色男NO.1語録(2001・平成13年度)

●色男NO.1(267) 題名:生き残るという事 投稿日 : 2001年4月2日(月)03時32分
 こんばんは、(*^_^*)さん、私が色男です。
著作物の再販制度が維持される方向に決定されましたね。オリコンチャートに性格の近いものと言えば、出版取次ぎの最大手トーハンの月間ベストセラーなんか、そうなのかもしれませんね。売れる物とそうでない物が二極化されていて、売れないものはおっしゃるとおり絶版につぐ絶版で、ほとんど存在しないももの如しです。現在では数字がある種神で絶対であり、数量化されないものは存在してはいけない事になっています。氷河期とは実体としての価値の潜伏期にあたり、再販制度はかろうじてこの国の文化水準を守っているんですね。
純文学を標榜する人は出版流通の現状を知れば絶望する事、必至でしょう。その種の保存の見地から見て、純文学に氷河期を生きる知恵を授けたのは第三の新人です。エンターテイメントとの書き分けは彼らの存在を大衆の間に知らせる事に成功し、今日の売れる純文作家の基本的営業方針となっています。
現役作家の人物相関図は面白いですね。表現者というのは元来が作品を生み出すと言う点において女性と似ていて、嫉妬深いものです。(笑)他人の子供の方が評判いいというのは我慢ならない事だし、鬼子母神みたいに他人の作品はみな食ってしまいたくてかなわぬ煩悩の塊みたいなものです。これは業というもので、仕方のないものですね。悟りを開いちゃったら、もはや何も書けません。釈迦もキリストも専ら説教のみに従事したようです。

●色男NO.1(270) 題名:文学のためにできること 投稿日 : 2001年4月4日(水)00時33分
 こんばんは、(^^♪さん、(*^_^*)さん、私が色男です。(^^♪さんの考えは孟母三遷の教え、という感じで文学的環境を様々なメディアを駆使して作り上げようというものですね。メディアミックス商法というのは角川春樹あたりがナチスのゲッペルズあたりを真似して、70年代に成功を見た戦略ですね。
昔、小泉今日子が吉本ばなな読んでますと言ったら、ものすごく売れたという事例があります。(*^_^*)さんは別れの春というと卒業式なんでしょうか?
井伏鱒二がサヨナラだけが人生だ、とか漢詩の有名な邦訳を書きましたね。
淋しいけど、出会いもあります。それを何度も繰り返して大人になっていきます。
それに本当の友達は卒業してからも、人生の節目節目に再会できるから、ブルーな気持ちきっとのり切れますよ。
 (*^_^*)さん、宇多田はまたしても、アルバムがすごい事になっていますね。
浜崎との歌姫対決は今のところ宇多田が僅差でリードしているようです。
まあ、どちらも桁違いに売れていますけどね。日経エンタテイメントに椎名林檎についての記事があり、そこでいろんな女子高生から薦められて聞いてみたところ、現在活躍中の歌姫の中では林檎に一番親近感を覚えたと柳美里がコメントしていました。その林檎はマスコミからたびたび愛読書は寺山修司だろ、と言われるけれども読んだ事なくて、三浦綾子が好きなんだそうです。
 文学も音楽も長くやるのは大変みたいですね。文学でも、それだけで食えるのは氷山の一角と聞きます。一般人が思うほど華やかだけのものでもないようですね。

●色男NO.1(276) 題名:みなさん、こんばんは 投稿日 : 2001年4月5日(木)20時16分
 こんばんは、(*^_^*)さん、(^^♪さん、(^.^)さん、私が色男です。
まず、(*^_^*)さんのご質問にある出版印税について言うと、10%が相場で、書き下ろし小説だと雑誌掲載時に支払われる原稿料がないため、12%から15%に引き上げられる事があるようです。
 椎名林檎は無罪モラトリアムに人気が集るようですね。作家もそうですが、処女作を質的に超える事は大変です。子供も生まれるようですし、今後に期待しましょう。
(^^♪さんの片思いにともなう切ない気持ちはよく分かります。ある意味片思いはそのボルテージの昂揚において究極の恋愛ですからね。「葉隠」なんかにも、そう書いてあります。運命は過ぎ去ってみて、ようやく形の判然としてくるものではないでしょうか。若い時には誰も若さについて考えたりしない。とにかく、今という時間を愛しんで下さいね。
 (^.^)さん、はじめましてですよね。(?)もし、以前にお会いしていたらごめんなさい。芥川賞は純文学に与えられる賞という事になっていて、昔は純文学といえば私小説の事でした。小説の面白さや仕掛けに凝るよりも、自身の生活と内面の告白が重要だという考えが支配的で、今日文豪として揺るぎ無い存在に見える谷崎はマイナーな作家と見られたし、芥川も自らの文学観を否定して、志賀直哉を評価したりしました。近代文学は70年ころに一応のピークを得て、その後、中心的なテーマを喪失してしまったのです。その頃から、活字離れも指摘されだして、誰かわからないような人が文学賞をもらっている。(笑)
 (*^_^*)さんの紹介なさっているイティサーハというのは確かハヤカワミステリー文庫から出ていませんでしたか?私はその内容を全く知りません。よろしければ、読むべきポイントだけでも教えていただけませんか。

●色男NO.1(282) 題名:あいまいな日本の私 投稿日 : 2001年4月8日(日)01時39分
 こんばんは、§^。^§さん、(^^♪さん、(*^_^*)さん、私が色男です。
§^。^§さん、お久しぶりです。谷崎の書簡集はうれているのですね。私も谷崎潤一郎サイバーミュージアムの関係で必読文献だと考えているのですが、まだ読んでいません。中央公論や婦人公論での渡辺女史と瀬戸内寂聴との対談は読みました。本書のPR対談でしょうが、非常に興味をそそるものではありました。谷崎は新しい恋人が出来ても過去の女性を清算していくのではなく、それこそ家族主義的に女性達を全て引き受けて、六条院のようなコミュニティーを作っていく人なんです。正妻も愛人も一つ屋根の下に寝食を共にしている。戦後は性的にはあれですから、グルメの方が異常な執着の対象になっていましたが。
 (^^♪さんのご質問にある葉隠について簡単な説明をすると、谷崎とは全く正反対で(笑)、恋愛は忍恋が至極で、デートすると質が落ちて駄目、一生告白なんてしないで、想いをあの世まで持っていくのが本道だと説かれています。この本は元禄時代に戦国の熱が冷めて平和ボケした同時代を批判するかのように書かれた死の哲学ですが、実際に死の美学を貫徹するかのごとき赤穂の義挙やお初徳べいの心中という華美な事件が起こりました。
 (*^_^*)さん、イティサーハについてのご説明ありがとうございました。とんだ勘違いをして恥をかいてしまいました。(笑)日本でいうところの私小説はエッセイと見ていいでしょう。日本はジャンルに関する形成意志が弱く、詩か小説か分からないようなもの、あいまいなものに満ちています。これはユング派の河合先生がいうように母性原理的社会が個人の確立を妨げているのとも関係ありそうです。志賀なんかを例にとっても私から出発して死生一如の境地に入って自然と和解するというような徒然草方丈記に連なる宗教感があり、芥川がこれを東洋的詩情と呼んで物語批判した訳です。西洋では私小説という時、私がボバリー夫人だというように、私の観念を誰か他者に託して書けばいい訳で、身辺雑記や日記みたいなものとは根本的に異なるのです。

●色男NO.1(288) 題名:仏教と恋愛 投稿日 : 2001年4月9日(月)23時26分
 こんばんは、(^^♪さん、(*^_^*)さん、私が色男です。
仏教の世界解釈の認識論、例えば唯識など見てもあいまいというより、科学的のようです。湯川博士も確か禅かなにかの東洋思想からヒントを得て、中間子論がひらめいたと聞きます。曖昧さというのは相対的なものを偽装する絶対性みたいな厳密さを欠いた何かでしょう。難しい問題です。(笑)
今を生きるというのは私もかくありたいと望むものです。(^^♪さん、(*^_^*)さん、私たちは今を生きましょう。ワイルドか誰かが本当の恋は暇人にのみ許された特権だと言っていたようです。多忙はロマンスの敵なんですよ。

●色男NO.1(293) 題名:三島の限界 投稿日 : 2001年4月12日(木)00時28分
 みなさん、こんばんは、私が色男です。^_^;さんの書き込みから三島の限界について考察しておく必要を感じました。三島はアンフォルメルを否定し、形にこだわる訳です。先進国では言語や民族の壁を超えて同じ現代的問題を共有するようになるだろう、そうした国際主義の方向に阿部公房なんかは行ってるんだろうけど自分は行けない、最後の人間だから、と古林尚との対談で語っているように、「日本」がなくなってしまう世界、安吾的なあるいは今日では宮台的な価値相対主義的な世界に対する完全な異物としての自己に三島という仮面をかぶせたのではないでしょうか。ですから、彼は過去の事件に対しても歴史学的に客観化しないのです。自分をファナティックにできない人間は駄目だよ、とどこかで語っています。また彼は名前にこだわります。絶対者という観念に天皇という名前をつけたまでで、三島のいう天皇は過去に存在した事はありませんし、天皇機関説的なものとも何ら関係ありません。神聖の西欧化というのは天皇とは近代化に対するアンチ、エゴイズムに対するアンチという言葉から、はじめて理解される世界宗教としての天皇というものです。ここには、日本のみならずアジアも含まれます。(^^♪さんの藤谷美和子は芝居のやりすぎで変になったというところで思わず笑ってしまいました。とてもユニークな観察眼ですね。ああいうキャラがちょっぴりうらやましかったりするのかもしれませんね。学校自体は凡庸なところなので、何か一つ気になるところ、好きなものを作って、自分を騙し騙し学校へ足を運んでやればいいんですよ。その一つのために我慢できるものに変容させてやるんです。それが恋愛だったら言う事ないんですがね。私も学校へは友達にあいに行ってました。勉強はひとりでカリカリするものです。(^^♪さんに素晴らしい春がくる事をお祈りしています。

●色男NO.1(294) 題名:連鎖する死 投稿日 : 2001年4月12日(木)00時58分
 こんばんは、(*^_^*)さん。
 お経は詩、聖書は小説というのは分かる気がします。宮沢賢治の有名な雨にも負けず風にも負けずの詩篇が走り書きしてある手帳には一際大きく、南無妙法蓮華経とあって、ほとんど作品内に一体化していますからね。
自殺した作家が多いですね。あと有島武郎なんかも、そうですね。太宰は連れがいたから出来た訳だし、川端は三島霊に魔界に引きずり込まれた感じですよね。三島には介錯してくれた人や一緒に死んでくれた森田必勝がいる。それぞれが個別の事件のように見えて、根底では一つの問題を共有しているようにも見える。まるで輪廻のように。江藤淳は最後には三島と西郷隆盛を同一視するようなところまで行ってしまいました。深い想いにかられます。相方が死んで自然と死んじゃう人なら、黒澤と三船、金さん銀さん、なんかもそんな気がします。まさに呼びに来る感じです。

●色男NO.1(298) 題名:ミステリアスに素敵なやつら 投稿日 : 2001年4月14日(土)03時22分
 こんばんは、(*^_^*)さん、私が色男です。
霊界通信と自動手記で三島といえば、太田千寿という人がいます。昔はテレビにも何度か出たようで、そこそこの知名度もあったように思います。この人の本によると三島霊が指導して太田が人類救済のまほろば作りに励んでいるようです。とんでも学会のトンデモ偉人伝にも選ばれていたように思います。太田のところには宮沢賢治や田中角栄、尾崎豊、ノストラダムスまで降霊しているようで、なかなかにぎやかですよ。田宮次郎とノストラダムスは霊界では同一人物という話も書いてあったはずです。丹波哲郎や美輪明宏もすごいサイキックパワーの持ち主で、こういう人たちに囲まれる三島という人物は本当に不思議だなと思います。
 賢治はファンによって聖人視される理想主義者ですが、生涯童貞(37歳享年)や国柱会無償奉仕のエピソードにはやっぱりインパクトある訳です。実父との宗教戦争もすごい。生前、詩壇的にはほとんど無名といってもいい賢治を世間に知らしめたい、と行動を起こした草野心平らの気持ちはよく分かりますよね。

●色男NO.1(308) 題名:ありがとうございます 投稿日 : 2001年4月17日(火)01時23分
 こんばんは、(*^_^*)さん、(^^♪さん、(^.^)さん、私が色男です。
私の事を大変お褒め頂いているようでありがとうございます。とても、ありがたく思いました。私の書いたものの一部がこのパラダイスのコンテンツとなり、みなさんに読んで頂ける形となっておりますので、未読の方いらっしゃいましたら、是非お読み下さい。職業は色男NO.1ですとすれば、寺山修司の二番煎じという事になりそうなので、やめておきます。いづれ、みなさんともお目にかかる日が来るかもしれないので楽しみにしています。現在、当パラダイスのWEB担当であるおねむりパーシーが各種オフ会、文学講座等で、みなさんとの親睦を深めております。彼女は私や豪傑の代理人を務めています。
 (*^_^*)さんがご存知ないようなので、太田千寿について簡単なプロフィールを紹介しておきましょう。彼女は昭和21年生まれのごく普通の主婦だったのが、昭和52年頃から三島霊に襲われ、霊界通信による自動書記を開始しています。50日間の断食行をしたり、精神病院に入れられた事もあるようです。著書としては「三島由紀夫の霊界からの大予言」(日本文芸社)など数点があるようです。マスコミに取り上げられる事で支援者も現れて、現在ではアルカディア会を組織し、人類救済のためのまほろば作りに専念しているという事です。私は彼女について人格等よく存知あげていませんので、それ以上の事は書く事は出来ません。

●色男NO.1(309) 題名:古典主義は健康、ロマン主義は病気とゲーテが言った   投稿日 : 2001年4月17日(火)01時58分
 (^.^)さんのお書きになった事は存在論哲学的な問題だと考えます。少年少女は実存的に人格形成してゆくのか、あるいは世界が一瞬たりとも変化する事をやめないので、身体の自然性の中に精神的変調も予定調和的にプログラミングされているのか。本来、自己同一性というのは反自然的なものです。だから永遠の少年が存在するとして、彼は自然であるために人間社会に適性をもたないのか、個々人が自然システムに従って、精神的に変化する中、彼は変わらないための人工的な努力を怠らないでいるのか、即座に判断できないところがあります。由実かおるの肉体を例にとっても、16歳と45歳がほぼ同一性を維持しているというのは反自然的と言わざるを得ない(笑)。
 (^^♪さん、学校が順調との事で安心しました。私の知人にも精神安定剤を服用している人がいましたが、彼はきちんと社会的に生活していました。現代はアメリカ並にストレス社会になっていますから、偏見など持たずに、彼らと共存しなければなりません。まず、周囲のものの理解が必要です。治るものも治らなくなってしまっては仕方ありませんからね。
 ただ、表現者の場合、自らのうちに病気を育てるようなところがあります。ドラッグはやはり認めがたく、可能ならば自在に脳内麻薬の分泌をコントロール出来るようになれれば、創作力の枯渇に苦しむ事もないのですがね。

●色男NO.1(317) 題名:美の死と復活 投稿日 : 2001年4月19日(木)01時40分
 みなさん、こんにちは、私が色男です。
 71年に三島の死について寺山修司、野坂昭如が対談していますが、この中で司会の小川徹が「ぼくは、三島さんについても半分は統制派の匂いを感じていて、浪漫派だったなら文学の世界の問題でしかない。(略)統制派は芸術を人間の根底から否定する派だから「地獄に堕ちた勇者ども」の思想でしょう。」と発言しています。ここからごく単純に図式化すると、三島はスターリン、ヒトラー、大久保利通の側でトロツキー、レーム、西郷隆盛を粛清した、という事になり、あの2、26皇道派青年将校に対する熱烈な賛美はなんなのか、という印象になってくる。そこでニヒリズム研究たる「鏡子の家」なんかを念頭におき、価値相対主義=ニヒリズムから人間性を救済するものとしての美という観念を先の図式に重ねてみる。あるいは死刑囚にして死刑執行人という言葉をも想起して、次の三島自身の言葉を読んでみる。
「すべての国は、福祉国家へ向かって文化的に死んでゆくのが現代の趨勢で、何も死んでいるのはイギリスばかりではない。しかし、私はすべての国が生活が向上し、画一化され、芸術を生産しなくなる時に、そういう全世界的な「芸術の死」の向こう側に、何か輝かしい、死をくぐりぬけた蘇りがあるような気もする。」(「英国紀行」より)
「鏡子の家」に最後に主が帰ってくるように、三島は来るべき福祉社会を先取りしたかの如き「天人五衰」内部に不在化して、読者をしてまさに太陽待ちの状態に宙吊りにする。
 (*^_^*)さん、(^^♪さん、(^_-)-☆さん、こんばんは。
 (*^_^*)さんの断食3ヶ月は太田千寿を超えていますね。どのような幻覚をごらんになったのでしょうか。言語を絶するものがあったのでしょうね。オカルト的な詩はあるいは恐ろしい予言を含んでいるかもしれません。五島勉あたりに解析させてみたいものです。でも、私としてはそのような詩を書かずとも、現在の健康な珠実さんでいらっしゃる事を希望します。ゲーテやピカソは病気を克服してなお、夥しい作品をものにしています。作風は変化してよいものと思います。
 (^^♪さんの人間アレルギーは私にも他人事でない気持ちがあります。他者との距離を取る事で衛生的に精神安定剤になっているという件は、かつて私が村上春樹の作品と出会って体験したものでした。それまで、異常に自意識過剰な人間でした。現在では私を無にする事を恐れなくなりました。どんな他者にだってなりきってみせようと思っています。
 (^_-)-☆さん、私も残念ながら灰谷健次郎についてはあまり知りません。神戸の少年犯罪が大きな社会問題になった時に、顔写真を雑誌に掲載した新潮社を抗議して、版権を引き上げたのが印象に残っています。

