細部が使い回されるように、別の作品に脈絡なく出現し、イメージはしりとりさながらに連鎖して、この人ほど作品を制作年代順に展示する事の不毛を暴き立てる人はなく、その世界観は発展もなく起点と終点はウロボロスのように接合されています。同一のモチーフが時代を超えて何度も描き直され、それで終りかと思えば、その作品は他の作品のパーツとして、さらに再度現われもする横尾の世界。私のパラダイスにおけるコンテンツ作りの方法論とシンクロニシティーを思わせるほどに、よく似ているので、革めて驚かされました。
 (^^♪さん、パーシーの此の度の入院の件については、いろいろとご心配をかけて、申し訳ありませんでした。本当に困った時にはSOSを出すべきですね。
 ^^;さん、村上春樹は海外でも人気評価共に高く、韓国でも熱心に読まれているようです。
 (*^_^*)さん、お体の具合はどうですか。1日も早く良くなるように、お祈りしています。
私のHNに関しましては、三島の愛人(笑)という意味ではなく、豪傑が先にHNを考えていまして、それに対抗すべく、ますらおぶりには、たをやめぶりを、と言う事で名付けました。
 (^_-)-☆さん、お久しぶりです。お帰りなさい。五月病になりながらも脅かされながら仕事をしていて、学生時代の自分が輝いて見えるとの事ですが、パーシー同様、多忙さに体調を崩したりしないか心配です。人生はパターン化によって時間軸が加速度的に短縮されてゆく行程だったりするもので、小学生の頃の6年間は本当に長く感じられるのですが、30を越えてからの6年間は冗談のように早く過ぎてしまいます。だから過ぎ去ってみて、若年期の10年間がいかに大切なものかと気付かされる訳ですね。若い頃は誰しも自分中心で世界が回っていますから、どんな人にとっても、それは黄金時代です。でも、生きていく事で、それが一回性の美ではなく、人間開闢以来無限に反復されてきた事の一齣に過ぎなかった事が、その人なりに理解され、見えてきます。その自然界の摂理の宗教的比喩が輪廻転生に他ならないのかもしれません。自分はなんて短調な不毛な生を生きているのだろうという思念は、一万年前にも誰かによって抱かれ、また一万年後にも誰かによって抱かれ、それがこの世の終りまで永劫続いていくのです。ゲーテも言うように、生きていけば分かる時が来ます。全ての人に仏性はあり、悟りへの機会があるならば、(^_-)-☆さんのように若さを持て余しているのであれば、迷って言い訳ですし、また迷うべきなのです。そのうちに、今以上に仕事に習熟して、後輩の粗なんかも見え出した頃には余裕も出来ているでしょう。その時には恋でもすればいいのです。

パロディ化の寛容と拒絶 色男No.1 2003/09/01 01:53
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 最近、週刊誌を見て知ったのですが、フジテレビのバラエティー番組「ワンナイ」の中でダイエーの王監督を侮辱するコントを放送して、プロ野球関係者の逆鱗に触れ、同番組の製作者サイドが謝罪したという出来事があったらしいのですが、私の早とちりで正確でないかもしれませんが、王監督の顔がトイレの王シュレットという製品になっていて、口から噴水が出て洗浄してくれるというものを面白おかしく取り上げたようです。パロディには絶対志向性を内包するところの現象を相対化する表現と考えられるところがあるのですが、権力からの自由度を示すものとしてパロディの過激さが表現の上で試みられる事があると思うのですが、そのパロディの対象とされる方でも割合寛容に自虐的に流してくれる人と、自らがパロディ化ないしは戯画化される事を受容せずに、あくまでセルフイメージの徹底的自己管理をなそうとする人がいるみたいです。「家畜人ヤプー」の肉便器がヒントになったのかもしれませんが、自分の肉体が他者にそのような形で使役されるというのは確かに心地よいものではありません。一時、フジテレビとダイエー球団側がかなり険悪になったようです。この一連のエピソードで思い出したのが、三島は自分がパロディ化もしくはカリカチュアナイズされる事を嫌い、美術家の横尾忠則の三島像に駄目だしをして本気で激怒したという話しです。横尾は、三島の絵を描く時にどうしても漫画チックに表現してしまいたい欲求にかられるのですが、結局、尊敬する三島への礼節を表現の自由に優先すべきだという結論に到達したらしいです。若き日の三島が太宰作品で最初に読んだのが「虚構の彷徨」3部作で作者の自己戯画化に我慢できず、その自意識の形が嫌いになってしまったと、「私の遍歴時代」にも、書いています。