●色男NO.1(326) 題名:生きる事の意味について 投稿日 : 2001年4月22日(日)04時23分
 こんばんは、(*^_^*)さん、(^^♪さん、私が色男です。
 (*^_^*)さん、「鏡子の家」はいわゆる60年安保前夜の昭和34年に発表された長編で、三島としては文壇での評価がすこぶる悪く、初めての失敗作とも言われた作品でした。ヒロイン鏡子はブルジョアで夫が不在の間、時代を体現するような男友達が4人出入りするサロンのような家の留守をあずかっているんです。この4人が現代は退屈だ、自分はこの閉塞的な現状を打破したいとそれぞれの生き方を貫くのですが、皆結局、自滅してゆく。小説の最後である時代状況に終止符を打つかのようにシンボリックな不在だった夫が帰ってくるところでエンディングとなる訳です。ですから、この鏡子の家というのは行き詰まった何ら価値観のない歴史以後の倦怠を意味しているんです。終わっているのに無い出番を求めて生きようともがく青年達をとおして、三島はこの作品はニヒリズム研究だと解説しているんです。現代は未来は暗い、希望がない、どう生きればいいのか分からない、今さえ楽しければ先の事はどうなろうとかまわないという刹那的な考えにつかれた人が多いでしょう。三島はここで人間を救済するものは美なのだ、と彼の哲学を開陳しているんですね。
 ですから、この小説のテーマというのは(^^♪さんの執着がない、だけどそれでは物足りないというジレンマを先取りして、なおかつその問題を打開するように一つの価値を提示している訳です。人間は仕事に追われると埋没してしまって、哲学的思考から遠ざかる、つまり本質はどうでもよい、目の前の問題を処理するための情報と技術があれば他はなにもいらないのだ、という事になる。ですから、人間は思わぬ事で暇が出来たり、病気をすると、本質的なものに直面するんですね。(^^♪さんはまさにそういう本質的なものと向き合う真っ只中にある訳です。何か執着できるもの、存在の実感できる確かな手応えは容易な事では見つかりませんが、この掲示板でこうしてお話するのも何かの縁ですから、(*^_^*)さんやパーシー、及ばずながらこの私などでなにか素敵なものを探し出しましょう。
 (*^_^*)さんはお体を悪くされて、いろいろと思うところもたくさんおありになる事と思います。でも、それが本質的なるものへの近道なのです。幸いな事に、一年もすれば具合もかなり復調されるようですし、せっかくですから休暇を思いっきり楽しめばいいのですよ。パーシーが幹事を勤めるオフ会も6月にありますし、パーシーは仕事や私用でその後もたびたび上京するようです。小規模ではあっても、刺激的で愉快な仲間たちといつでもオフ会可能ですので、お会いする折にはいろいろと教えて上げて下さいね。

●色男NO.1(338) 題名:ものまね狂時代 投稿日 : 2001年4月26日(木)01時42分(ヤフー三島)
 1970年前後に大きな転換点があったという風に私なんかも考えています。(T_T)さんのまるで世界同時革命を思わせる精神文化の集団自殺的現象という捉え方については、私はまた異なる立場をとるものですが、それでも(T_T)さんの指摘する問題のいくつかは公正であり、私も静かに同意するものが少なくありません。80年代前半に、ニューアカデミズムなる消費される商品としての現代思想が話題になりましたが、あの時代に三島の存在論的意味を相対化する事でタブーからの奪回を計ろうとしたのも、また事実なのです。サブカルチャーは自らの最終的な批判の拠点を吸収しようとしたのですが、90年代以降の潮流に明らかなように過去の馬鹿馬鹿しいリサイクルに終始する他ないようです。
 「昭和二十年の敗戦の報が、私の少年時代の終りを告げるエポックメーキングだったとすれば、昭和四十五年の三島由紀夫の死も、私にとってはそれに準ずるほどのエポックメーキングだった。」と澁澤龍彦は書いています。しかしながら、宗教学的には二十年は必ずしも転換期ではなく、むしろ四十五年の方が前後で大きな転換が見られるとする学説もあるようです。新宗教と新新宗教という用語を厳密に使い分ける事が多いのですが、1970年以前に現れ成長したものを新宗教と呼び、以後に現れたものを新新宗教と呼ぶようです。以前では家が中心の単位であり、以後ではそれが個人となります。だいたいサブカルチャーというのは50年代から60年代にかけて、家中心の、言いかえると父性原理中心の価値観に反旗を振りかざす形で現れた訳です。ニューファミリー幻想というのも、いわば子供の王国で、父性的中心を廃したところの家族形態の模索という極めて観念的実験的要素の強いものでしょう。三島はそんな時代に抑圧的な父性の権化として振舞おうとしたのですから、同じ70年の死にしても意味するところは大きく異なってくるものと思われます。ちなみにオウムは新新宗教に分類されると思います。

●色男NO.1(339) 題名:本当に存在するために 投稿日 : 2001年4月26日(木)02時32分
 こんばんは、(*^_^*)さん、(^^♪さん、(^.^)さん、私が色男です。
 (*^_^*)さんの情報によって、平野の新作のねらいが若干分かったような気がしました。「葬送」とはそんな話だったのですね、源氏と好色一代男みたいな関係ですね。島田雅彦は時代ではなく、歴史を書こうとして、春の雪をテキストとする彗星の住人を書き下ろしたようです。2人はまるで示し合わせたかのように三島的問題を今日的に掘り下げているようです。
 (^.^)さんの言うところの私達の世代に70年以後という事で私も入れてください。4つのキーワードは本当に不毛でこの時代をかつてなく魅力ないものにしていますね。まさに退屈の時代です。ストーカーには、(*^_^*)さん、(^^♪さん、みなさん、経験があるようですね。これはやはり他者との関係性の問題において、壊れているというべきなんでしょうね。ひきこもりもそうですが、極端なミーイズムは他者の存在のリアリティーを奪ってしまうのでしょうね。文字通り、他人の痛みが分からない。擬似体験的感覚がゲーム感覚、ひいては自分を唯一の存在とする世界観となり、異常な事をしでかしたりする。なにかが回復されなければならないのかもしれません。

●色男NO.1(358) 題名:黄金週間の終わり 投稿日 : 2001年5月8日(火)00時55分
 こんばんは、(^^♪さん、(*^_^*)さん、(^^)さん、(*^^)vさん、私が色男です。昨日まで私も世間並に黄金週間を満喫していました。みなさんは、どのように御過ごしになっていましたか。桜桃忌オフ会の方も参加希望者の方がちらほら集りだしているようです。まだ、一ヶ月も先の事ですから、まだの方はどんどん申し込んで下さいね。珠実さんのおっしゃる大変革の年2005年は愛知万博がありますね。ちなみに1970年の時は大阪万博がありました。あれは高度成長の集大成のようなイベントで、その後、ドルショック、オイルショックがあって成長神話が終わった事を思うと、70年代初頭というのは巨大な「宴のあと」であったようで、終末論ブーム、ノストラダムス、日本沈没、宇宙戦艦ヤマトブームなんかの現象も納得出来ますね。愛知のあとにも何かあるのか気になるところですね。太宰なら初期後期を好まれるという事ですから、葵さんの好きな「斜陽」なんかも愛読なさってるんでしょうね。
 (^^♪さんは学校から書き込みして下さったようですが、ゴールデンウィークはおねむりモードだったようですね。(笑)経済学など勉強なさっているようですが、反対に人文系が専門で経済読み物を書き飛ばしている感のあるのが村上龍です。昔は文学者のかぶれる経済学というとマル経と相場が決まっていたのですが、彼はその点ユニークですね。将来は経済企画庁長官(省庁改変後は内閣府に編入)なんかになっていたりするかもしれません(笑)。
 (^^)さん、水着はもう売れているんですね。今年の流行りはどんな感じなんでしょうか。もちろん男性水着の事なんか尋ねていませんよ(笑)。
 (*^^)vさん、はじめまして、私はパーシーや豪傑とは別人ですよ。これからもよろしくお願いしますね。「仮面の告白」の次は是非「美徳のよろめき」を読んでみて下さい。内容的に続編みたいなもので、しかも仮面よりも平易で読みやすいです。よろめき、というのは斜陽族と同じく流行語にもなりましたね。

●色男NO.1(367) 題名:純粋性と父性、および政治権力を放棄するところの父性について 投稿日 : 2001年5月12日(土)04時50分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。まず、以下の三島の文章をお読み下さい。
「少年時代の空想を、何ものかの恵みと劫罰とによって、全部成就してしまった。唯一つ、英雄たらんと夢みたことを除いて。ほかに人生にやることが何があるか。やがて私も結婚するだろう。青臭い言い方だが、私が本心から「独創性」という化物に食傷するそのときに。」(小説家の休暇、昭和31年11月)
「二十代には、当然のことだが、父親というものには否定的でした。「金閣寺」まではそうでしたね。しかし結婚してからは、肯定的に扱わずにはいられなくなった。この数年の作品は、すべて父親というテーマ、つまり男性的権威の一番支配的なものであり、いつも息子から攻撃をうけ、滅びてゆくものを描こうとしたものです。」(著者と一時間、朝日新聞、昭和39年11月)
 先のものは金閣寺を完成し、文学的野心を達成して直後の印象が語られ、後のものは「絹と明察」の自己解説として、太宰の享年と同じ39歳にして語られた心境です。
おっしゃるように三島の純粋性は疑う余地はないと思います。ただ、彼は結婚というものにかなり重点を置いているように見える、というのは自らを父親のポジションに置く必要があったからです。結婚する事で彼の独創的な生涯を初めて完成可能なものとする事ができる訳です。子供は純粋だが責任というものがない、なにか事を起こしても父に転嫁することが出来る。純粋でなおかつ責任をまっとうする事は父親になる事だ、城山の西郷には子供のしでかした事の責任を取って命を捨ててやる哀れがある、という事ですね。三島は戦争知らない子供たちに対しては一貫して父親を演じた。そして、それは天皇への批判に通じるものです。彼の死がバスジャックの少年のような少年法に守られた無責任なものとは根本的に異なる事は以上の点から明白となります。

(ヤフー三島より)
 みなさん、こんばんは、私が色男です。(T_T)さんの書いていらっしゃる事について、私も大枠を見れば異論がありません。それでも、「父性」という言葉において、定義付けが行われていないために微妙なところですれ違いがあるようです。今回はそのあたりについて、もう少し詳しく見てみる事にしましょう。
まず、石原慎太郎と三島の差異についてですが、父性とは自由意志の産物であり、社会的役割としてそれを選択するか否かという選択肢はあっても、先天的な適性として父性は現れないものと考えます。つまり、父性自体が精神的産物であり国家と同様、人間性を社会化する上での制度とするべきでしょう。ですから慎太郎の父性の復権なる思想が教育勅語的な国家主義と結びつくのは容易に理解されますが、三島の場合の独創性というのは父性は滅びるための原理として希求されている点にあります。彼が自らを反政治主義者と規定する時、父性は現実に帰結するものではなく、キリスト教の神さながらに死によってしか最終的に存在証明できないものと理解される訳です。宗教概念としての父性あるいは絶対というように三島テキストの読みなおしによって、天皇その善用のための祈りの可能性を提示する事ができます。それでもなお、彼の死を政治利用できる余地があるのは、また別の問題になります。
「絹と明察」以外に父性を扱ったと思われる作品、例えば「午後の曳航」「美しい星」について見てみましょう。「美しい星」では人間性を救済しようとする太陽系の一家と、人類滅亡を訴える白鳥座の未知の惑星から来た助教授とその一派の論争が描かれ、最後には太陽系一家の父(自らを火星人と称しています)の死、犠牲によって人類は救われるかもしれないという結びになっています。
次に「午後の曳航」でも子供による父殺しが描かれているのですが、それが(T_T)さんの引用した三島の言葉と妙に重なり合うものなのです。この父はかつて英雄であったのが、子供の母親と再婚して理想を裏切ったと見られる訳ですね。この父と子とどちらが三島なのかというと、両方が三島なのです。もっと厳密に言えば、この父を殺すために子供は過去の世界から呼び戻された、それが即ち10代にハイムケールするという事ですね。澁澤龍彦の「三島由紀夫おぼえがき」から次の三島書簡の一節を引用して、今回はこれでおしまいとしましょう。
「精神の単性生殖、少年時代の自分自身と一緒に寝るという不可能な熾烈な夢、これらの狂気の兆候のかずかずが作品製作の原動力になりました。タイムマシーンによる殺人と自殺が、これを叶える唯一の方法かもしれません。」

●色男NO.1(369) 題名:人間性の復権はあるか 投稿日 : 2001年5月13日(日)03時03分
 みなさん、こんばんは、私が色男です。昨晩は結局、朝まで起きてしまって明るくなってから寝ました。不健康ですね。それで、今日もかなり夜更かしな状態な訳で明日も一日、寝不足で朦朧としている事でしょう。
 (*^_^*)さんの中世逆行論は面白く読ませていただきました。前回の書き込みでは次の波は2005年になっていましたが、今回の年譜など見ると、どうも2050年が正解のようですね。1900年の調性の崩壊の頃はシュペングラーの「西洋の没落」などが出て、19世紀に頂点を極めた感のある科学的合理主義的な理性信仰が破綻を見せ始めた頃でもありますね。まさに附合しています。ナチズムなどの全体主義には中世的な神秘主義が色濃く見て取れますし、カフカを初めとする不条理の文学はリアリズムの限界を超克せんとする前衛的実験でもありました。ヘーゲルは歴史の完成に目的の王国を置き、マルクスは唯物史観の最終段階に原始共産社会を再現するような一種のユートピニズムを置きました。その脱近代化の果てにフーコーが指摘するところの人間の死があり、人間中心主義=ロゴス中心主義の崩壊があった訳ですから、あながち中世への逆行というのは当たっていなくもありません。この歴史学的分析がそのまま日本を初めとするアジアにも適応されるかというと、中国は今がまさに近代化の途上にあります。これからが経済成長期であるという見通しさえある訳ですよね。日本でも80年代の前半にポストモダンという言説がよく聞かれましたが、ある意味、それは江戸時代が先取りしていたとも言える訳ですね。ヘーゲル主義のコジェーブは、世界史の歴史以後の無風状態は日本化された社会になっているだろうとまで言っています。バブル期には終りなき日常と平安時代的な退屈に日本も満たされていたのですが、今日、殺伐とした世情はむしろ中世と呼んでもいいものでしょうね。バブル期は思想的にも空っぽで同時代的には馬鹿馬鹿しいような気もしましたが、現在ではかすかな懐かしささえ感じられるほどです。

●色男NO.1(370) 題名:女性と恋愛 投稿日 : 2001年5月13日(日)03時45分
 (^^♪さんのご質問に対しては男性社会に進出する女性も腰掛け程度の意識で就職して、やがては寿円満退社みたいな感覚は今も根強く残っているという哀しい現状を報告しなければなりません。今日の就職難から、早婚願望が女性の保守化に拍車をかけている側面も認められます。私個人としては、女性に対して風潮に同化して賢く生きるのもいいかと思いますが、最終的には自分の人生における課題意識に即して生きるべきだと思います。自分で選択しなかった人生について失敗した場合、どこに後悔の念をぶつければいいのでしょう。よく女性の人生における最大の選択は結婚か仕事かの2つに1つだという言い方をする向きもありますが、勇気さえあればもっと独創的な生き方をしてもいい訳です。恋愛だってどれだけ人間を成長させるのに有意義でしょうか。自分の人生観を確立している人は、きっと他人の多用な価値観に対しても寛大である事でしょう。私も(^^♪さん同様、好奇心旺盛な人間ですし、遊園地にも行った以上は童心に帰って、人の2、3倍も楽しみたいと思います。やはり一緒に楽しんでくれる女性がいいですね。
 (^_-)-☆さんのパソコンの具合はよくなりましたでしょうか。もし、修理に出して、回復を待っておられるのでしたら、この掲示板でもしばしの拠点にお使いください。もちろん、治ってからもどんどん書き込んで下されば、それに勝る喜びはありません。
 (*^^)vさんの上昇志向の人は息抜きが怖いというのは本当にその通りですよね。でも、葵さんは怖がらずにこの掲示板でいくらでも息抜きして下さいね。ここに来てくださる方はみなさん、面白い方ばかりで私もここを覗くのをいつも楽しみにしています。真面目な話題から軽い砕けた話題まで、どんどん書き込みして下さいね。
 (*^_^*)さんは熱の原因が分かって、とりあえずは安心ですね。ネット恋愛にときめきを覚えておられるという方はすぐに治らなくてもいい病気ですね。平安時代も顔も知らない人に文を送っての恋愛でしたから、少し似ているかもしれませんね。

羽衣伝説 2001年5月18日 午前 2時09分 投稿者: iroiro_1(ヤフー掲示板)
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 天人は羽衣伝説に関係あります。羽衣伝説あるいは白鳥処女伝説は日本のみならず世界各地で類型が見られますが、国内では古くは丹後風土記に記述があり、近江や沖縄にもあります。ところで羽衣伝説というと、三保の松原が有名なのですが、これは霊峰富士を背景とする地理的条件に加えて、世阿弥の謡曲「羽衣」によるところが大きいようです。本曲の舞台はもちろん三保の松原ではありますが、全国各地の羽衣伝説の要素を集大成したもののようです。
仏教の中での位置については三島の「天人五衰」から引用しておきましょう。
「天人とは欲界六天ならびに色界諸天に住する有情」
「天人といえども有情であるからには、輪廻を免れないということを知っていた。」

●色男NO.1(380) 題名:いろんなネタを少しづつ 投稿日 : 2001年5月19日(土)04時08分
 みなさん、こんばんは、私が色男です。
 (*^_^*)さん、(T_T)さんという方はヤフー掲示板の三島はなぜ自決したか、というトピックに書き込みしていらっしゃる方で、この文学の国でも、その三島に関する考察がところどころ何の脈絡もなく突如として現れるのは、私のヤフー掲示板での書き込みをここにもコピー貼り付けしているためなのです。ここを三島専門の掲示板と勘違いされる方がいらっしゃるのは、私の説明不足と怠慢のためでしょうね。
 ところで第3の新人ですが三島とほぼ同世代の作家たちであり、今日の文筆業者の世界では老大家とされる人々の一群です。第3というからには、その前に2つの世代がいたのですが、この人達は第1次2次戦後派と呼ばれ、今日ではほとんどの方が故人となっています。世代的には太宰とほぼ同じなんですが、戦争のため戦後になってから文壇デビューした人が多いようです。三島は昭和19年に「花ざかりの森」を出版し、終戦後の21年には川端康成の後見で再デビューを果たすほど早熟な人でしたから、年は若いのですが昭和20年代は戦後派の一員として文壇に迎えられました。三島の存命中は第3の新人はまさにその名の通り新人の扱いであったようです。吉行は昭和45年に谷崎賞を受賞するのですが、三島はその時の選考委員でした。
 鹿児島の男尊女卑は南九州の文化です。薩長閥の新政府を作ったようなところで、農民的価値観が希薄なのかもしれません。農民はというと弥生時代から昭和30年代まで、それほど大きな変化はないという事です。高度成長期の頃から日本は農業国からGNP世界第2位の工業国になりました。人口比も第2次産業が1次を超えたのはこの頃でしょう。ありすさんが女性天国という「痴人の愛」も大正期にはマゾヒストの手記と見られる限りで一般的ではなく、70年代以降が女性にとっては歴史上最もよい時代なのではないでしょうか。現代は男の存在理由が問われる時代で、本当に男なんかに頼らず女性が自立して逆に国を養うくらいであってもいいくらいだと思いますよ。でも、女性は男に甘えたい人が多いですよね。恋愛なんかでも一部を除いてまだまだ受身の人が多いです。安保条約で平和ボケした日本のように、亭主を外で伝書鳩にして華麗なマダムライフをしたたかに楽しむ女性が多いのもある意味理解できますし、進歩派にはその辺が分からないようです。つまり専業主婦は奴隷にしか思えない訳ですね。日本は国防問題におけるアメリカの専業主婦ですが、私は日本を奴隷とは思いません。
 (*^^)vさんのクーラー病はこれからどんどん患者が増殖するでしょうね。電車でもスーパーでもどこでも過剰な冷房が日本人を管理しています。気候など地域格差を減少させるのが近代化の理念ですから、そうなるのです。
 (^^♪さんのおっしゃる最大の悪徳は嫉妬というのは、本当にそうですね。私もどちらかといえば嫉妬される事のほうが多い(笑)ので、よけいに納得がいきます。

作品の物語論的構造分析 2001年5月24日 午前 1時08分 投稿者: iroiro_1
 こんばんは、みなさん、私が色男です。日本最古の羽衣伝説が丹後風土記にあるのですから、日本における天女伝説は仏教伝来以後のものと見ていいのではないでしょうか。仏教の輪廻転生など類似した観念は古代ギリシャにも見られますし、天人についても東西におよぶ伝承があっても不思議ではないでしょうね。
ところで、天人五衰と金閣寺を構造的に比較してみると、溝口にとっての金閣寺が透にとっての先行する3人の夭折者である事が了解されますが、その不確定的な自己を完成に導くための、自己合理化のための行為としての放火、自殺という行為が出てくる訳です。それに対して認識者としては、柏木と本多が置かれています。また、もう一つの金閣寺として、弱法師があります。

●色男NO.1(388) 題名:エロスとロマンス 投稿日 : 2001年5月25日(金)02時11分
 みなさん、こんばんは、私が色男です。
 (^^♪さん、教育の国にもお越しになったのですね。ごく簡単ではありますが、パーシーが当ページのプロフィールに書いているように、異文化の混ざり合う場所、混沌とした専門化分業化される以前の世界を再現する事に目的を置いているので、その趣旨に沿った書き込みをして頂けて、大変喜んでいます。いろんなタイプの人達が出会って、情報交換や対話をする事で最終的にはみなさん、ひとりひとりがルネサンス的巨人にでもなれば面白いなと思います。エロスの赴くままというのはいいですね。それは、まさしく私の理想とする生き方です。
 (*^^)vさんはついに仮面の告白を読了されたのですね。細密描写とスピード感を読後の印象として挙げておられますが、その通りで三島の文体は短篇のものとして鍛え上げられたものなんですね。そして、本作は2番目の長編になるのですが、内面の自己解体から一転してヒロインとのロマンスに主題が移行するやいなやストーリーが走り始め一気にクライマックスへと駆け上ってゆくリズムがあります。最後で前半の問題が再浮上して、時間が停滞して、物語が遠景に遠のいていくところは見事ですね。ロマンスの部分はいかにもメロドラマで、戦時下の結ばれる事ないカップルのじれったいほどの純潔が眩しくもあります。それ以上に主人公の独白にインパクトがあり、そこには確かに反時代的な近代人がいて、戦争は最後の審判のごとき観念に置きかえられているのですね。小説をお書きになるそうですが、これまであまり細部にとらわれずに創作されていたようですが、それもテーマによっては否定すべきものではないと思いますよ。書きすぎてリアリティーがなくなる事もあるのです。
 (*^_^*)さんの姿が見えないのが気になります。ご病気など患っていなければよいのですが。もし、これを読んでいらっしゃって、お手すきの折がありましたら、一言書いていただければ、とてもうれしいのですが。いつでも、お帰りになってくださいね。

同時代性を超えて 2001年5月29日 午前 2時28分 投稿者: iroiro_1(ヤフー三島)
 みなさん、こんばんは、私が色男です。
世代間によって、三島理解に大きな違いが見出されるのは、他の関連掲示板でも同様のようです。そこで、ひとつ三島理解に際しての前提を設けてみるのも一策でしょう。以下の引用文は直接に三島を論じたものではありませんが、全ての作家論に有効性があると思われます。
 「柄谷(行人)ぼくは自分がこの時に生きていたからこの時代はよくわかっているなどという、それから自分の書いたことをわかっているなどという自信はまったくないですよ。だから逆に言えばぼくがまだ生まれてもない戦前のことを語っていて、その時代に生きた人が「違う」と言ってもしかたないと思う。問題は「違う」と言うときに、そのことによって何か眼がさめるような認識を語ってくれるかどうかですよ。事実関係がどうのこうのではつまらない。」
 「三浦(雅士)もちろんそれはそうです。意味というのは現在との関係だから。先へ行くとまた違って見えてくるということも常にある。」

演劇的人間 2001年5月29日 午前 2時28分 投稿者: iroiro_1(ヤフー三島)
 先の引用文は「近代日本の批評U昭和篇下」(柄谷行人編、講談社文芸文庫のP160より)。
次に「若きサムライのために」(三島由紀夫著、文春文庫)の解説から、
 「石原慎太郎氏とか、江藤淳氏といった自分よりかなり年上の文学者の方たちと、三島由紀夫の話をするたびに、いつも違和感を覚える。(略)川端康成とか、谷崎潤一郎の場合は、このような感覚を味わうことはない。(略)そのような違和感の原因は、三島由紀夫の最期から発するものだと思う。」という福田和也の言葉も引用しておきます。私が以前書いたように、三島の同時代人は彼を主役とする演劇の脇役であり、後世の世代はその観客であるとすればよいでしょう。脇役には、実に様々なセリフがあるものです。同時代人の中にも、意図的な沈黙や無知の演出により、舞台を降りるものや、自意識過剰な観客の中にも、無理にでも関係を捏造して、さらに後世のものに自らを演劇の登場人物のように印象付けようとするものもいる事でしょう。

●色男NO.1(393) 題名:同時代性を超える演劇的人間 投稿日 : 2001年6月4日(月)01時12分 
 みなさん、こんばんは、私が色男です。
 世代間によって、三島理解に大きな違いが見出されるのは、他の関連掲示板でも同様のようです。そこで、ひとつ三島理解に際しての前提を設けてみるのも一策でしょう。以下の引用文は直接に三島を論じたものではありませんが、全ての作家論に有効性があると思われます。
「柄谷(行人)ぼくは自分がこの時に生きていたからこの時代はよくわかっているなどという、それから自分の書いたことをわかっているなどという自信はまったくないですよ。だから逆に言えばぼくがまだ生まれてもない戦前のことを語っていて、その時代に生きた人が「違う」と言ってもしかたないと思う。問題は「違う」と言うときに、そのことによって何か眼がさめるような認識を語ってくれるかどうかですよ。事実関係がどうのこうのではつまらない。」
「三浦(雅士)もちろんそれはそうです。意味というのは現在との関係だから。先へ行くとまた違って見えてくるということも常にある。」
先の引用文は「近代日本の批評U昭和篇下」(柄谷行人編、講談社文芸文庫のP160より)。
 次に「若きサムライのために」(三島由紀夫著、文春文庫)の解説から、
「石原慎太郎氏とか、江藤淳氏といった自分よりかなり年上の文学者の方たちと、三島由紀夫の話をするたびに、いつも違和感を覚える。(略)川端康成とか、谷崎潤一郎の場合は、このような感覚を味わうことはない。(略)そのような違和感の原因は、三島由紀夫の最期から発するものだと思う。」という福田和也の言葉も引用しておきます。私が以前書いたように、三島の同時代人は彼を主役とする演劇の脇役であり、後世の世代はその観客であるとすればよいでしょう。脇役には、実に様々なセリフがあるものです。同時代人の中にも、意図的な沈黙や無知の演出により、舞台を降りるものや、自意識過剰な観客の中にも、無理にでも関係を捏造して、さらに後世のものに自らを演劇の登場人物のように印象付けようとするものもいる事でしょう。
読売新聞5月31日のZIPZAP(毎週木曜日に配達される付録)1面に藤原竜也のインタビュー記事があります。その中で藤原は、「豊饒の海」は「春の雪」で挫折したが最後まで読みたい、好きな映画は市川昆の「炎上」(金閣寺の映画化作品)。自分が演じるのは無理。昨年は大阪公演の初日だったのに、三島の没後三十周年に、一人で墓前に花を置きに行った、と語っています。
 (^0_0^)さん、私も朝日の記事は読みました。その同じ朝日新聞社は現在刊行中の雑誌シリーズ「週刊朝日百科世界の文学」から先日、日本編のV三島由紀夫、太宰治ほか、仮面の告白、人間失格、太陽の季節、暗い絵、死霊、、、が出たのですが、参考までにその内容を紹介しておきましょう。
「三島由紀夫は凡てを終わらせた、終焉させようとした。それは、何処までも決着というのが相応しい壮絶で悲痛な、そして切ない最期だった。一九七〇年(昭和四十五年)十一月二十五日午前零時、五年余りの歳月を費やした遺作「豊饒の海」に終止符が打たれた。その数時間後、東京、市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地において、三島は日本人の覚醒を訴えたのである。「義挙」であった。」という酒井隆之氏の署名入り記事があります。ここには乱入という文字もありませんし、狂気の行動というのもない。そして、雑誌のちょうど真中、見開きのページには大きく全面を使って、「薔薇刑」より一枚。全裸と思われる三島の下半身のあたりを覆い隠すように、これもまた全裸の男、土方巽が上下逆さまに背中向けで横たわっており、顔は見えず後頭部だけがあって、それを挟むように三島の両足が伸びている。三島の顔はカメラ目線で正面を見据えており、無表情で口を結んでいる、極めて寡黙な絵画的な一枚で、あの最もショッキングな生首の写真はもちろん、ありません。これと、先の新聞記事(決してスクープなどではない)を照応させる事でどのような印象をお持ちになりましたか。

●色男NO.1(394) 題名:♪子供でいた〜い、大好きな玩具に囲まれて〜〜、   投稿日 : 2001年6月4日(月)01時45分
 こんばんは、(^^♪さん、私が色男です。教育実習で一時的に帰郷されるという事ですが、とりあえず男に依存する事なく主体的に生きるための一つの方向性として、頑張って下さいね。ティファニーで朝食を、カポーティーはあのヒロインを本当はモンローで考えていたようです。結果としてヘップバーンの代表作になってしまいましたが。現実あるいは実社会を随分と無味乾燥なものに考えているんですね。でも、(^^♪さんならばドラマチックな人生もあり得るのではないかと思われる事がありますよ。この掲示板では可能な限り、(^^♪さんの人間性を解放して、自由にワイルドに発言なさって下さい。ここに書かれた事は(^^♪さんの存在の一部であり、確かな人間性の一側面として永遠だと思います。常識は現実と折り合う上で不可欠ですが、常識から解放される小さな共同体に属する事もまた可能なのです。夫婦やカップルも小さな共同体と言えます。人間は他者との関係の中でのみ存在として機能する精神的な生き物です。関係性からの疎外的状況は物質的存在への後退を意味します。人は皆、ハレとケ、大きな共同体に属しながら、小さな共同体にも同時的に帰属して、その小さな祝祭的空間の中では誰しも皆、永遠の少年、少女でいられるのです。(^^♪さん、ここでは少女である事のほうがむしろ望ましいのですよ。私は全ての少年、少女のために交通整理をしようと思います。

三島的物語の迷宮の中で 投稿者: iroiro_1 2001年6月09日 午前 1時27分(ヤフー掲示板)
 みなさん、こんばんは、私が色男です。
 このトピックは全体的に刺激的な対話が満載されていて、読んでいて、とても面白いですね。三島評価に対する現在性が投影されていて、ごく大雑把に整理すると、(T_T)さんをはじめとする「切腹以後」の世代、そして(^・^)さんや!(^^)!さんなど三島と同時代を生きた世代に大別され、前者はその死に対して何らかの評価を与えようとする傾向が見られ、後者は三島を批判の対象とする傾向が強いような印象があります。
その中にあって、ある意味世代論に吸収されない発言をされているのが(^0_0^)さんで自殺というものに対してはほとんど例外なく否定され、死者の神話化に意義を唱えて、太宰、芥川をも同列に置き、もう一人の自殺者森田必勝に対しては三島との関係において被害者であるとし、死ぬ事で未来における可能性を喪失したという認識に立っておられます。
 信仰者であれば世代に関係なく自殺を否定するでしょうし、共産主義者であれば滅びの美学を政治的有効性の見地から無意味であると見るむきもあるでしょう。戦後民主主義はおおむね三島にこのような評価を与えて来たのですし、(^0_0^)さんの認識は大江の「遅れてきた青年」なんかに包摂されるようなものでもあると思います。死者の優越感と生者の劣等感という図式の中で三島を超越すべき物語であるという問題設定は、現代作家の無意識的な脅迫観念になっていると言っても過言ではありません。ここをふまえた上で対話されれば、双方にとってより生産的な知的冒険を堪能されるのではないでしょうか。

立場が解釈を生む 投稿者: iroiro_1 2001年6月09日 午前 1時30分(ヤフー掲示板より)
 森田必勝は三島パフォーマンスの犠牲者で気の毒だという意見は、私に太宰治無理心中説を想起させました。太宰の場合、同時代の交流あった人達が太宰は死ぬような気配はなかった、生きてまだまだ良い作品を創作し得たはずなのに山崎富栄に殺された、という印象を持っている人が多いのです。それまでも死ぬつもりなど毛頭なく、全ては狂言自殺だったのに最後だけ「本物」というのは納得がいかない。同じように森田は生きて活動するはずであったのが三島に殺されたのだ、という印象を持つ人もあるのでしょう。例えば民族派の人などはむしろ森田が三島を殺したのだ(このトピでも、どなたかが書いていらっしゃいました)と考えているようですし、立場によっても印象は随分と変わるようです。

●色男NO.1(399) 題名:三島的迷宮の中で解釈は無限に分裂する 投稿日 : 2001年6月12日(火)21時48分
 みなさん、こんばんは、私が色男です。
 (*^^)vさん、その存命中の大作家というのは、ひょっとしてO.K.ではないでしょうか?最後の巨匠といってもいい彼のファンの人達はパラダイスでも相互リンクしていただいていますし、三島についての感想を聞く事もありますが、好き嫌いはともかくとして大作家である事は認めていらっしゃるようです。三島をリアルタイムで知る世代の中には彼の人格を誹謗中傷して、その文学的業績を貶めようとする人が少なからずいる訳ですが、それも三島の存在感が際立っているためにやむを得ないところでしょうね。傑出するという事は孤独な事なんです。彼は晩年、文壇に友達は一人もいなくなったと語っています。全ての芸術は模倣から始まります。葵さんも好きな文体を密かに盗んで、そこから自らのオリジナリティーを模索して下さい。
 (^^♪さん、私は昨日、谷崎コンテンツの原稿を少しだけ書きましたので、パーシーに頼んでアップしてもらう作業に入っています。モンローが谷崎好みなら、ヘップバーンは川端好みという感じがしませんか。川端は人形のように扱える限りなく死体に近い美少女が好きなんですよね。谷崎は毒婦に虐待されたい人だから相手が死体では駄目なんです。いづれにしても両文豪の世界の中心には女性が存在していますが、三島のナルシズムの前では女性はあまり大役は得られそうにありません。男のナルシズムは(^^♪さんが、最も苦手とするものかもしれませんね。