 (*^^)vさん、お久しぶりです。今年でめでたく大学院を修了され、工業高校の非常勤講師をされるのですね。おめでとうございます。太宰は生涯、三島よりも西へ行った事がなかったらしいのですが、私などは逆に成田空港よりも東に行った事がありません。そのうちに是非行ってみたいものです。
 (^^♪さん、「シカゴ」の舞台版ご覧になったのですね。スキャンダルで犯罪者を有名人にしてしまい、裁判なんかもライブショーみたいに演出してしまうという敏腕弁護士がプロデューサータッチで描かれているんですよね。またスターの新旧交代や落ち目になったもの同士がユニットを組んで再デビューを果たすなど、とても華やかなんだけど虚飾に生きる人間の空虚や劇場化された現代社会もきっちり描いていて、なんだかしみじみしてしまうところもあると豪傑が評していました。
 ^^;さん、確か以前の書き込みによると、中華人民共和國北京市東城區謝家胡同というところにお住まいなんでしたよね。中国だと観光名所も山のようにありそうで、一生かかっても全国漫遊もままならないという感じなんでしょうね。やっぱり、天安門広場と万里の長城が一番の有名所なんでしょうか。

美それは宿命 色男No.1 2003/09/24 23:21
こんばんは、みなさん、私が色男です。
日本文学における耽美という問題について考察するならば表現者たる主体は、美をあくまでスタティックな他者として認識するようなところがあって、谷崎や川端は特に美しい日本なるものに主眼があって、海外市場を意識したオリエンタリズムという批評が、今日的にももっともらしく議論の的になったりしています。ところで三島の場合、いわゆるギリシア体験以後、死刑囚にして死刑執行人を以って任じ、美を創造するものが同時に美それ自体である、という矛盾を自己の存在論的課題として背負い込むようになります。祖母、この深情けの恋人との長い蜜月関係が幼い三島に現実にも勝る美的世界の中に自閉する事、それを耽溺する事の頽廃的な悦楽を教えて、三島にとっての外部=現実に関わる事を困難なものにしたのでしょう。蒼白い貧血気味の子供は祖母の選んだ女の子の友達とだけ遊んで、絵本などからいつしか同一化の対象として、美しく殺される王子という主題を自らの観念の裡に育んでいきました。祖父を官僚故に嫌悪したというよりは、兵庫県の成り上がり者であるという出自を忌避したのではないかという説の方が、三島の耽美趣味からは理解しやすいでしょう。60年安保以降の文学外の領域への進出、肉体改造から政治表現まで、現実にコミットする上でもなお、美は三島自身の問題であり、「ニヒリストが絶対主義の政治に陥らぬために、「美」がいつも相対主義的救済の象徴として存在する、(略)美は、ともすると無を絶対化しようとするニヒリストの目を相対性の深淵を凝視することに、連れ戻してくれるはたらきをするのである。」(新ファッシズム論)三島の行動哲学の役目としては政治を、その本質たるリアリズムへ連れ戻す事にこそあったのです。マゾヒストは権力の玉座ではなく、まさに悲劇の只中において存在論的飢餓は全的に癒され、陶酔によって鏡を必要とする事なく現実に自足できるのです。
終りなき日常における覇者としての官僚性、現実に自足して正確に対処する能率優先主義が政治家に求められる資質であり、いわゆるニヒリストは現実に価値を見出せない虚無論者として、ロマン主義者とはまた別の意味で反政治的存在と言えるでしょう。ですから、ここで問題設定する場合、ロマン主義とニヒリズムは反政治的資質において共通項の見出せるものと位置付け、官僚型秀才はリアリストである故に現世の競争原理の中で支配者階層を形成し得る、と考えればよいでしょう。
「政治的人間とはどうあるべきかといふ考察が、つぎつぎと私の心の中に生まれた。私は何かといふと、私はニヒリストである。しかし幸ひにして、私は小説家であって、政治家ではない。」これは「美の襲撃」というエッセイの中にある三島自身の言葉ですが、三島が極端な反政治主義者であると自己規定して慎太郎のように国政選挙に出馬するなどの政治参加をしないのは、もし自分が政治家となれば岸信介のような、あるいは大きなニヒリストであるヒトラーのようなタイプになるであろう事をあらかじめ分析し、それを自らに禁じたのでしょう。三島にとって栄光とは破滅の美学以外のなにものでもない訳ですからね。
ところで、慎太郎は三島の死後になって、三島は選挙に出るつもりで、その準備もしていたが、自分が三島より先に空前の得票数で参院選に当選したので、政治家になる道を断念したという事をいろいろなところに書いていますが、私の知っている限りでは三島自身のエッセイなど公式の発言としては、そのような事実はないようなのです。もっとも慎太郎は同時代に三島と交際できた特権で、非公式に三島の本意を聞いたのだと強弁するのでしょうから、私には反論の材料はありません。
三島は中村光夫との対談で次のようにも語っています。──荷風の日記は美しい、よい文章であるが、あの現実蔑視というのはモーパッサン以上のものだ。その現実蔑視から荷風は痩せているんだが、自分もそれに共感を感じるから困る。自分の筋肉は人工的なもので嘘だ。──私が少し編集しましたが、三島はこのような事を語り、自分がニヒリストである事を自白しています。
次に自意識過剰は自己評価の低さからくるか、という話に移りますが、これは完全に三島と太宰を同族として一括する論旨になっていると思います。絶えず他者の視線の中に自らを露出し続けた三島としては、どんなにハードな管理社会が到来したところで、24時間完璧にスタイリッシュな立居振舞いで応戦した事でしょう。昔から三島嫌いという人の中には、こういったキザな部分が許せないという人が多いんですね。腹が出てくるのは末代までの恥だといい、プールサイドから中年太りした奥野健男の肉体を見て、豪傑笑いするような人だったようです。自分と同様の資質を持つ太宰に対する嫌悪というのは、太宰が自らを道化にしているところですね。道化というのは、だいたいヒーローの引立て役で太鼓持ちですよね、太宰は悲壮美の人、イエス、キリストの太鼓持ちです。三島の美意識というのは、自らの肉体から不随意筋及び脂肪を駆逐するかのように、同情を引くような自己憐憫や笑いを駆逐する事にあり、文字通り、自らの存在にヒーローを体現する事にあるんですね。誰か他者の太鼓持ちなんて死んでもやらないという、強いこだわりがあって、政界なんかに身を置いた日には金に体を縛られて、美意識なんて言ってられなくなってしまう。
江藤淳に無意識過剰と呼ばれた慎太郎は、三島のポートレートに辟易する訳ですが、最後に三島の絶対に美しい写真を見たといいます。それは大自意識家である三島が誰の視線も感じる事なく、その無意識を露見させて、市ヶ谷の総監室で学生達を指揮しているところを隠し撮りした写真で、慎太郎はそれをさる警察官僚から見せられたといいます。
 (^^♪さん、西のマトリックス、東のヒーロー、この国はまだ本当のヒーローを知らない、でしたよね。面白そうだし、見たいなあと思っていたのですが、まだ見てないんです。中国はこれからオリンピックや万博を控えて、ちょうど60年代の日本みたいに高度成長期で活気があるみたいですね。日本は国自体が老いの仕度といった趣きで、、、、本当に昭和は遠くになりにけり、ですね。
世界史的人物について 色男No.1 2003/10/10 01:18