スターはもてもて 投稿者: iroiro_1 2001年6月19日 午前 1時10分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 東大全共闘との討論での一齣。「それで奥さんのほかの女で何か気に入ったのがいたとして、それを抱きたい時にどうします。」「抱くよね。」「それはそうだ。(笑)」「相手が承知してくれなければ?」「いやまあ、それはたいてい承知するよ、おれなら。(笑)」「じゃあ、うちの女房に声かけてごらん。絶対ふられるから。」「ああそうか、主義が違うからーーそれはくだらな過ぎるよ。もうちょっと何とかしようや。(笑)」
 次に「三島由紀夫と楯の会事件」(保阪正康、角川文庫)より引用。
「東大全共闘との対話集会に出て、三島は失望落胆したようだと、三島周辺にいた友人たちは伝えている。たとえば、ある友人は、女子学生たちが三島の口をつけたコップを争って飲んだといい、三島は、「だめだよ、あいつらは」といっていたと語っている。」
 さらに、「三島由紀夫伝説」(奥野健男、新潮文庫)より引用。
「自分がいかに女性にもてるかを、微に入り、細に入り、自慢げにたのしそうにしゃべったことがあった。また、酒場の女をぼくたちへの競争心からだろうか、ホテルのプールでのデートにさそってみたりしていた。またゴールデンゲイトというナイトクラブで水商売らしい女に泣きながらくどかれ、憮然としている三島由紀夫にぶつかったりしたこともある。最愛の妹美津子が通っていた聖心女学院(女子大)出身の女性とのお見合なども噂ばなしで聞こえたりした。」

●色男NO.1(404) 題名:子供よりも親が大事 投稿日 : 2001年6月20日(水)01時42分
 こんばんは、(^^♪さん、(*^^)vさん、私が色男です。
 (^^♪さんが(*^^)vさんに変身してしまって、不思議な雰囲気になっていますね。でも、私はなんとなく(^^♪さんが間違っちゃったんだな、と分かりましたよ(笑)。バイオレンスでナルシスティックなお父さんは私から見れば充分に素敵だと思います。大学生の娘さんがいらっしゃっても、なお、自分について詩が書けるなんて青年みたいで家庭に埋没してなくて、三島や太宰に通じるところがありますね。だからこそ、(^^♪さんの父性的なものに対する想いがあふれて丁寧に人形のように愛されたい、自分の事が一等好きなお父さんに我を忘れて、世界の中心に娘を置いてほしい、という気持ちが屈折してしまっているのかもしれませんね。鏡ばかり見ていないで、少しは私の事も見てよ!という具合に、、、、。
 すみません、私の中でストーリーが飛躍してしまいました。(笑)
 (*^^)vさんは太宰については一見識を持っていらっしゃるんですね。私も太宰はナルシストで演劇的人間だと思います。それを猪瀬直樹なんかはピカレスクと呼んでいるんでしょうね。子供よりも親が大事。斜陽の娘、治子さんは父親の記憶が全くなくて、ひどいファザコンなんだそうです。罪作りな人ですね。そういえば、今、パーシーは桜桃忌オフ会に行っているはずですから、そのうちにレポートも紹介される事だろうと思います。

ノーベル賞及びお見合い伝説 投稿者: iroiro_1 2001年6月25日 午前12時17分 (ヤフー掲示板より)
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 この耽美のスタートピックスでも何度か三島と川端の関係、ノーベル賞については取り上げられていますので、過去ログと併せてお読み下さい。以下、いくつか雑誌や書籍からの引用を挙げておきましょう。
「消息通の言によると、谷崎のノーベル文学賞は数年前(1967年より、色男註)から、決定的事実であったという。(略)文学賞は、当然政治的、主観的配慮が入る。文学賞の場合は、その背後に国際的な大手出版社の意向が反映されている。そしてこの出版社は東洋、特に日本に市場をのばしたい。そのためにはノーベル賞を日本人に与えたい。その時、日本の文豪であり、国際的にも知られている谷崎潤一郎が最有力の候補であった。谷崎の受賞は数年前から半ば公認の事実として決定されていたと言ってよい。(略)晩年の谷崎は日本にノーベル文学賞をもたらすため生き続けたといってよかった。」(「宝石」1967、1、三島由紀夫のノーベル賞は確実か、奥野健男)

「外電の伝えるところによると、日本の三島由紀夫氏が、一九六五年度ノーベル文学賞の有力候補に擬せられているらしい。その後の現地情報によれば残った十九名の一人だという。三年前、谷崎潤一郎氏が下馬評にあがり、話題を呼んで以来である。」(週刊新潮、1965、10、9、ノーベル賞候補三島由紀夫、若過ぎる作家への若過ぎない国際評価)

「ノーベル賞の過去六十四年の歴史をみると、受賞者の最年少者が当時四十二歳の英国の詩人、小説家R、キップリング(「ジャングル、ブック」その他に対して一九〇七年受賞)、ついでは四十四歳のフランスの小説家A、カミュ(全作品に対して一九五七年受賞)、その他四十歳台の受賞者ではシンクレア、ルイス(米)など二、三を数えるだけで、ちょうど四十歳である三島氏は、まさに史上最年少者の記録をつくることになる。」
「川端自身、「三島氏、有力候補」の報に、次のような感想を寄せられているのである。「(略)谷崎さんも世界的に見て堂々たる作家で、たいへん有力でしたが、やはり谷崎さんの場合は、作品の性格からいって、ノーベル賞の性格に抵触したのだと思います。(略)ノーベル賞の委員会としても、なるべく世界中のいろいろな国から受賞者を出したい意向です。私も候補にされているようですが、私は「雪国」と「千羽鶴」が翻訳されているだけで、そんなものでは話になりません。もっとも作家として死ぬ一年ぐらい前にはもらいたいとは思いますね」(略)欧米に関する限り、日本の現代文学で翻訳出版されている作家、作品のうち、三島氏のそれが質量ともに最多であることはすでに知られているとおりである。」(週刊新潮、1965、10、9、上に同じ)
 1965年の時点で、アジアのノーベル文学賞受賞者はインドのタゴールただ一人であり、日本国内を見ても、全ジャンルを通して物理学賞の湯川秀樹ただ一人だけでした。
「この年(1968年、色男註)十月、三島はこれで三たびノーベル賞を期待されているという噂に取りまかれる。前年、三島が瑶子を伴ってインドに行ったとき、日本の新聞社は三島がネルーダ、マルロオ、ベケットとともに「四大有力候補に入っていることは確定的」であると伝えるストックホルムからのUPI特電を掲載していた。しかし、受賞したのはミゲル、アストゥリアスであった。今回はだれもがみな、賞の「指定席」は日本の作家にあり、川端、三島のうちのどちらかであることは確実だと語っていた。」
「七たび世界一週旅行をし、三たびノーベル賞候補に挙げられた。さらにまた、三島の生きることに対する強烈な欲望は国際的に知れわたっていた。いつでも不思議なほど、みずからの非凡な才能と超人間的な意思への報酬を享楽できるように見えた男。」(新版、三島由紀夫ーある評伝ー、新潮社、ジョン、ネイスン著)
次に三島と美智子皇后とのお見合い伝説についてですが、「五衰の人」の以下の引用文をお読み下さい。「ぼくは××子さんと見合いをしたことがあるんです。(略)と言ってもね、正式な見合いではなかった。まとまらなくても、どちらにも疵がつかないよう、歌舞伎座で双方とも家族(それとも介添役だったか?)同伴で芝居を見て、食堂で一緒に食事をした。それだけでした。(略)しかし、この見合いの話は、私(徳岡)以外にも知る人がいたらしい。三島さんの没後まもなく、ある批評家が「豊饒の海」四部作は実は「さるやんごとなき方」に嫁いだ「さる佳人」への三島さんの思慕の情から書かれたのだ、という説を発表したことがある。四部作の第一巻「春の雪」に、その「さる佳人」は綾倉伯爵の娘聡子として、また三島さん自身は松枝清顕として登場する、というのである。」

●色男NO.1(409) 題名:平安朝の女人絵巻に恍惚とする色男 投稿日 : 2001年6月30日(土)01時43分
 こんばんは、(*^_^*)さん、(^^♪さん、私が色男です。
 6月19日の桜桃忌オフ会は私の代理人パーシーを幹事としてかなりの盛況ぶりだったようです。まずは、成功であったと報告しておきます。太宰系サイトと中央線沿線系サイトの主要人物はほぼ出席されていたみたいで、カラオケなどもあり、有意義な一日であったようです。またこの次には関西を会場にしてもいいかなと考えておりますので、今回参加できなかったみなさんは次回にご期待ください。
 この文学の国には女流作家の方が3人もいらっしゃって、さながら平安時代のような華やかさです。みなさんのこれからのご活躍が楽しみです。私をモデルにして源氏物語の競作でもしていただけたら、これに勝る喜びはないんですがね(笑)。
 (*^_^*)さん、お久しぶりです。このところお見えにならなかったので心配していました。創作活動をなさっていたんですね。しかもトランス状態になっているという事で、只事ではありませんね。童話と小説を並行して書いてらっしゃるようですが、どちらも完成が楽しみです。トランスという事でいえば、三島は英霊の声を書いた時には磯部浅一の霊に憑依されて、勝手に手が動いて止まらなかったといいます。美輪明宏が除霊しようかと聞くと、作品が書けなくなると困るからこのままにしておいてくれと言ったようですね。
 (^^♪さんの人生経験の話で思い出したのですが、菊池寛は芥川への皮肉でなく、25歳より若くして本当の小説は書けないという意味の事を言っています。確かに若い人の小説には散文詩のような印象を受けるものが、しばしばありますね。ラディケのような天才も存在するのは確かなんですが、小説は肉体労働に似て才知だけではどうにもならないところがあります。やはり、一般的には小説は40歳くらいが一番年齢的に適していて、それよりも高齢化すると逆に書けなくなるようです。人生に対する執着心を持てなければ創造力の源泉ともいうべきエロスは枯れてしまいますし、老大家というのはどうも武者小路みたいな人生訓みたいな短いエッセイをきままに書いているようなのが普通なんですね。谷崎みたいな生涯子供のような人は自分の孫みたいな女性にも母性を求めてしまって変態の王道を行くんですね。40くらいで最高傑作を書いて、それ以降は技術的洗練の集大成としてこれまでのテーマをむしかえすような形でライフワークを完成できれば作家としては理想的なんじゃないですか。

そして誰も命を賭けなかった 投稿者: iroiro_1 2001年7月07日 午前 1時53分(ヤフー掲示板より)
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 (^・^)さんの同時代レポートを面白く読ませていただきました。東大での討論はゲバ行動も辞さない真剣勝負であったとの事ですが、当時の週刊新潮の記事を見る限りでは印象はいささか異なるようです。主催者代表の企画責任者木村修は、参加した学生約千人を色分けすると全共闘シンパと単純な三島ファンが半々。駒場、本郷の東大生他、他大学の学生、民青、右翼分子、全共闘の活動家もいたが彼らは発言せず、主な発言者は書斎派の学生だったと語っています。決死の覚悟で楯の会学生が同行しようとするのも振りきり、単身乗り込んだ三島でしたが、会場入り口には三島を漫画にした近代ゴリラなる胸毛の立て看があり、鑑賞料百円などと書いてあり、場内は三島の話に大笑いが起こる場面もしばしば。また、三島に先生と口走ってから、教授に比べれば先生と呼ぶに値するとか妙な弁明までする学生が現れる始末。
 三島のいわゆる奇行もマスコミを通して玩具の兵隊、宝塚の少女の軍隊などと文士のお遊びと見るむきもあったので、ノンポリの女学生の中には純粋に三島の恋愛小説を愛読するものもあったでしょう。ゲイを追っかける「おこげ」なんてのもいますから、当時のもてる男性像がドロンに独占されていたと考えるほうが難しいように思うのですが。
 嫌いな男性ベスト10、出川哲郎、江頭2時50分みたいなランキングに三島が入っていたのなら是非その雑誌を見てみたいですね。大宅壮一文庫あたりで調べれば見つかる事でしょう。

●色男NO.1(415) 題名:小説作法いろいろ  投稿日 : 2001年7月11日(水)01時55分
 こんばんは、(^^♪さん、(*^^)vさん、(*^_^*)さん、私が色男です。
 (^^♪さんは経験から離れた空想による創作に魅力を感じているようですね。それも、一つには資質によるところが多いと思います。人間を心理学的に大雑把に分けると、(クレッチマーとかいろいろありましたよね。)躁鬱病気質の人はどちらかと言えば現実的でユーモア小説に向いていたりするのですが、分裂症気質は観念的幻想的物語が向いていたりするんですね。まずは自己分析等から己の傾向を知り、同じタイプの文豪の作品を調べてじっくり読んでみるのは勉強になります。やはり、無い袖は振れませんから、自分にない作風に惹かれて無い物ねだりで書いても、行き詰まってしまう事になりますよ。そんな事で、葵さんのように焦ってしまったりもするんですね。と言っても文豪でさえなかなか自らの芸術観を構築して安心立命の境地に達するのは難しいのですから、みなさんのような若い方々は方向性について迷われるのも致し方のない事です。それから、私を当代の光源氏などと大変なお褒めの言葉を頂きありがとうございます。源氏であれば物語の中に君臨して、自ら表現する必要性など皆無であった事でしょう。ある種の作家が自分の事ばかり書きたがるのも、この源氏の書かないで存在し得る境地への憧憬あるいは嫉妬につかれての事なのでしょう。
 (*^^)vさん、人間講座のイメージリーダーの交代はご覧になりましたか。パーシーに聞いたのですが、いわゆる典型的太宰ファンは猪瀬のピカレスクに対して違和感を抱いているようです。自作自演というのが、気にいらないようですね。太宰が限りなく作中人物と近似値の存在であったと思いたいようなのですね。しかしながら源氏は書かないで存在し得る人物ですが、太宰の場合、そう単純に割り切れるものかどうか。一般読者は作家志望者と読み方が違ってもいいとは思います。
珠実さんの写本は古典的な文体トレーニング方で、かなりの方がやっているんではないでしょうか。谷崎は躁鬱病タイプで三島は分裂症タイプですね。言うまでもなく、それぞれのタイプの天才です。三島の場合、イマジネーションが豊過ぎるのでジャーナリスティックな取材を重視して、細部にリアリティを与える努力を怠らなかったと言います。細部に拘らなかったモチーフ至上主義の大江と三島の対談があるのですが、これは小説というものの本質をいろいろと考えさせられます。(*^_^*)さんは年下の男の子がお好みですか。(^^♪さんとは傾向が逆になるのでしょうか。爆弾みたいなというのはテロリストみたいな冒険家という意味ですかね。平安朝の退屈を活性化するようなアンチヒーローも魅力的ですね(笑)。

●色男NO.1(425) 題名:爆弾少年と虚無、美 投稿日 : 2001年7月15日(日)01時39分
 こんばんは、(^^♪さん、私が色男です。
 本当に世の中暑くて参院選も近づいているし、みなさん、いろいろあるんでしょう。この掲示板にも他国からの謎の闖入者が一人意味不明のメッセージを書き残してくれました。その少し前に(*^_^*)さんが年下の爆弾みたいな男の子の出現を待望していらっしゃったのですが、奇妙な形でそれが予言に変わるような一幕でした。(笑)大江のセブンティーンの昔から露出狂的言語表現の形をとるものかもしれませんが、内容空疎なその夥しい怨念のごとき言語は平安朝を活性化する事なく、真夏の夜の夢と消えました。(^^♪さん、お見苦しい点をお見せした事を申し訳無く思います。
 それにしても世界一週の旅をして頂きまして、誠にありがとうございます。人生相談の国が依然として国交断絶入国不能の状態になっておりまして、ご迷惑をおかけしています。自分が取材される側になることに決定されたという事で私達パラダイススタッフも全力を上げて、(*^_^*)さんの伝説作りを支援しようと思います。平野と柳、対極の作風を持つ2人ですね。(^^♪さんはどちらかといえば平野寄りの傾向を志向しているようですね。川端はノーベル賞受賞時に述べたように、伝統のおかげ、美しい日本の私というように、物語の中の私を描写しても、いわゆる告白型の私小説を書いていませんよね。それが独特の文学世界を形成して、あたかも輪廻転生するように始まりも無ければ終りも無い、東洋的世界観、虚無のうちに美を定着させて、私をその観察者、末期の目として存在せしめているんですね。この世ならぬ雰囲気が肌に感じられるようで、雪国の空気のようにひんやりと肌を刺すんです。あるいは死後の世界の冷気に触れているのかもしれません。

スターの時代 投稿者: iroiro_1 2001年7月16日 午後10時15分(ヤフー掲示板より)
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 三島をこれから耽美のスターにしたい、という事ではなく生前の彼がすでにスターでした。だいたい同世代である、どちらかと言えば三島に批判的な安岡章太郎も次のように言っています。
「長年にわたって文壇の王子役を演じてきた三島氏は、その役割に少なからず疲労をおぼえていたであろう。そうでなくとも職業作家は生活の実体を見失いがちであるが、三島氏の場合、学生時代から新進作家として注目を集め、東大卒業後、大蔵省につとめたものの一年足らずで止めてしまうから、ほとんど作家以外の生活は経験がないといっていい。いや三島氏は、単なる作家ではなくてつねに時代のヒーローであり、みずからその役割をすすんで引き受けてきた。勿論、それだけでもずいぶんクタビレることに相違ないが、とりわけ終戦後の焼け跡だらけの頃から高度成長をへて昭和四十年代の未曾有の繁栄期にいたるまで、一貫して同じ王子とヒーローの役を演じつづけてきたというのは、考えただけでも気の遠くなりそうな話ではないか。」(僕の昭和史、講談社文庫))
同じく第三の新人の吉行淳之介も、この人も銀座でそうとうもてたのですが、三島を題材にしてスーパースターという短篇を書いています。
 次に団塊の世代から橋本治の三島像を紹介しておきましょう。
「生きていた当時の三島由紀夫という人は、決してボロを出さない、そしてまた、鬼面人を驚かすようなことを公然とやってのけるーーそれが輝きになるような、スーパーな存在だった。人は死んで、時として"伝説"になる。しかし、三島由紀夫は逆だった。生きている内、既に三島由紀夫は"伝説"だった。"伝説"なんだから、「へん」であっても構わないのかもしれない。生きている内からその存在が、"伝説"であるような人は、存在自体が「へん」なのである。だから、「へん」な人が死んだら、その"伝説"も消えてしまう。(略)生きている内から"伝説"だった彼は、死んだ後、「優れた作品を残すだけの作家」なった。「作品だけになった三島由紀夫」には、生きていた時の"伝説"が当てはまる鍵穴がない。「作品だけになった三島由紀夫」は、生きていた時の"伝説"では解読出来ない。なまじそのエピソードを知っている人は、「三島由紀夫と共に生きていた時代のノスタルジーを語るだけの存在」になってしまう。ということは、三島由紀夫が、自身を隠す煙幕として数々の"三島伝説"を使っていたことの証明にもなるであろう。」(新潮11月臨時増刊、2000、特別読物「三島由紀夫」とはなにものだったか、より引用)

小休止 投稿者: iroiro_1 2001年7月17日 午前12時46分(ヤフー掲示板より)
 これはまず(T_T)さんの設問の建て方に問題があります。つまり、三島と似たような身体条件を持つ者全てが時代のトレンドとして何らかの形でもてた、という事ではないからです。三島という存在にネームバリューがあり、その身体条件以上の付加価値があります。片岡鶴太郎はかつて人も知るもてない男NO.1でした。ところが画伯という評価を得るや、スターとはいかないまでも抱かれたくないランキングからは消えた。出川哲郎や江頭2時50分は付加価値において、超一流と呼べるステイタスも時代に物申す影響力もありませんし、もてないキャラそのものを売りにしているようなところがある。ヒトラーだって、小男で体にも少し調子の悪いところがあったようですが、同時代の女性にはカリスマとして、もてまくりました。(三島をヒトラーと同一視しようというのじゃありませんよ、念のために)私が429で引用したように、左翼女性ははじめから色眼鏡で見るから、また違うでしょうが、そうでない女性はまず当代一の著名人という事で認識したでしょうし、身体条件はあばたもえくぼ、気に入ってしまえば美化修正されるのは人間心理として当然の事です。小泉人気もムード優先で彼の改憲論や靖国参拝など、訳も分からずミーハーな女性は支持していたりします。結局、大衆論みたいな話になりますが、全共闘はインテリでない普通の人々の価値観を理解出来なかった、そこに敗因があるのです。三島はメディアを利用して、自らの伝説化に成功した。赤穂浪士が本当に義士であったかどうかなんて、どうだっていい、形にこそ熱中している訳で、三島が全共闘から死者が出るか気にしていたのは、そのためで、判官びいきの対象になりうるような自殺者が続出していたら、三島も手をやいて次なる作戦にでなければならなくなった事でしょう。

永遠のスター 投稿者: iroiro_1 2001年7月21日 午前10時16分(ヤフー掲示板より)
 おはようございます、みなさん、私が色男です。
 (T_T)さんが提出した問題については、私もおおむね同意するものです。まずスターなる存在の様態について考える時、人は生れ落ちてすぐにスターとなる訳ではありません。ボーボワールの有名な言葉にならって言えば、人はスターに生まれない。スターになるのだ、という事でありまして、ある種特権的なごく少数の人が生まれて後、スターとしての第2の誕生を遂げる事になるのです。ですから誕生前の過程において、胎児よ、お前はまだ社会的なコミニュケーションというものを持たないのだから人間とは呼べないではないかといっても仕方ないように、何も三島に限らず他のスターにしても、第2の誕生前にお前は無名でその上もてなかったではないか、と言ったところで、あまり意味はありません。
 次に三島のスターとなって後の内面の問題ですが、存在論的な不安は当然あるでしょう。スターと言っても、一度その地位についたからにはもう安泰という公務員的なものでないのは当たり前で、多の競合相手との熾烈な戦いが継続しています。三島は自分が過去形で語られる事はなんとしても耐えがたかったでしょうし、自らと他者との差別化を計りたかった事でしょう。この辺の事情は慎太郎との関係を念頭においてくださればいいか、と思います。未来永劫スターであるには、どうすればよいのか。三島は過去の膨大なデータをコンピューターのような迅速さで検索して、武士道や陽明学を探し当てます。
 三島がスターとして誕生するのはいつ頃の事なのか。これはだいたい、松本健一の次の引用で言い尽くされています。
「敗戦によってはじまる日常生活に身ぶるいをした三島は、ロマネスクなものの世界へと亡命することによって、かれにとっての仮構の戦後を生きはじめたのである。この仮構の戦後を生きる決意の表明が「仮面の告白」にほかならないとしたら、その執筆が昭和二十三年十一月二十五日に始められていることには、よほどの注意を喚起しなければならない。かれが一九七〇年(昭和四十五年)十一月二十五日に生を終えたことは、「仮面の告白」執筆によって開始された仮構的な戦後の生に終止符を打つことだったとみなければならない。」
 ここから彼は三島になったと言えます。このペンネーム自体は昭和16年の花ざかりの森から使用しているので、戦中戦後の連続性というこの人物の問題を考える上でも重要な事でしょう。この後、平岡の名前は楯の会の非公然活動に際して、血盟の儀式等で使用しています。ここで彼は青春への回帰として、20歳の自分に帰って、血染めの署名を行ったのでしょう。
 三島は黒蜥蜴に、私が何が嫌いかと言って偽者ほど嫌いなものはない、と語らせています。かつて武士は死と背中合わせに生きて、どんなに壮絶な死であれ偽者の血糊しか流せない芸能人を蔑視したといいます。スターとはいわば虚像でしかない訳ですが、三島にとって戦後体制を全否定するという事は戦後と不即不離の関係にある自らのスターとしての存在をも否定するという事になります。武田泰淳との対談でも、自分がこうして戦後を生きている事はギルティだ、と言っています。三島の死は一種猛毒のような恐ろしい悪霊のようになったというのは、かれには俺は死ぬ覚悟は出来ているというけど、ついぞ死ぬ事のない偽者に対する永遠の皮肉が込められているからです。三島という悪魔祓いにはまだ何年もの歳月を要するであろうと澁澤龍彦が言うとき、三島の目論みが成功している事を知る事になります。三島からの逃走という日常生活の冒険は、全て生きていく事を前提としたものに課せられた問題であるという事が出来ます。
 三島と同様、太宰もスターでありえたような人物でした。没後の太宰はまさに伝説ですから、ファン心理として三島と太宰が似たような扱われ方をしてくるのは当然とも思えます。ちなみに太宰のスターとしての第2の誕生は「斜陽」以後です。そこから太宰は単なる作家以上のものになります。昭和23年というのは2人がすれ違う年でもあります。
 三島が太宰に会ったのは、日頃から太宰嫌いを標榜していた三島を太宰に会わせたら面白いと、三島の友人で太宰の崇拝者であった矢代静一が連れていったためで、別に直談判とかそういう性格のものではありませんよ。三島が一個人に執着するのは昭和天皇で、このナルシストはあまり他人に執着するという事をしません。溝口にとっての金閣寺、エイハブ船長にとっての白鯨、昭和天皇はそんな存在です。白い鯨というのは白人のゲイという事ではありませんよ。(笑)

三島曼荼羅 投稿者: iroiro_1 2001年7月28日 午前 2時04分(ヤフー掲示板)
 みなさん、こんばんは、私が色男です。三島をポストモダンを先取りした人物として読みなおしてみせたのは、80年代前半の現代思想をサブカルチャーのようにファッション化した一連の文化人が仕掛けたものでした。三島は物語るのみならず、自らをも物語の中に塗り込めようとした訳ですね。偽物の肉体を作りパフォーマンスをして現実の意味を転換させる、ワイルドがいうように自然が芸術を模倣するような状況を作って見せる。例えば、三島の真似をする本物の右翼が登場してしまうような状況は、三島を三島以前に戻す事のない不可逆的な時間の流れを認識させるものであります。プラトンの語るソクラテスがどこまで実在したソクラテスに重なり合うものかを知るのは今日では不可能といってもいい訳です。三島は確信犯的に証拠隠滅を計り、自らの不在証明をもって自らを物語化しました。死の真相が藪の中である、というのは三島の全共闘が言うところのゴリラみたいな顔がロールシャッハの模様のように見るものの内面を炙り出す、という事でもあります。あるものにとっては三島が同性愛では困るし、あるものには三島が右翼では困る訳です。釈迦の教えが後世恐ろしいほどの解釈の多様性を許したように、三島のごく単純な物語を置き去りにして、これからも内包する意味の分裂を繰り返して行くでしょう。

●色男NO.1(437) 題名:夜更かしし過ぎた 投稿日 : 2001年8月2日(木)02時48分
 こんばんは、(*^^)vさん、(*^_^*)さん、(^^♪さん、私が色男です。
 (*^^)vさんは楠正成ファンなんですね。あの人は三島とは七生報国繋がりですね。戦前は正成が忠臣善玉で足利尊氏が逆賊悪玉ですね。それで、今、正成はちょっと否定的に扱われていて、皇居前広場の銅像もどこか哀しげに見えます。南朝革命論というのがあって、後醍醐帝は度々蘇りますよね。戦後は熊沢天皇騒動というのがあって、とてもアナーキーな空気が昭和23年頃まではありました。その後、急速に語られなくなったのはG.H.Q,の占領政策に転換があったからだと言われていますね。ちょうど太宰が死んだ頃。太宰は思春期のはしかに例えられますが、大人になって一旦離れても、今度は語りの面白さで太宰のキャラを離れても作品を再読するために読者はまた帰ってくると言う人もいます。人間講座も三島で終わりましたね。ご覧になりましたか。
 (*^_^*)さん、「音楽」は私も大好きです。麗子という名前は華やかだけど内容は空虚な様式美みたいなロココな感じがありませんか。もちろん、三島は狙っていると思いますよ。それであれは不感不動の大理石の女、小野小町みたいな到達し得ない永遠の距離としての女なんですね。近親相姦によって兄妹の性愛にまで高まった甘美なエロスを描いて、倒錯があらゆるヘテロな男女の関係を不能にしてしまうところに三島個人のドラマが隠されていて、もう一つの「仮面の告白」という側面をも感じさせるものですね。とにかく麗子はこの世ならぬ美しさがあって、あんな妻をもらえば「憂国」の青年将校みたいに心中するしかないのではないかという脅迫観念を与えるほどのインパクトはさすがです。女の子には是非、紹介してあげてください。楽しいお話が出きる事をとても期待しています。
 (^^♪さん、「櫂」には緒方拳が出ていませんでしたか。「ローズマリーの赤ちゃん」は私もビデオで見た事があります。自分の周りの人間関係がまるごと買収されていて、出口なしの状況下で自分の意に反して悪魔を出産して、やがては主人公の若い母親が悪魔の仲間に吸収されて行く未来が暗示されて、なんとも後味の悪いエンディングでしたね。脱会を阻止しようとする宗教団体や秘密結社のようなものを連想させて、時代がカルトを生み出していくまさに前夜をリアルタイムで描き出している記念すべき作品です。ポランスキーだと、私は「赤い航路」という作品も見ましたが、これも面白かったですよ。平野志向の柳寄り、というのはよく分かります。カリスマ占い師というのは(^^♪さんのどういう要素を評してのネーミングなんでしょうね。私にはチャーミングな(^^♪さんばかりがイメージされて、そういうオドロオドロシイ感じはちょっと浮かんでこないのですが(笑)。でもみんな、人にはいろんな顔がありますから(^^♪さんの中のミステリーゾーンを私はまだ知らずにいるんでしょうね。これからが楽しみです。
 (^^♪さん、「フラニ―とゾーイー」はサリンジャーですね。私は未読ですので、そのうち読んでみようと思います。感想はその時まで、お待ち下さいね

固有名と存在 投稿者: iroiro_1 2001年8月08日 午前12時56分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 三島文学とは全く異なるところで三島そのものの伝説があります。この事が三島問題を他の作家論から逸脱させる要素なのですが、あくまで例外を認めずにテクスト論による文学研究に一貫させようという立場もあります。しかし、言うまでもなく三島の存在それ自体が一つの作品ですから、これを言及する事なく三島作品だけに当たる事が可能であるかと言えば、やはり不完全に思われます。三島を解読するために三島文学を読むのか、三島文学を読むために三島を解読するのかは、そのアプローチする個人の内的問題によるものです。
 ところで三島には確かに他者を吸収合併して凡庸化=非個性化するところがあります。三島がフォルムこそが永遠である、という時、個性は時間の持続に耐え得るものではないという認識があります。100年も経てば、個々人の差異はふるいにかけられ、様式化したもののみが固有名として定着します。アンフォルメルの思想を否定し、人間の形それ自体を志向するのは彼が代表的人間、ある性格の雛型となり、類似する他者を全て代表しようとする意思があるからです。

宴のあとは作者の死によって完成 投稿者: iroiro_1 2001年8月12日 午前 2時59分
 みなさん、こんにちは、私が色男です。
 万博と三島事件は同じ1970年の出来事ですね。基調テーマが進歩と調和と言う事で、違和感を覚えたバタイユの学友でもある岡本太郎は古代の呪術的な偶像を思わせる太陽の塔をデザインして、あの未来は薔薇色という価値観の調和を乱す異物として、あれを出してきたのですね。そのエンパイヤーステートビルによじ登る文明の破壊者キングコングと何処かで重なるところのあるシンボルは、また三島の存在を寓意するようなものでもありました。
 三島のコミック的要素というのは、いかにも真面目な戦後派作家にはことさら痛ましいほどに見えたらしいのですが、この大衆社会の成熟期に大衆の物欲をイヤみなまでに先取りして、挙句の果てには大衆の手にしつつある当時三種の神器などと呼ばれた家電製品を不毛な観念として批判までしてみせるのですね。白亜の邸宅に住み、海外旅行の自由化以前に3回も世界一周してみせた男は、あの黒沢映画「天国と地獄」で児童誘拐犯の激しいルサンチマンの対象になっても、なんら不思議はないでしょう。
 吉本隆明が国家なる幻想として武士道など古代朝鮮的なものに過ぎぬ、などと言ったところで、三島は初めから日本文化なる実体があると思っていた訳でなく、その無根拠性にこそ、空虚な中心の可能性を見出してさえいた事は「日本文学小史」などを読んでも明かです。「豊饒の海」は偽物の貴族性を描く事で近代の欺瞞を明示しようとした訳ではありません。先行する物語パターンを破綻させる装置として、様々な戦略が施された巨大な観念の構築物となっているので、近世の戯作のように王朝物語のパロディーという解釈では不充分です。

●色男NO.1(444) 題名:8月15日快晴 投稿日 : 2001年8月15日(水)14時33分
 こんにちは、(*^_^*)さん、(*^^)vさん、私が色男です。
 (*^_^*)さん、三島はユングはもちろん、精神分析学から民俗学まで、そうとう深く読み込んでいます。人間博物館とでも言いたいような異常な情報収集癖があって、平野も三島のそういうところに惹かれている要素もあるんでしょうね。とにかく徹底的な取材です。でも、平野がジミー大西に似ているというのは、ちょっと気の毒なような気がしますね(笑)。昔、加賀まり子が矢沢永吉の事をたこ八郎に似ていると言っていたのを思い出したのですが、ナルシストが自衛するには観察眼のある女性は一切近づけないに限るようですね。三島は写真に撮られる時は厳しく検閲して、写りの悪いものが外に流れないようにしたようですね。篠山紀信は、三島に現像した写真を見せると、これは佐藤栄作みたいなギョロ目がいやだなと言って、裏に×をつけて、暗黙の圧力を加えられたとどこかで書いていました。
 源氏から名前を付けられた三姉妹の話は面白いですね。源氏の妻という事でいえば、2番目は六条御息所なんでしょうけれど、自分の娘に付けたい名前ではありませんよね(笑)。
 (*^^)vさん、卑弥呼はパーシーも大好きですよ。その後継者の伊予の方がさらに気になるようですが。なんでもストーカーというレッテルばかりが横行すると、恋愛のボルテージに水を差して、淡白な男ばかりになってしまってはロマンスももうおしまいだ、というのは分かる気がしますね。特権的に甘美な恋愛に対する戦後民主主義的な嫉妬が感じられるというところでしょうか。でも中にはハッピーエンドを回避して、わざと敗北を志向するような性癖の持ち主がいるかもしれませんね。常識で考えて、こんな求愛表現では嫌われるに決まっているという事をする人がいるでしょ。ゴッホが意中の女性の目の前で自分の手を傷つけるような自傷行為に及んだというような類いですね。それこそ精神分析みたいな話になってきましたが。小野小町のような絶対到達不可能な対象に対して、なんらかの形で関係を捏造しようとか相手の記憶に自らを留めようとした場合に一線を超えてしまうのかもしれませんね。