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 (^^♪さんがご覧になった「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」は、来年開催されるアテネ五輪の関連文化事業として行われるもので、関西でも10月18日〜12月21日まで、兵庫県立美術館で見る事が出来ます。古代マケドニアのアレクサンドロス大王の東征によって興隆したヘレニズム文化(教科書的説明を付け加えますと西欧における二大文化的潮流の一つで、ギリシア+オリエントで、ヘブライズム文化に拮抗するもの、という事になります。)の余波が、従来の定説では中央アジアまでの範囲に及んでいたと考えられていたものを、さらに遠く極東日本にまであるという事を検証する壮大な展覧になっているらしいですね。ギリシア文化省のある研究者も、「大王はただの侵略者ではない。ペルシャの王家を守り、異民族同士を集団結婚させて、文化の融合を図っている。」と力説しているようですが、大王の「偉業」はその後も、世界史上に帝国主義の亡霊となって、ナポレオンから、ナチスの第三帝国、あるいは昭和前期の大東亜共栄圏にまで反復されている、という意味においても、空間のみならず時間を超えて、世界史を呪縛する精神主義のアーケタイプになっている、と見なされる事でしょう。三島がエッセイなどで度々書いているんですが、大王は30歳以降の自分の肖像画を一切描かせなかったようです。

ダンディと決別する延命の覚悟 色男No.1 2003/11/02 16:21
 こんにちは、みなさん、私が色男です。
 (^^♪さん、友人のご主人の同級生に土方の子孫が居るというのは歴史ファンとしては素直にすごい!と思えるような話ですね。土方歳三は現在残っている写真を見ても、ダンディで美貌の持ち主ですから女性に人気があるのも頷けます。まずは幕末の色男No.1というところでしょうね(笑)。三島と共に自決した事で知られる森田必勝は司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んで以来、最後まで新政府に叛旗を翻した挑戦の態度がいい、と土方を敬愛していたようです。
谷崎は昭和に入ってからが傑作の量産期で、やはり関西に移住する事で古典回帰した事が大きかったと思います。三島も、「細雪」が海外でカンバセーションノベルとして紹介された事を何度もエッセイ等で取り上げ、日本文化の様式を記録した傑作として、永く世に伝わるだろう、と語っています。それでも、作者自身によってさえ否定された感のある、大正期までの谷崎作品にもまた独特の魅力があるのも事実です。世紀末デカダンスとも神のいない泥絵の具とも評される作品群は、当時の文壇の中心的勢力だった白樺派のヒューマニズムに対して、自らを対比的に背徳の人物として造形して悪魔主義とも呼ばれました。ワイルドの「ドリアン.グレイの肖像」に影響を受けたと思われる「饒太郎」など、同時代的には佐藤春夫によって谷崎の代表作とまで言われたのですが、今日ではその作品論にお目にかかる事もあまりありません。まだ、この段階では谷崎自身が自らを芸術的作中人物にしようという欲求から決別していなかったようなのです。論争した芥川があのような形で死に、震災で廃墟となった東京を離れて、谷崎は自殺を否定するようになるのですが、ここから所謂谷崎文学の名作が続々と書かれるようになるのは興味深いものがあります。

谷崎の評価をめぐる歴史的変化 色男No.1 2003/11/22 11:49
こんにちは、みなさん、私が色男です。
 谷崎は日本の近代作家中でも海外で最も評価の高い作家である事に間違いないのですが、その存命中は意外にも文壇政治の蚊帳の外に置かれ、必ずしも主流派の文豪とは見られていなかったようです。日本的な私小説の完成者とされる志賀直哉はヒューマニストであるとされ、谷崎よりも高い評価が与えられていたのは言うまでもありませんが、大正期には佐藤春夫と比較してさえ低い評価を与えられていたというのは、今日的価値からはにわかには信じがたい話です。実際には多くの愛読者を有する人気作家であり、世間では大物であるという認識もあったのですが、文壇というところは「スター」を冷遇するようなところがありました。戦後の中村光夫の谷崎論でも、谷崎を無思想とする従来路線を大きく出るものではなく、その悪魔主義なるものの本質は鹿鳴館さながらの風俗的次元におけるハイカラ趣味で神の問題など求めようもない底の知れたものとし、大正期にいたっては白樺派の思想にはとてもかなわないとしてヒューマニズムの優位性を認め、自らの露悪趣味を自虐的に位置付けるような文章を書いていたとしています。