補足 投稿者: iroiro_1 2001年8月17日 午前 1時24分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 太陽の塔は(T_T)さんのおっしゃるように当時知識人の間ではとても評判が悪かったようです。他のパビリオンと同様、万博の終幕と同時に解体されるという話もあったみたいなのですが、何故かあれは小学生にはとても愛されたのですね。遠足で万博に来た小学生はみんなあれをスケッチしたといいます。結局、あの塔は大切に保存され高度成長期の日本の想い出そのものになってしまったのですね。私も小学生程度なのかもしれませんが、あれを見るとセンチメンタルな気持ちになってしまいます。
 「豊饒の海」については、(T_T)さんは3巻、4巻の重要性を盛んに書いておられましたね。破綻という言葉がお気に召さなかったのでしょうが、それは「豊饒の海」自体を指して言っているのではなく、物語の起源以前への零度に回帰する物語批判の書であり、以後あらゆる物語の構造を反復せんとするものも零度への回帰、ニルバーナの円環に回収してしまう磁力を持つ作品である、という事を意味しています。大江風のレトリックによると、三島が自分の文学は終わったという時に、それは同時に文学そのものは終わったという事をも含んでいるのであり、それはまた自分の政治構想が不可能であるという時、あらゆる政治構想は終わったという事をも含んでいるのです。

肉体と作品 投稿者: iroiro_1  2001年8月20日 午前 2時42分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
零度という言葉を使用したのは、もちろんポストモダン文脈を連想させるためです。
ポストモダンのキーワードをごく単純に要約すると、形而上学、西欧中心主義についての批判という事になります。日本だと歴史以後の様式化された終りなき日常は近世に実現している、と見る人も少なからずいます。三島文学としては、その最後の小説で究極の相対主義によって、物語の最果ての風景が提示されています。三島は予め自らの死をも客観的に認識していた事でしょう。
 あるところで三島は滅びを前提としたもの、滅びそれ自体は永遠である、と語っていましたが、三島の肉体とは常に三島文学の外部に存在すべきものとしてありました。三島の肉体は価値相対主義の異物として、絶対者によって存在せしめられるものとしてありました。最終的に豊饒の海は三島の不在によって完成するものなのです。日本のなくなる日、横尾忠則のポスターによって日本的なるものが記念されるようになる日とは、三島がいなくなる日の事であるとも言えます。

●色男NO.1(446) 題名:はじめまして、!(^^)!さん 投稿日 : 2001年8月20日(月)23時47分
 はじめまして、!(^^)!さん、初入国ありがとうございます。
 ここは三島でもそれ以外でも広く文学を愛好される方のコミュニティーです。どうぞ、宜しくお願いしますね。文学館は全国至るところに無数にあって、私などもそのほんの一部を訪問したにすぎませんが、三島文学館は規模としてはささやかでありますが、展示品は超一級品ですし、映像資料なども充実していると思います。山中湖畔の文学の森がすてきですね。隣接館として徳富蘇峰館があるところがユニークですが、三島個人とはあまり接点のない甲斐の国は霊峰富士の近くにあるのは,素晴らしい着眼点だと思います。三島関連としては東京の市ヶ谷記念館がありますが、こちらはツアー形式での見学になっています。親戚の方が三島の死の時に居合わせたというのは興味深い話ですね。
 先日の(*^^)vさんの熊沢天皇に関するご質問にまだお答えしてなかったので、少しだけ書いておきます。「われこそは南朝正統の皇胤であり、皇位継承の権利はわれにある。天皇裕仁はすみやかに退位せよ」と熊沢寛道という人物が終戦すぐに宣言して脚光を浴びたのです。南北朝のように2人の天皇がいて交代で即位したとかいう事ではなく、さまざまな政治的思惑からこの人物が歴史の表舞台に引っ張り出されたという事でしょうね。まず、明治44年に明治天皇が南朝を正統と認める勅裁を出しています。現天皇は北朝の系譜につらなります。熊沢は系図などを持ち、戦時中には東条英機や右翼、急進派の軍人との交流をもったのですが、その背景には陸軍内部に穏健派の昭和天皇では物足りないグループが存在し、南朝帝の新政府樹立を画策しようとする事情があったようです。そこで多くの取り巻きが熊沢天皇についた訳ですね。戦後、マッカーサーの占領軍はまたこれを利用しようとします。ところが占領軍は天皇制の権威を解体するよりも反共の理念を徹底的に植え付けるには天皇を利用した方が統治しやすいと方向転換をします。それに追い討ちをかけるように、昭和26年に現天皇不適確訴訟を起こし、東京地裁は天皇は裁判権には服しないと熊沢一派を門前払いにし、熊沢家系図は偽作であるとする国史学の大家と熊沢のブレーンであり側近中の側近吉田という人物の真贋論争が起こりました。この論争で敗北して、熊沢一派は散り散りとなり、世間からも奇人扱い、不遇のうちに昭和41年に世を去りました。しかし、今もなお熊沢家の系図を研究する人もいて、真贋の謎が完全に解けた訳ではない、というオチがつきます。昭和史の闇に飲みこまれた熊沢天皇という人物は一瞬であったにしろ、自らを天皇と信じうる境遇に置かれた人だったという事です。

文学と信仰 投稿者: iroiro_1  2001年9月03日 午後11時57分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 今回は奥野健男の「三島由紀夫伝説」(新潮文庫)を再読してみようと思います。まず、奥野という人から連想される作家といえば、なにをおいても太宰治という事になる訳ですが、一般に三島と太宰は対極の存在と見られているとおもうのですが、奥野という人は太宰に心酔すると同時に三島とも文学的交流を持ち、おおむね、その理解者として振舞いました。
 そこで、奥野にとって両者はどのような文学観から評価されていたのか、という事を検討しなければなりません。奥野の太宰文学中の最大傑作は人間失格なのですが、人間失格を評価する人が三島作品を評価するというのも、どこか違和感が感じられるのではないかと思います。
「ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」や「悪霊」のような壮大な展開こそないが、その深さは「地下室の手記」を超えている。(略)太宰治の全作品が消えても、「人間失格」だけは人々にながく繰り返し読まれ、感動を与え続ける、文学を超えた魂の告白と言えよう。」ここで奥野は文学としての、あるいは小説としての壮大な展開すなわち完成度においてはドストエフスキーの大作群に臨界点があり、人間失格がそこまで到達していなくても、魂の告白として作品の完成度という問題点をはるかに超越した、ある宗教的聖典があって、聖書と同様、永遠に読み継がれるものだと、自らの信仰告白をしています。奥野の文学的処女作「太宰治論」は今日、太宰研究の古典として知られますが、その出版記念会には三島も出席していますし、昭和31年の刊行には「出版だより」には次のような文章も書いています。
「これだけ好きなら、何も文句を言うことはない。しかしこれは私にとって永遠に解けぬ謎であり、批評のもつ唯一の神秘であるが、正確を期した愛し方というものが人間にはできぬ以上、批評の最後の機能は、愛なのであるか?それとも正確さなのであるか?」

●色男NO.1(457) 題名:文学の魅力 投稿日 : 2001年9月5日(水)23時41分
 こんばんは、(*^_^*)さん、(*^^)vさん、!(^^)!さん、(^^♪さん、私が色男です。
 (^^♪さんの詩集が某文学賞の最終選考から大賞まで行って、見事50万円を獲得できればいいですね。私も陰ながら応援しています。「近代能楽集」は度々舞台化されていますね。藤原竜也の弱法師も好評みたいですね。劇作家としては三島は今世紀最高とまで言ったのは奥野健男でしたが、晩年の三島は芝居にはもう興味を失っていたようです。彼の人生そのものがギリシャ悲劇のような大きな芝居でした。しかし、それはあらゆる舞台を否定するための最もラディカルな芝居だったため、演劇人の嫉妬が彼に集中するようになりました。
 (*^^)vさん、熊沢天皇は確かにかつぎ出されて人生を狂わされた人のように見えます。瀬戸内寂聴から見れば、三島も若い血気盛んな隊員達に担ぎ出されたように感じたようです。歴史はいづれまた、別の誰かを担ぎ出すのでしょうね。
 佐藤栄作のギョロ目が少しうらやましい、とお書きになっているのを、思わず笑ってしまいました。とてもユーモラスですね。政界の団十郎と呼ばれて、男前の評判のある人だったようですが、在任期間がやたらと長くて退屈なイメージがあったようですよ。実兄は昭和の妖怪と呼ばれて、ものすごい風貌をしていましたし、昔の政治家は顔にインパクトがありましたね。ちなみに佐藤夫人寛子は三島ファンとして知られていました。
 !(^^)!さん、直接役に立たなくても文学が好き、というのはよく分かります。大学も、とくに私学はこれから少子化の時代ですから、生涯教育は生き残りの点からもどんどん盛んになっていくでしょうね。旅行会社も文学散歩みたいなパックをいろいろと出してくるでしょうし、活字離れとはいっても文学の需要自体がなくなってしまうとは考えにくいですよね。自分史ブームなんてのも、数年前からよく聞かれるようになりましたし、でも、小説の文庫の新刊の売れ行きの落ち込みはかなり深刻みたいです。時代が新しい文学を生み出す力がなくなって、もはや古典となった近代文学が繰り返し消費されるような時代になったのでしょうか。
 (^^♪さん、お帰りなさい。テストを無事に終えられて、また、みなさんと楽しい会話が出来る事をお待ちしています。夏の思い出など、よろしければお聞かせ下さいね。

なぜ伝説なのか 投稿者: iroiro_1 2001年9月09日 午前12時58分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 前回、紹介した三島伝説の中で、奥野は太宰を母である、とも書いていますね。また、奥野の三島伝説は三部作の最終巻という事で、文春の編集者に口説かれ、ついで平林たい子から熱心にすすめられて、「自由」という雑誌に73年11月号から75年11月号まで、千枚余の連載をしたのが、途中、諸事情により、休載してしまったという事です。それが、ようやく完成にこぎ着けたのが、92年の事。本のタイトルが伝説となった事については奥野自身の文章を引用しておきましょう。
「「伝説」としたのは、文芸評論というのは自分では正確を期したつもりでも所詮個人の思い入れであり、それこそ<それも心心ですさかい>(「天人五衰」)であるとすれば、この本も「評伝」ではなく「伝説」のひとつに過ぎない。もともと三島由紀夫は<或る狂おしい詩的な魂>そのものであったから、うつしみがこの世に存在したというのも「伝説」かもしれない。」

親友の裏切り 投稿者: iroiro_1 2001年9月17日 午前 2時59分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 奥野にとっては三島は週一で長電話をする親友であり、最も尊敬する文学者であった、という事ですね。それがあの事件で裏切られたという強い悲しみを覚え、三島が分からなくなった、と書いています。あの憂国の志士と自分が交際してきた三島は本当に同じ人物であったのか。
昭和19年には、花ざかりの森を買い求めて、当時の日本浪漫派的青年にその才能を瞠目させていた神童の周辺に奥野もいた訳です。昭和26年に、太宰治論をたずさえ、荒正人の紹介状を持って初めて三島の緑ヶ丘の家を訪問し、その翌年から交際が始まりました。
 三島はまことに社交的な人物で、様々なジャンルの人々と交際を持ち、それぞれ連絡のないグループの中にあって華やかなメディア的人間として振るまい、また交際する人々に自分こそが理解者だ、と思わせる技術は巧みで、恐るべき博識によってそれは可能となった訳です。およそ全貌を現す事のない三島は異常なまでの用心深さで他人にしっぽを掴ませないのでした。

太陽と鉄 投稿者: iroiro_1 2001年9月17日 午前 3時53分
 奥野問題は一時中断して、私も太陽と鉄について、少しだけ書いてみようと思います。
 この作品は、三島文学の中でも、告白と批評の中間形態、秘められた批評、比類のない教養史というように難解なものであると思われます。言語表現の外部を言葉によって成立せしめるという企ては矛盾であり、表現者が生きている限りは不可能である事がまず前提として、確認されています。何の言葉も要らない幸福について語る事の危険。文学が言葉に対する信頼を自明とするものであるならば、この作品はあきらかに非文学を志向するものという事になります。三島自身の告白と三島に対する批評、それが同時に他ならぬ三島自身によって追求されるところから、この作品は始まります。
奥野と同様、三島の親友の一人であった澁澤龍彦は太陽と鉄について、次のように書いています。
 肉体は即時的に肉体なのではなく、肉体を傷つけ否定することによって肉体になるのである。自己証明が必ず自己破壊にゆきつくところの筋肉の特質と三島氏は太陽と鉄のなかで、この肉体の外部と内部の弁証法を簡潔に要約している。
 澁澤は、三島由紀夫おぼえがき、の中で続けて、三島の肉体に対する信仰告白の書であって、将来の自分の死を合理化するための理論書に他ならず、作者が死んだ今となって狭雑物が取り払われ、その説得力は増したといえようか、と書いています。
 太陽崇拝についても、ぼくは自分の小説はソラリスムというか、太陽崇拝というのが主人公の行動を決定する、太陽崇拝は母であり天照大神である。そこへ向かっていつも最後に飛んでいくのですが、したがって、それを唆すのはいつも母的なものなんです、と三島は語っています。
 集団という肉体の原理に同一化するのに、自意識及び言葉は邪魔である、言葉の天才が自己犠牲に価値を置き、集団の同苦を志向する時、言語表現の作者の死は必定であり、作者の存在は歴史内存在としての固有名と入れ替わる訳です。三島の血と死の個人的嗜好を離れて、それはヤマトタケルの西郷の226青年将校の存在と同一化するのです。そこで初めて、奥野が澁澤が慎太郎が交際した同時代人としての三島は消え去り、つまり彼らのイリュージョンと化学変化を起こし、その非同時代人によって物語としての三島が共有されていくようになるのです。裏切られた!全ての親友達はやがてあの豊饒の海の本多のように清顕を他者と共有しようとして拒絶されるようになるでしょう。
 次に同書より一つのエピソードを紹介しておきます。
昭和40年9月、三島はパリから梓にあてて一通の手紙を送っています。再刊される事が決まった「宴のあと」についてガリマール社と出版打ち合わせする事になり、ロスチャイルド家からの歓待があった事を露骨に喜んでいるというものです。
「父上様母上様お元気の由安心しています。パリは心配を裏切って大成功、ロスチャイルドの後援ぶりは大へんで、全然ひいき角力扱いです。到着怱怱にホテルへ大きな花篭が届けられる、着いた晩は夫婦でトゥール、ダルジャンへ連れて行ってくれ、あくる日は批評家などを招いて僕が主賓で午餐会、次の日はまた別のジャーナリストを招いて晩餐会、これにマルロオ夫人も出席、ガリマールもこれに負けずに社長の招待があり、インタビューもいろいろあり、丁度正月にガリマールで「宴のあと」が出るためもあってタイミングも満点、明土曜はロスチャイルドの田舎の本邸へ連れてゆかれる。パリの邸はまるで御殿で、はじめてパリの上流社交界という今まで映画や小説でしか知らなかった世界の人物になりました。それも見物人としてではなく主役として。、、、、、」

●色男NO.1(480) 題名:文理のバランス及び近代能について 投稿日 : 2001年9月19日(水)02時47分
 こんばんは、!(^^)!さん、(*^_^*)さん、(^^♪さん、(~_~)さん、私が色男です。
随分たくさんの書き込みがあったので、他のスタッフともどもたいへん大喜びしています。
 !(^^)!さんは古典好きの物理教師の一言で人生の進路を決定するめぐり合わせとなり、薬剤師さんとなられたのですね。文理のバランスがとれているというのも、ここパラダイスでも理想とする境地でありまして、古くはルネサンスの巨人達から、日本近代文学では鴎外、茂吉、賢治、安部公房から吉本隆明に至るまで連綿と続く系譜があるんです。情緒よりも理知に傾く作風に日本の私小説を突き抜ける要素がありますね。北杜夫は物語作家として三島も絶賛していますね。渡辺淳一は以前、私も文春主催の講演会で話を聞く機会があったのですが、この人はむしろ情緒的なものを好んでいるように思えました。女性を美化しないところに観察眼の冷徹さがあり、その非理知的な罠に耽溺する性癖に科学者を逸脱する情念を感じます。不倫でなければ感じないというのも、自らの性感帯を心得た自己愛者の辿り付く非日常ですね。
 (~_~)さん、はじめまして。ご入国ありがとうございます。
 近代能楽集の参考文献をお探しになっているという事ですが、私どもも相互リンクしていただいている(現在リンク集は閉鎖しているようです。)高寺さんの三島由紀夫倶楽部の文献に関するコンテンツをご覧になってみてはいかがでしょうか。作品ごとの論文や著作、収録雑誌等の概要が詳しく紹介されています。三島と親交があり能楽にも詳しい堂本正樹氏のものをまずは手始めに読んでみてはどうでしょうか。卒塔婆小町は観阿弥作(伝)の四番目物と三島の近代能では、ストーリーもテーマにも若干の相違があるようです。小町は零落の狂女で自らを嘆きその運命を恨みもするのですが、三島作には小町には超越性があり、深草少将の悲恋を反復する詩人にこそ哀れがある訳です。それはあるいは三島自身の告白であり、客観的には老婆でしかない対象、例えば日本でもいい、そのために身を滅ぼす詩人に同一化しているとも言えるでしょう。豊饒の海の聡子にも通じるものがあるというのは、あまりにも清顕は深草少将に似すぎていますからね。ただ、清顕の場合、自らの意志で絶対の不可能、聡子を小町に仕立て上げているのですね。
 恩師の墓前で決意した文学復帰。(~_~)さんの中にそれだけの必然性があれば、それは本物なのでしょう。ここでいろんな方と出会って有意義な対話が出来れば、私も嬉しく思います。これからも宜しくお願いしますね。
 随分時間が遅くなってしまいました。(*^_^*)さん、(^^♪さんのレスはもうしばらくお待ち下さい。今夜はもう寝ます。みなさん、おやすみなさい。

●色男NO.1(487) 題名:命短し恋せよ乙女 投稿日 : 2001年9月21日(金)02時46分
 (^^♪さん、レスが遅れて大変申し訳ありませんでした。
 これから実社会に出ていくという事で今は大切な時ですね。(*^_^*)さんもお好きだというミスチルとベートーベンが消去法の果てに残されたというのも面白いですね。他の様々な音楽は(^^♪さんの中で賞味期限が切れてしまったのか、テーマの共通性などの点でその2点に集約されてしまったのでしょう。失恋をして、新しく生まれ変わる上で残された(^^♪さんの一貫性というか、連続性という脊椎に当たる部分かもしれませんね。許す事、喪失する事でありすさんは人生の大きな「事件」を乗り越えようとしているんですね。クールで非人間的で拝金主義で孤独も平気というのも、おそらく一過性のものです。新しいステージに移行するために過去に引き戻されないために、(^^♪さんを情緒的にするあらゆるものの侵入を拒むあまりに鉄壁が過剰に分厚いものになってしまっているのです。
 最後に勝つのは妻。もし、(^^♪さんの経験が言わせた言葉だとすれば私はひどくせつない気持ちになってしまいます。普通、男は帰る港を持ちたがるものだという事をよく分かっていらっしゃいます。でも、恋する事を恐れないでくださいね。おそらく人生で最も大きな収穫を得られるものが恋に他ならないからです。
 (*^_^*)さんへのレスにも書きましたが、このサイトを通して誰もが個人的特殊事情を生きているのだという事を分かってください。そこから普遍性に至る道が延びています。
 (*^_^*)さん、来年の桜桃忌には是非参加できるといいですね。
それから申し遅れましたが、ご結婚される予定があるという事で本当におめでとうございます!(^^♪ありすさんもおっしゃるように、(*^_^*)さんなら素敵なご家庭を築かれる事と思います。そして(*^_^*)節(!)で、ここでもユニークな文体でおのろけ書き込みして頂ける事をお待ちしています。
 !(^^)!さん、戦闘機が頭上を毎日のように飛んでいくというのは現在がリアルに感じられて不安にもなりますね。日本の国際的立場、あるいは先の湾岸戦争での日本に対する国際的批判を想起すれば、一連托生、日本政府は何らかの関与を辞する事は叶わないでしょうね。
 三島は姦通も美しければよいのではないか、と言っています。文学は必ずしもも不倫を支持するものではありませんが、現世で許されぬ天国に結ばれる恋であるならば、時後において救済されるものです。モラルのないところに不倫はありません。もっと厳密に言えば、救済されるに値する姦通はモラルを、しかも容赦ないモラルをこそ要求するものであり、モラルのないところには単なるフリーセックスしかありません。当然、そこには魂の輝きはありません。源氏も仏教思想のバックボーンがなければ、あれほど美しい物語にはならなかったでしょう。

●色男NO.1(488) 題名:(*^_^*)さん、待ってください 投稿日 : 2001年9月21日(金)02時51分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 (*^_^*)さんがこのサイトに登場して以来、様々な話題を提供していただいて、私も楽しく毎回勉強になり、そういう考え方もあるのかと、もう一度文献にあたってみる事も一度や二度ではありませんでした。世界には実に様々な民族や言語、宗教があり、それが温暖差など多少の差異を孕みながらも、ほとんど物理的に同一の条件下で私たちは共存している訳です。
 文学はあらゆる思想、時には危険思想をも容認する自由な思考実験の場所でもあります。書く事で対話する事で救われるという事があります。(*^_^*)さんの書いてくださる文学観、思想は例えばパラダイスのようなサイトで公開される事で、意味が生じるものだと思うのです。ゲーテも紫式部も優れた社交人でした。私達は文学の国憲法を遵守する限りにおいて、あらゆる思想を超えて文学を愛好するものとして社交すべきだと思うのです。おっしゃるように(*^_^*)さんの内的世界が作品となって結実する時に偉大な成果が現れると思うのです。技術的にも文学の鍛えられるために、これからもいろんな(*^_^*)さんの「言葉」を読み続けたいと思います。
 戦争、自殺、そこから目を逸らしては本当の文学は生まれません。(*^_^*)さん、もう一度戻ってきて下さい。

倅と宗教 投稿者: iroiro_1 2001年9月26日 午前 2時02分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
親友あるいは心の友もさることながら、三島の至近距離にあって、この類いまれなる怪物の日常を詳細にレポートした文献に「倅、三島由紀夫」(平岡梓著、文春文庫)があります。          
 梓はまさに誰も知らない人間平岡公威について様々な新事実を提出している訳ですが、その文学に関しては全くの素人であり、この著作の冒頭で自ら語る資格のない事を認め、いわゆる伝記とは違う事を断っています。自分なりの探求の執念を持ち続けてゆく決意とも語っています。
 梓は仏教を理解しようと勉強したらしいのですが完全に降参。
「いろいろと想いあぐんでいる中に、天の啓示でフッと僕は回教のことを思い浮かべ、早速その本を開いてみましたが、これには驚きました。回教は右手に剣、左手にコーランでアラブ民族の統一をなし遂げたのです。こんな勇壮な宗教はめったにない。功利的な十字軍、あんなものはインチキものです。「剣」これなら倅も文句はあるまいと思いました。またアラブ族はカニを食べないそうですから、カニ嫌いの倅はその体質もアラブ族とまったくそっくりではありませんか。理想的です。それで剣のほうは、倅に委せることとしてコーランのほうは僕がお引き受けいたしましょう。」

●色男NO.1(501) 題名:パラダイスでは全てが開放される
 こんばんは、(-_-)zzzさん、(*^_^*)さん、(^^♪さん、!(^^)!さん、私が色男です。
 (-_-)zzzさん、はじめまして。東洋大の中島らも講演会面白そうですね。中島らもの作品を私は読んだ事がないのですが、テレビ出演しているのを見た事があります。
 (*^_^*)さん、大変勇気ある告白をなさって、表現者としての気慨を見る想いが致しました。病気には2種類あって、なんとしても完治すべきものと、付き合い方次第によっては得がたい人生の真理に到達し得るものがあります。薬をつけても治らないとあれば、生涯の友と達観して、とことん付き合うという道もあるでしょう。三島や太宰の才能も一般人から見れば病気です。それが命に別状はなく共存できるものであれば、プラスにだって転換できますよ。ここは(*^_^*)さんのお帰りになるのを、いつも待ってている場所ですから、可能な限り告白して下さい。良性の病気になる事を私は祈願しております。

●色男NO.1(502) 題名:女の一生 投稿日 : 2001年10月2日(火)02時06分
 (^^♪さん、バイトはいつでもリセット出来る気軽さをもって実社会を体験学習できるものですから、学生身分の特権を有効に使わない手はありませんよ。(^^♪さんは本能的にもう気付いてしまっていると思うのですが、耽美主義はある程度以上の経済的基盤の上にしか成立しない芸術理念です。従って耽美主義にはヒューマンな偽善なるものは相容れる事なく、他者救済の理想主義とも出発点において縁が切れているんです。谷崎の細雪なんて、まさに芦屋マダムの世界で戦時非常事態にあって軍人勅諭の匂いの全くしない平安貴族の雅を再現しようというものですから、その傍観的態度は徹底的なものです。レジスタンスは美に似つかわしいものとは言い難く、若い女性であるという事、学生であるという事、外見的身体的記号を仮面として世間を渡る事が(^^♪さんを最も高値に商品価値をつける事になります。様式美、内面はどうあれ、外見を最大限に利用するに限ります。人生はその年齢年齢の価値を巧くアピールする事に成功したものが勝つんです。世間的に隠蔽するテクニックさえあれば恋愛はいくらでもすべきですし、結婚は相手によっては女性の場合あらゆる就職に勝ります。必ずしも結婚を恋愛のゴールと考える必要はないでしょう。
精神安定剤を飲んでいた片思いの彼との純愛が(^^♪さんに多大な影響を与え、人生における方向性まで与えているんですね。保険の勉強、精神系への偏重から医学部進学への動機付け。それが達成されなければ法学部進学という異なる方法論での目的の遂行と柔軟性ある選択をする(^^♪さんには、私などから見れば女性特有の生きる事に対するしたたかな強さを感じます。
 モラルもあり心優しかったがゆえに傷ついた彼に代わって、あるいは楯になるかのように戦う女性。これだけでもう一つの小説です。同じ男として、それだけ愛されるというのは羨望の対象であり、恋愛の才能ある男性という事も出来るかと思います。女性は恋愛によって生きるものです。あの映画「タイタニック」のローズという女性は、そういう意味において象徴的であると考えるものですが、また驚くべき点はあれだけの悲恋を体験してもなお結婚して子供を産み育て、100歳まで生きる強さについてです。(^^♪さんのこれからについては長編小説を読むような楽しみがあります。

●色男NO.1(503) 題名:太宰伝説 投稿日 : 2001年10月2日(火)02時32分
 !(^^)!さん、円地文子、横山大観も眠る谷中墓地に行ったのですね。徳川家墓地は正妻側室が隣合わせというのはインパクトある光景ですが、当時は子供を産んだら勝ちみたいなところがあったんでしょうし、側室に愛人的イメージを見てしまっては理解し難いところでしょうね。上野精養軒は確か太宰の処女出版「晩年」の出版記念会をやったところだったと思います。その太宰なんですが、みなさんの話題に出ている繊細で傷つきやすく、心優しいインテリタイプの典型みたいな人ですよね。人間失格などの作品から生まれたイメージ、あるいは本人が計算して演出したキャラなんでしょうけど、代名詞と言っていいほど定着した一種の伝説ですよね。太宰作品に出てくる精神病院は暗くて随分古いイメージですが、現在ではもっと気軽に通院できる、三島の「音楽」に出てくるメンタルクリニックみたいなものでしょうね。
 病院での窓口業務、まずはお疲れ様です。立派なお考えがあった上で引き受けられたという事ですから、初日以降、充実の毎日を御過ごしになっている事と思います。三島は小学校から高校までは学習院、大学は東大法学部です。いわゆるエリートです。それまで作家は文学部中退みたいな人の方が多かったので、三島は文壇に出た時は異色の存在と見られた事でしょうね。ハリーポッターは来年映画が公開されますね。私はそちらの方を見てみようと思います。

●色男NO.1(506) 題名:谷崎雑感  投稿日 : 2001年10月13日(土)00時33分
 みなさん、こんばんは、私が色男です。
驚愕のアメリカ同時テロ事件に対して、芸術至上主義者谷崎はどこまで沈黙を守りうるだろうか。
陰影礼賛、青春物語、文章読本は中公文庫。少年時代は岩波文庫です。谷崎に思春期は似合いません。少年と老人が奇妙に混ざり合って、美女に虐待される時に、その真価を発揮させます。
 少年時代は幼少時代の誤りでした。ちなみに幼年時代、少年時代はトルストイの作品にあります。両者の共通点はノーベル賞の候補になった事でしょうか。
陰影礼賛、青春物語は99年までは中公文庫に入っていたのですが、現在は絶版になっているようです。古書店で探してみる事をお勧めします。文章読本は現在も中公文庫に入っています。
陰影礼賛は今年、つまり2001年になって重版が出ているようです。書店になくても、取り寄せてもらうといいでしょうね。
 (^_^)さんの谷崎の好きでない部分が谷崎ファンの好きな部分だったりするかもしれませんね。谷崎は一貫して耽美主義であると同時に芸術至上主義でしょ。
三島の過剰なロマン主義はやはりそこから逸脱するんです。谷崎とは畳の上で文豪として死ぬ作家ですが、三島は言うまでもなくそうではありません。
ここには古典主義とロマン主義という二項対立の図式があります。
細雪は谷崎の自己解説にあるように、時局がら、デカダンスな描写が押さえられていますね。谷崎独特なあくどいまでの官能の世界が陰を潜めていて、谷崎ビギナーでもとっつきやすい。
 谷崎には猟奇趣味に走る作品がある訳ですが、私なんかはそれを面白いと思ったりするんです。でも読者は谷崎的でない人が多いように思いますよ。
私はその漫画の中では美味しんぼをテレビのアニメで見て知っているだけなのですが、あれも一種のライバル物語ですよね。
あの海原というグルメが芸術至上主義者で憎らしいほど傲慢で道徳の彼岸に超然として、その妻は不幸で死んだかなんかで、
息子の新聞記者は父に対立して対決するのですがいつも敗北を喫して悔しがったりするんですよね。小田原夫人譲渡事件になぞらえれば、新聞記者は佐藤春夫でしょうか。
 天才の自意識の塊で悪魔主義的なキャラが谷崎その人を彷彿させます。新聞記者のアニメの声優があしたのジョーで二重に楽しめますしね。どなたか「饒太郎」「金色の死」をお読みになった方はいらっしゃいませんか。
 初期の谷崎はワイルドの影響を指摘され、悪魔主義、世紀末文学とのレッテルが貼られる事は周知の事実でありますが、ここにはワイルドを意識しつつも谷崎自身の芸術観が色濃く顕われていて、興味を引くものがあります。
 宇多田ヒカルの好きな作家は、鴎外、漱石、芥川、川端、三島、中上建次、宮沢賢治、司馬遼太郎、ヘルマン、ヘッセです。コロンビア大学には日本文学研究の大家ドナルド、キーンがいます。
才能のある人はセクシーと書いてますね。才能ある人は才能に惚れるものです。
 谷崎記念館へは10月20日から11月25日の間に行ってみる事をお勧めします。『瘋癲老人日記』の世界という企画展があります。
渡辺氏より寄贈を受けた資料を中心に、谷崎と渡辺氏の往復書簡・原稿・校正刷・書籍・棟方志功の板画をはじめとする資料により紹介しているという事です。
渡辺千萬子と谷崎の往復書簡集『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』(中央公論新社)をお読みになってからお出かけになると、よりいっそう楽しめるのではないでしょうか。

●色男NO.1(507) 題名:読書とスキルアップ 投稿日 : 2001年10月13日(土)01時04分
 !(^^)!さん、(*^^)vさん、こんばんは。
 !(^^)!さん、三島の写真集は1990年の没後20年記念出版として新潮社から刊行された「グラフィカ三島由紀夫」の文庫化されたものですね。三島ほど多くの写真に撮られた作家も珍しいと思いますが、一枚一枚どれも超人的な自意識が強いオーラとなって発散されているものばかりです。いかなる時も目だけは笑っていないと評された三島の膨大な写真は、これまでにも何度か写真集になっていますが、確か現在刊行中の全集にも写真の巻が入る予定だったと思います。
芥川、谷崎もそうですが、太宰作品には耳慣れない薬品名が頻出しています。今覚えているだけでも、パビナールにヘノモチンなど、現在それらの薬物はどういった形に姿を変えているのでしょうね。
 (*^^)vさん、お久しぶりです。いつも葵さんがお帰りになるのを楽しみにしていました。高校時代にバンドでギターをやっておられたという事で、珠実さんとは音楽方面の話も出来そうですね。「永すぎた春」はお昼休みに読むのに最適だったと思うのですが、「金閣寺」になると満腹時よりもむしろ空腹時に深夜の頭が冴えて眠れない時に集中して読むのが本当は理想的なのですが、もちろん、リラックスして読む「金閣寺」もなかなかいいかもしれません。いつまでもあると思うな親と会社という事で、転ばぬ先のスキルは今の時代、真剣に考えるべきテーマかもしれませんね。

金色の死 投稿者: iroiro_1 2001年10月22日 午前 1時29分
 みなさん、こんばんは、私が色男です。
三島文学の愛読者にとって、ある意味、三島という存在自体が大きな問題になっているという点については、これまでにも指摘されてきたきた事と思います。行動者三島による作者三島の殺害がなければ、作者の断筆宣言がなされぬ限り、愛読者は三島文学の次回作を待つという楽しみを奪われずに済んだ訳ですから。三島は作家の老年の形として、次の2つのタイプを挙げています。
根本理念がお金の商人型の谷崎。
根本理念がお金ではない侍型の荷風。
 この相反する2つのタイプのうち傾向としては荷風よりになりそうに思われるが、それに徹する心根もないので、精神は荷風、生活の外見は谷崎の折衷型になるだろうと三島は、自らを分析しています。
また三島の作家論中でも白眉といいたいほどの谷崎論において、三島は谷崎が放棄した「金色の死」の方向に自らの告白を仮託しています。谷崎にとって文学的に老年に達する事が必要とされたように、三島には自己犠牲で完成する芸術というプランがあった事が、この批評から了解されます。