ところが三島の作家論中に論じられる谷崎は全く別の作家ではないのかと思われるほどに巨大にして魅惑的な「谷崎潤一郎」が、まさに世界的レベルで躍動しているのが感じられます。日本の近代文学で文学を真の芸術作品、真の悪、真のニヒリズムの創造にまで持って行ったのは谷崎などの五指に満たない作家だけであるとし、「卍」は、男性の自意識を全く免れた世界を描いて、容赦なく深淵の中に手をつっこみ、登場人物を冷酷に破滅へ追い込んでゆく手腕において卓抜なものと、高い評価を与え、文学史的にも谷崎像の大きな転換をせまるような迫力ある論旨を三島が提示したんですね。谷崎の恋愛というものは母性的なものとの関係性においてのみ成立し、普通の女とは全部肉欲だけで、肉欲の次元だけで普通の女を描いていて、そこにしかエロティシズムの入口はないとしています。あたかも光源氏が失われた母との母子関係の性的至福を再現しようとすると、あの女性遍歴は必然のものとなる、というのとどこかで重なるような話なんですね。物語というのは魔的な力によって人間を滅亡させるもの、とも言いますし、近代的自我の確立というような教養主義的とは異なる「思想」を谷崎の美意識と文体が体現していたのですが、同時代の理解の方で限界があったというのが三島の見解になるようです。
 (^_-)-☆さん、お久しぶりです。何か精神的にも一回り大きくなられたようで、文章にも安定感があり、頼もしい限りです。自由度においてモラトリアム的な学生のほうが社会人よりもあるように感じられるかもしれませんが、学生というのは親の既存の生活の上に基盤を持つものである以上、自己決定という観点からすれば、限界ある自由の中の制限された自由であるという事に他ならず、人生を根本的にモデルチェンジするような自由は、社会的に独立した人間にしか得られないものなんですね。
 (^^♪さん、パーシーは最近すっかり吉田松蔭にはまっているようで、というのは頭のいい人間というのはとかく非行動的になりがちであるにもかかわらず、松蔭は幕末でも傑出した天才でありながら無謀なまでの行動力で、短い生涯を駆け抜けたところに共感があるようなのです。教育者としても尊敬できるらしいです。

三島の本質は批評性にあるのか 色男No.1 2003/12/10 01:07
みなさん、こんばんは、私が色男です。
 三島は45年という短い生涯の中で個人全集として42巻もの膨大な著作を残したという点において、日本近代の他の大作家と比べての差異が顕著であるように思われます。といいますのも日本においては純文学を私小説と呼ばれる身辺雑記風の心境小説が代表したという特殊な事情があって、その結果、資質的に短篇作家の最も技術的に洗練された一群が文豪とされているようなところがあります。つまり、ストーリーテリングは大衆文学でこそ問題にされますが、芥川のいわゆる話のない小説というものに、東洋的詩精神のようなものが読解されて、それが文壇的にも半ば制度化されてしまったところに、日本文学のお家事情があったという事です。ですから長編小説が純文学のメインジャンルのような待遇を得られるのは、戦後派の全体小説の理念によるのであり、三島といえども、昭和20年代には「近代文学」の同人として、文壇に自らの地位を得たのであって、資質以前の問題として長編小説に手を染める事で、時代潮流におもねるところがあったように思います。日本において、もっと戯曲書きの待遇がよければ、自分は小説家という職業を選ばなかったであろう、というような事もどこかで言っていました。現在のところ、研究者の間でも「鏡子の家」は失敗作であったとされていますし、好みの問題もあるとは思いますが、三島の短篇のいくつかは、その文体や技術的洗練において、文豪の列に加えてもいいような完成度を持つものであったのは間違いないことだと、私なども考えています。
占領時代が終ると、文壇も消費社会の大きな渦に飲み込まれるように週刊誌ジャーナリズムが成熟し、その当時、既に時代の旗手と目され流行作家となっていた三島は当然ながら、多くの雑多な書き飛ばしの仕事を引き受け、それが今日では全集にも収められて、一見したところ古色蒼然とした風俗資料に落ちたと思われるようなものも少なくはありません。しかしながら三島の文章は凡百の雑文書きとは異なり、不易流行とでも言うのでしょうか、皮相な風俗ウォッチングの中にさえ、三島的「批評」が見え隠れしているようなものが、いくつもあります。三島的「批評」というのは、アンチというのに最大の特徴があり、天皇でさえ、三島の手にかかると近代化=西欧化に対するアンチエゴイズム最後の砦というように規定して、三島自身の行動原理に再構築してしまう有様です。三島は驚くほど多岐に渡って、様々な現象について言及した作家でしたが、「三島」それ自体の批評的本質については、ついに最後まで沈黙を守ったように思います。その自決は謎とされ、多様な読解を包摂する巨大な存在として現代に屹立するのを見る時、三島は批評的存在であり続ける事によって、歴史の永遠の呪い手足らんとしたのでしょう。佐伯彰一は「新潮」の三島没後三十年臨時増刊に寄せて、「「批評家」三島を批評する」という一文を書いています。そこで、三島がさるパーティーの席上、俺は第一に劇作家、第二に批評家、第三に小説家だと開高健に言ってのけて、唖々大笑したというエピソードが紹介されているのですが、以下、佐伯は三島の資質の問題として、「座談会などでの三島の発言が、いかに冴えて颯爽たるものであったかは、改めて諸家の証言を徴するまでもない話であるばかりか、文学賞の選者としての三島は、大方の場合、結果が決まるや否や、その場で忽ち、「選評」原稿をさっさと書き上げてしまうのが通例だったと語り伝えられている。(略)わが身の体験に徴しても、これは相当な離れ業である。選考プロセスの疲労もあり、やれやれという解放気分が先行して、到底その場で一気呵成になどとゆくものではあるまい。やはり三島一流の集中力と、速筆そして批評能力の天分と舌をまく他はない。」と、書いています。
 ユーミンについては宗教にまで高められた恋愛至上主義を信条とし、その全楽曲はつまるところ三島へのレクイエムである、という見解を私は持っています。三島はエロティシズムと単なるフリーセックスを区別し、価値相対主義の社会にはエロティシズムはない、と極限しているんですね。ですから反体制運動に見られるような、人間性を管理社会から解放するところのセックス、という認識を批判して、絶対者がなければ人間性の救済というのはあり得ない、と三島は説明している訳です。
ユーミンの場合、バブリーな時代背景の投影としての表層的な恋愛模様のディテールを通して、相対主義的なフリーセックスを賛美しているように誤解されているのですが、三島の不在を絶対者の喪失と捕らえることで逆説的に価値相対主義社会における恋愛を描写するんですが、生まれ変わる事で絶対者との再会を果たし、現世的なものを超越していかねばならないというメッセージを30年間変る事なく唄い続けている、というのがユーミンの本質なんです。したがって、ユーミンに単なる風俗現象を見ようとするところに、三島を隠蔽しようとする時代の気分が現われているという事ですね。
 (^^♪さん、吉田松陰が小塚原で刑死した日を新暦に置き換えると、三島の命日である11月25日になるそうです。織田信長の自己神話化にも三島的なものが感じられますし、三島自身、自分は政治的天皇ではなく幻の南朝に忠勤を励んでいるのだと語っています。

新年あけましておめでとうございます 色男No.1 2004/01/04 03:27
 みなさん、新年あけましておめでとうございます。私が色男です。旧年中はいろいろとお世話になりました。本年も何卒宜しくお願い致します。
 慎太郎は三島によって、そのファリック ナルシズムを指摘されていますが、慎太郎によると、二人の間にはどちらが一番乗りで二番煎じかという子供じみた闘争があったらしく、一番乗り(オリジナル)と二番煎じ(コピー)のシーソーゲームにおいて、エロティシズム(死にいたる生の昂揚)を一番乗りされた慎太郎にはもはや、「老いてこそ人生」という凡庸な大団円しか選び得ず、死んだ三島が仕掛けた罠にはまった慎太郎は、あのようなキャラを生きることを余儀なくされた、と見るべきでしょう。そして、さらに恐るべき事に、三島は自らの死後に残された全てのナルシストに、慎太郎同様の二番煎じの意味付けを与えようとしたのであり,それこそが三島によって仕掛けられた罠=呪縛なのです。三島以後、もう我々は凡庸さを生きる事しか許されない。
 (^0_0^)さん、大晦日の曙戦は紅白のウラとしては善戦し、史上最高の視聴率をマークしたそうですね。一方で、紅白は50%を割って、史上最低の視聴率だったようです。
 (^_-)さん、お久しぶりです。いつも、パーシーがお世話になっています。今年もよろしくお願いします。

三島歌舞伎(柔から剛への変身) 色男No.1 2004/02/04 22:37
みなさん、こんばんは、私が色男です。
 三島が大の歌舞伎好きであった事はよく知られていますが、歌舞伎作者の三島には昭和33年(結婚の年)以降に大きな変身があったようなのです。とにかく明治以降の新歌舞伎や現代語歌舞伎の近代性を一切認めないというこだわりは生涯変らなかったのですが、その昭和33年以後におよそ10年間にも及ぶブランクがあり、突如として昭和44年に三島歌舞伎の集大成とも言うべき椿説弓張月を完成させるのです。それまで近代歌舞伎のアンチテーゼとして礼賛して止まない六世中村歌右衛門のために書き継がれてきたのが、最後には松本幸四郎(八代目)の為朝を主人公とする、英雄譚になっているのです。この三島美学を演じられる役者の不在という問題があったようで、歌舞伎も含むところの演劇そのものへの決別を口にするようになるのですが、豊饒の海と並行して、日本文学小史と、この弓張月の文楽版を最晩年の仕事としています。そして、豊饒の海を除く他2作品については、いずれも未刊で終っているところに、何か意味があるのかもしれません。
 (^^♪さん、土方歳三については、この掲示板でも何度か話題になっていますし、何と言っても今年のNHK大河ドラマが「新撰組」で、書店などでも特集コーナーが見られますね。今ではヒーローとして描かれる事の多くなった新撰組も、かつては悪役敵役というのが多かったようです。私は時代小説のよい読者ではないので、全然詳しくないのですが、皇国史観や単なる剣戟的刺激を離れて、緻密な時代考証に基づいて、初めて新撰組が取り上げられたのは、昭和3年の「新撰組始末記」(子母澤寛)なんだそうです。嵐寛寿郎の映画でおなじみの「鞍馬天狗」でも、仇役と言う事らしく、ちょうど昭和40年代くらいになって、その善玉悪玉の二元論が相対化され、近年に至っては大島渚の「御法度」などで修道問題を中心に置いて、ボーイズラブストーリーにまで物語の幅が広げられているのは、記憶に新しいところです。
 (^_-)さん、パーシーからの連絡は届きましたでしょうか?またのご入国お待ちしています。

日韓ドラマ比較考察 色男No.1 2004/02/23 00:54
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 (^^♪さん、私はギダムではありませんが、サーカスは見た事があります。超人的曲芸の見世物興行という意味においては前近代的なものかもしれませんが、中国雑技団とかボリショイサーカスなど、子供や動物、クラウンが独特の哀愁を帯びてノスタルジーを掻きたてるものがありますよね。韓国ドラマや映画は花盛りで羨ましい程の活況を見せていますね。金大中の日本文化解禁政策により、韓国人もごく日常的に日本のサブカルチャーを目にするようになっているそうなのですが、儒教的といいますか、一種独特な清教徒主義によって、例えば教師は絶対的に道徳的に描写されなければならず、日本のドラマで教師と女生徒の官能的恋愛を描いたものが、物議をかもしたようです。「冬のソナタ」は日本でも大ヒットして、ロケ地巡りのツアーまで組まれたそうですが、私はまだ見ていません。「猟奇的な彼女」という映画はビデオで見て、岩井俊二監督の「ラブレター」を彷彿とさせるストーリー展開で、これはシナリオと女優がよくて感動しました。
 ^/^さん、お帰りなさい。実に3年ぶりのご入国という事なんですが、もうそんなになるんですね。現在とても充実されているようで、本当によかったと思います。ありすさんは無事大学を卒業されて、今は金融関係にお勤めのはずで、お住まいにネット環境がなく、こちらにはあまり、来られなくなっているようです。それでも、時折、この掲示板を覗いてくださっているようで、私としても、いつもお帰りをお待ちしている次第です。珠美さん、これから、(^^♪さんやパーシーともども、宜しくお願いします。 「白い巨塔」については(^^♪さんのおっしゃるとおり、田宮次郎のイメージが強すぎるというか、田宮次郎の生き方そのものにオーバーラップして、乗り移ったような代表作なんですね。田宮はM資金がらみの謎を残して、あのようなショッキングな猟銃自殺を遂げたので、芸能史的にもあまり公には語られる事のないタブーになっており、この度の再ドラマ化も田宮を知る世代には、その封印された存在を解禁するようなメディア工作のような気もしないではないのですね。財前助教授はいわば、昭和における太田豊太郎(「舞姫」の立身出世主義の権化ともいうべきキャラ)なんです。おそらくは、あのような非情な野心家タイプに、作者の山崎豊子は心惹かれるものがあるんでしょう。
田宮に近いメディアイメージを持つ現在の俳優は、インテリではないのが欠点ですが、阿部寛なんじゃないかと、私なんかは見ています。

動く鴎外、発見される 色男No.1 2004/03/14 22:26
こんばんは、みなさん、私が色男です。
 先日の新聞によると、死去する前年の鴎外の動画が発見されたようで、これはそれまで昭和2年の芥川のニュース映像が日本近代作家の最古の動画と思われていたので、大正13年の皇太子時代の昭和天皇が欧州外遊から帰国した際に出迎えた一群の中に、3秒だけ写る鴎外が記録更新となるようです。
 ^/^さん、三島の「金閣寺」はその鴎外にトーマス.マンを足して造形した作品として知られていますね。三島はあるインタビューで、好きな小説家はマンと答えています。「裸体と衣装」の中に、「マンはゲーテから、ドイツの小説における汪洋たる会話の叙事詩的な流れを引き継いでいる。「親和力」や「ヴィルヘルム.マイスター」の長い観念的な会話、パンや葡萄酒や卓上の花や人間や運命や世故や哲学や感情や意見や、あらゆるものが言い尽くされる果てしもないお喋りは、そのままマンの「魔の山」や「ワイマールのロッテ」に受け継がれている。」と書いていて、日本の私小説が写実主義的会話が支配的で小説の骨格を細くしてる、と小説の会話における観念的ディスカッションをどんどん採用すべきという自説を展開しています。「文章読本」では、長編の最も適した文体を持つ作家として、バルザック、ドストエフスキーとともにゲーテを挙げていて、それが日本語の文章と言う事になると、鏡花がその理想形になる、とも書いていますね。村上春樹、大江については、また別の機会にあらためて言及する事としましょう。
 (*^^)vさん、いらっしゃい。ホームページ、ゆっくりと拝見させていただきますね。鴎外も阿部公房も理系人間でしたが、実に立派な作品を残していますし、研究者でも奥野健男は東工大ですね。日本的湿潤性に毒されないクールな文学のページがあれば、是非、見てみたいと思いますよ。頑張って下さい。

日韓ドラマ比較考察その2  色男No.1 2004/03/15 00:15
(^^♪さん、ほとんど同時に書き込みをしていたようですね。「白い巨塔」の財前助教授役として、現在ならば渡辺謙では、という話ですが、それも面白いですね。渡辺謙は、仲居正広主演で、これも話題の「砂の器」に刑事役で出ているようですね。少し下世話な話になると、「白い巨塔」の財前夫人役をしている若村真由美という人が、渡辺謙の不倫相手だったという事で、週刊誌を賑わせてもいるようです。韓国ドラマブームの影響か、今、草剪剛の勢いが凄いようで、今期のドラマ視聴率では、キムタクの「プライド」を凌ぐほどの数字を出しているようですね。渡辺謙については、映画の国掲示板に豪傑もいろいろ書いているようなので、ご覧になっていただければ面白いと思います。