●色男NO.1(520) 題名:みなさん、お帰りなさい 投稿日 : 2001年11月1日(木)03時02分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 <^!^>さん、はじめまして。日本文学を専攻していらっしゃって、課題の小説をお書きになったと言う事ですね。指のきれいな人なる細部への執着が谷崎の足フェチを連想させて読んでみたい誘惑にかられますね。この文学の国には多くの小説を書く方がいらっしゃいますから、また是非いつでも遊びにいらっしゃって下さい。
 !(^^)!さん、この国で元気になっていただけるというのは、とても嬉しいお言葉です。読書、芸術の秋、お仕事の合間にクリエイティブな虫がもぞもぞと騒ぎ出しているご様子で、今、!(^^)!さんの脳裏に豊かな着想がふつふつと沸き起こっているところなんでしょうね。覚書を書きとめておくのも、いいかもしれませんね。何かネタ帳のようなものを。ビューティフルボーイという英国の小説を私は恥ずかしながら知らないのですが、ストーリーからすると、ダスティン、ホフマン主演の映画「クレイマークレイマー」が確かそんな感じだったように思います。男性の育児は幼少年期の子供の情操に何らかの影響を与えるのでしょうか、日本は母子密着の度合いが欧米社会に比べても強いようですから、父親も大変かもしれません。美術展は私も好きで昔はよく行きました。いい絵を見ると模写してみたいなと思うのですが、言い訳になってしまいますが、多忙につき、なかなか始まりません。
 (^^♪さん、呼吸困難に陥るほどのプレッシャーと聞いては、少し心配になってしまいます。あまり思いつめないでマイペースで、(^^♪さんの長所を伸ばすようにして下さい。啄木じゃありませんが、友人が偉く見えて落ち込んだりもするかもしれませんが、精神の安定を保つ事が成功の秘訣です。パラダイススタッフはいつも陰ながらありすさんを見守っています。
 (^_-)さん、いつもパーシーが大変お世話になっています。ホームページ斜陽は私もいつも楽しく拝見させて頂いております。復活なさっての、ますますのご発展を心よりお祈り申し上げております。
 (*^^)vさん、このところ、本当に毎日が早くて、私なども気ばかり焦ってしまいます。
外国文学はあまりお読みにならないとの事ですが、短いものからチャレンジしてみると、案外食わず嫌いで思わぬ発見があるかもしれませんよ。表現についても、要は自分の文体が見つかればいいんですから、言葉にはうんとこだわって(*^^)vさんオリジナルになれば、それでもうOKです。知識量は好きなテーマにこだわって調べものなどしているうちに勝手に備わってきますよ。私もこの掲示板でみなさんの書き込みを読ませて頂いて日々勉強になっています。これからも(*^^)vさんの言葉でいろいろ書いて頂けると、とても嬉しいです。
 (*^_^*)さん、安定期に入って、この掲示板を覗いて下さったとは、本当に嬉しい事です。焦らずにじっくりと治して下さい。愉快な大衆文学こそ今の(*^_^*)さんに必要なものかもしれません。また書きたくなったら一行でも、この掲示板に書いて下さい。お帰りになるのを、ずっとお待ちしています。

●色男NO.1(523) 題名:自由の困難さと創造の苦しみ 投稿日 : 2001年11月10日(土)00時25分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 「太陽と鉄」について興味深い議論が白熱しているようなので、今回はこのテーマに限定して、革命や軍隊についてはまたの機会に語ってみようと思います。
現在の研究水準からして、肉体改造によって理想の生き方、英雄としての死が可能となった純粋な存在論哲学という解釈は、極めてオーソドックスの理解の仕方であると思われます。三島自身、生活、肉体の問題で文学を煩わされてはいけない、太宰は乾布摩擦でもすれば文学も変わったはずであり、治りたがらないような病人に真の病人足る資格はない、とどこかで書いていました。これには、私小説批判の問題も含まれると思います。肉体の態様、生活の問題を解消してもなお癒し難い、死の欲求を内包するところのナルシズムが、三島には血肉化された借り物でない思想だったのでしょう。
 次に太陽と鉄の言葉が意味するものは、という文体論に移りますが、太陽がこの世で鉄があの世であって、その境界こそが肉体であるという解釈は極めて独創的であり、三島の文学作品と比べて比喩が通俗的であるから、記号としてその真意を解明すべきだというのも、「太陽と鉄」が所謂三島美学の文体とは異なる非文学的作品である事の非常に個性的な解釈として受け止める事も可能であると思います。
太陽は死と同様に直視する事は出来ない、鉄は重量や形態にもよりますが人間の管理下に置く事が可能である、というように問題を整理すると、どうもあべこべのような気もしてくる訳でありまして、太陽が人知をしては統御できないものならば、太陽=観念=あの世、鉄=物質=この世、であるならば常識的に考えて理解が及ぶ訳です。
 !(^^)!さん、現代は生きる上での規範というかモデルが失われて、他者指向的にレールの上を進学、就職、結婚、出産とクリアしていけば、それが万人にとっての幸福というふうには、いかなくなったのかもしれませんね。太宰が家庭の幸福は諸悪の元、といったのはもう半世紀も昔の事になるのですが、全ての価値を一元的に家族至上とする事で、女は家庭に入らなければ、子供を産んで家系を次代にリレーしなければ、育児のためには自分の事は2の次にしなければ、といくつもの規範が心理的プレッシャー、脅迫観念になっていた部分もあって、道徳革命なる言葉も出てきたのでしょうね。
 (~_~)さん、お久しぶりです。近代能楽集の論文が捗っていないようで、今まさに産みの苦しみの只中にいるところなんでしょうね。特に絞め切りがないのであれば、少し時間を置いて気分転換し、頭の中をすっきり整理してみるのもいいかもしれません。ぴよこさんのHN、マザーグースの森の(~_~)ちゃんから命名されたというエピソードを紹介していただいて、(~_~)さんのイメージが具体的に広がったように思いました。ネット環境も整ったという事ですから、これからもいろいろな楽しい話題を楽しみにしています。

●色男NO.1(530) 題名:寒い冬が来る前に 投稿日 : 2001年11月21日(水)01時52分 
 こんばんは、!(^^)!さん、(^^♪さん、私が色男です。
 !(^^)!さん、この頃めっきりと冷え込んできて、もう冬のように朝夕はコートを着たいほどですよね(?)。(^^♪さんとの女性同士ブーツ談議はとても面白く拝読させていただきました。
 華岡青洲の妻は江守徹演出の文学座公演があったのですよね。ごらんになったのは、おそらくそれではないかと思われるのですが。1967年には大映で映画化もされ、監督が増村保造、青洲が市川雷蔵、妻が若尾文子、母が高峰秀子、ナレーターが文学座の大御所杉村春子という大変豪華なものでした。ミスキャストで評判がイマイチという事ですが、名作になるほど過去のイメージがいろいろとありますから、配役も演出も難しくなるのは仕方がないでしょうね。学生まではモラトリアムという言葉も示すように(古いところなら書生気質)、社会が寛大に扱ってくれたりしますからね。社会に出てからだと酒宴の席など無礼講など言って、擬似モラトリアム空間が生まれたりもするのですが、まあ、それが日常において継続する事はとうてい叶いません。社会人としては、例えばネット社会のような非日常のネットワークを構築して、趣味道楽の世界に自分を開放してやるのもいいでしょうね。
 (^^♪さん、人生最高の難問秘書検定によって社会勉強し、理想の人生実現のため、人間関係円滑の術体得に精進されたという事ですが、目に見えて着々とありすプランが進行しているようで、何よりです。でも知人にアドバイスされたという、今を生きる(映画のタイトルみたいですが)事も大切ですよ。旅行でも目的地に到着するまでのプロセスを楽しめないと、旅の達人とは言えませんからね。もちろん勉強は生涯に渡ってテーマを持ち深めていくものとは思うのですが、今、この年齢でしかできない勉強というものがあるのもまた事実なのです。苦労もやがては懐かしい思い出に変わります。難問奇問どんと来いとの気概で社会に挑みましょう。
 ピカチュウ、とっとこハム太郎、早坂好江どれも可愛い事この上ないではありませんか、きっと(^^♪さんの無意識の悩殺ビームにクラクラしている男性諸氏も多いはずです。自信をもって、マイペースで行きましょう。

 ●色男NO.1(533) 題名:いらっしゃいませ、(^_^)さん 投稿日 : 2001年11月27日(火)01時20分
 こんばんは、!(^^)!さん、(^_^)さん、私が色男です。
 !(^^)!さんが参加していらっしゃる様々なジャンルの観劇をする市民サークルは、とても楽しそうですね。年に1度の担当も楽屋を覗けたり大道具の手伝いが出来るなんて、なかなか体験できない事で羨ましい限りです。野村萬斎さんにお会いできたと言うのも、ファンの方には堪えられない体験だと思います。現在、劇場公開されている映画「陰陽師」も大人気で、特に女性の支持が高いそうです。また何かご覧になりましたら、この掲示板でも紹介して下さいね。

 (^_^)さん、はじめまして。
 パラダイスをいつもチェックして頂いているようで誠に有り難うございます。
私どもスタッフ一同、ご入国して下さったみなさんに少しでも有意義な情報と交流を楽しんでいただこうと日々、努めているつもりではありますが、なにぶん、お返事が遅れる事がしばしばある点につきましては、申し訳なく思っています。
是非文学の話題を通して、こちらにいらっしゃるみなさんとも仲良くなって下さるといいなと考えています。まずは好きな作家や作品について少しお話してみませんか。それから、文学以外の話題も絶対駄目という訳ではありませんから、みなさんの会話の流れなどから適当に書きこんでみて下さい。
 これから、宜しくお願いしますね。

●色男NO.1(537) 題名:読書方法のいろいろ 投稿日 : 2001年12月1日(土)03時03分
 こんばんは、(^_^)さん、!(^^)!さん、私が色男です。
 ゴールズワージーは20世紀の英文学史上でも著名な作家です。「林檎の木」は短篇の代表作で日本でも文庫など入手が容易なものです。内容は鴎外の舞姫に少し似ていますね。川端の伊豆の踊子だと相手は子供だし別れはあるものの悲劇というほどでなく読後感も爽やかなものがありますね。ゴールズワージーは1932年にノーベル文学賞受賞、1923年には国際ペンクラブの初代会長になっています。
 最近でも市川崑演出、近藤サト主演の朗読劇が今年の6月頃劇場公開されたようですよ。「金閣寺」は哲学的な難解な問題を含む小説なので初読では、まずストーリーや人物関係を把握するだけで充分だと思いますよ。
 !(^^)!さんのお友達には随分多彩な方がいらっしゃるので、なにかと刺激になる事が多いでしょうね。陶芸家と文学賞の受賞者という事で!(^^)!さんも、創作意欲が沸いてきますよね。私も岡山で備前焼をいろいろと見た事があるのですが、恥ずかしながら壷とか皿はあまりよく分からないのです。でも一度挑戦してみたいとは思いますね。「罠」という作品については、私は知らないのですが、どういったものなのでしょうか。タイトルからすると現代劇のような気がするのですが、よろしければ教えて下さい。時間がないと読書も乱読して全てを吸収するエネルギーは、なかなか出てこないものですよね。昔読んだ好きな作品だと速く読めるでしょうから、これを何度も何度も繰り返し読むというのも深い体験が出来るかも知れません。

●色男NO.1(540) 題名:年越しの準備体制突入 投稿日 : 2001年12月8日(土)22時26分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 随分久しぶりになってしまいましたが、奥野健男の「三島由紀夫伝説」に話を戻してみる事にしましょう。「人間失格」を文学なる制度を逸脱してまで書かれなければならなかった宗教的聖典であると評価した奥野が、同時に三島文学において最大の評価を与えた作品は「仮面の告白」でした。この作品によってはじめて主体的な文学者となり、この一作によって世界文学史上不滅の文学者になったとしています。ここから奥野は全くの空想とことわった上で、奥野自身にとっては揺るぎ無い確信であると断言し得るほどの仮説が展開されます。
 三島は間違いなく「人間失格」を読み、これに相当する作品を書いて、自分の本当の文学がはじまると考えたとしか考えられないほど両作の発想は酷似している、と。
 !(^^)!さん、罠について教えて下さってありがとうございました。ロベール、トマ作の傑作推理劇面白そうですね。
 私はマネ展と菅原道真展を見ました。両方とも見ごたえ充分でしたよ。
芸術の秋もすっかり終わってしまって、もう冬の気配というか師走のせわしない気分に追いたてられ、年賀状など作り始めたところです。

●色男NO.1(542) 題名:肉体と精神 投稿日 : 2001年12月20日(木)01時52分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 金閣寺が美しいのは言うまでもありません。それを前提としなければ、あの小説自体成り立ちませんからね。
 三島の妹については伝記的な情報を私は持っていませんが、文学的には重要ですね。三島は熱帯樹という戯曲の自作解題で、子供の頃にアラビアンナイトの墓穴の中で快楽を全うした兄と妹の恋人同士の話から異常な共感を覚え、それは今も消えずに心の中に残って、肉欲にまで高まった兄弟愛というものにもっとも甘美なものを感じている、と語っています。関連作品として「音楽」を併読下さい。
 三島会見記と境界としての肉体は面白く読ませて頂きました。胸囲は1m以上で冬でも裸でいられるアポロン像がうらやましいと、鳥肌立てつつも半袖シャツで真冬の街中に出没する怪人物(?)であったようです。死生一如なる東洋的此岸から空無なる彼岸を見ているという構図はイメージしやすいものですね。ハイデガーの死への先駆的決意性というのも、三島的な感じがありますよ。日常性においては人間は主体性を喪失して、平均的なヒトへと解消頽落してしまっているんですが、ヒトは死に関わる存在であるという事実についての自覚を持ち、本来的な自己の良心の声に従って生きる事で真の人間性を回復できる、というやつですね。
 こんばんは、!(^^)!さん、これから年末年始にかけて本当にあれこれ忙しく、読書する時間もままなりませんよね。クリスマスの壁紙はパーシー作ではないのですが、お世話になっている素材集のHPからパーシーが選んで貼りつけているようです。(他人事のような言い方ですね。なにぶん、パーシー任せなものですから。)
 文豪の顔写真は写真家の題材にもなりやすいですね。土門拳の写真全集に確か「風貌」という一巻があったはずです。被写体として女性は絵画的で男性は彫刻的だというふうによく言いますが、文豪の場合は生き様、精神を具象化したような印象がありますね。老大家なんかは特にそうです。でも、それとはまた異なる趣の文豪写真があって芥川はその典型だと思うのですが、映画スターのプロマイド的な表装というか虚構がありますよね。こういうタイプの作家は現代でもプロデュースしやすいでしょうね。クリスマスに読む本と言えば、薄くて読みやすく、しかも古典的名作という事になれば月並みになりますが、ディケンズの「クリスマスキャロル」という事になりますね。もうお読みになっているかもしれませんが。

●色男NO.1(550) 題名:2002年も宜しくお願いします 投稿日 : 2002年1月7日(月)02時41分
 みなさん、新年あけましておめでとうございます、私が色男です。
三島と美智子皇后とのお見合い秘話については、以前にこのトピック(耽美のスター三島由紀夫)の444に書きましたので、そちらをご覧下さい。
美醜の根源における一致という観念には最高の相対主義である唯識が反映されていますね。これがギリシアになると美のイデア、醜のイデアというように完全に分離される事でしょう。三島は自らの存在を豊饒の海の中に埋没させる事をしなかったのですが、もし昭和45年=1970年に死ななかったとしたら、ラストは当初の予定通りの大団円を向かえ、藤原定家を書いて神=認識者の問題をライフワークとしたであろう、と考えられます。
 (^<^)さん、はじめまして。伊豆の踊子は新春特別番組のドラマとしてモーニング娘。の後藤真希を主役にテレビ放映されたようですね。これも昔から文芸映画の定番ですが、映画としては山口百恵版のものを最後に制作されていないようです。サマー・ストーリーはまだ見ていませんが、機会があれば是非見てみたいと思います。
 !(^^)!さん、クリスマス以降お返事が書けなくて大変申し訳ありません。新撰組関係としては大島渚の近作「御法度」が同性愛の問題を扱って話題になりましたが、その作品と土方も出てくる函館五稜郭をドラマ化したものをレンタルビデオで見たのが最後です。
 (^'^)さん、はじめまして。「細雪」は随分前にテレビで見ましたが、今回NHKBS2で放送されている事を知りませんでした。どなたか、ビデオをお持ちの方は是非ご一報を宜しくお願いします。レンタルビデオにはないんでしょうか?それなりに評判もよくて、見て損はなかったように思います。

●色男NO.1(556) 題名:天人五衰再考 投稿日 : 2002年1月18日(金)02時09分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 「豊饒の海」3,4巻をめぐる評価の変遷とその創作ノートについて、少し詳しく取り上げてみる事にします。まず、創作ノートですが既に「新潮」(1971年1月臨時増刊号)に一部が掲載され、後の未公開部分を含むノートは山中湖村の文学館に収められたという事です。このノートは豊饒の海読解の上で重要な資料となる事は言うまでもありません。「天人五衰」の最後の場面について、ノートでは以下のような構想になっていました。
「本多はすでに老境。(中略)ついに七十八歳で死せんとするとき、十八歳の少年現れ、婉然、天使の如く、永遠の青春に輝けり。(中略)思えば、この少年、この第一巻よりの少年は、アラヤ識の権化、アラヤ識そのもの、本多の種子なるアラヤ識なるし也。本多死なんとして解脱に入る時、光明の空へ船出せんとする少年の姿、窓ごしに見ゆ。(バルタザールの死)」
 この構想が実際に完成された「天人五衰」とは結末が大きく異なっていると解釈されて来た三島文学の研究史というものを前提として、考察をすすめてゆく事としましょう。それからというもの、3、4巻は文壇の無理解にさらされ、失敗作の評価さえなされていたと言ってもいいでしょう。澁澤龍彦の1986年の対談での発言を引用しておきます。
「しかし、不思議だねえ、あの四部作。「豊饒の海」の結末が、変わったんだよ。」
「うん。それも一つあるね。(色男註:対談相手出口裕弘の輪廻転生が成立しなくなった、という発言を受けて)それから、<透>というのが変な天使みたいになって飛び立つっていうんだね。そういうふうに創作ノートに書いてあるわけだ。」
「おれがそれを、「三島がある時点で計画を改めた」と書いたら、野口武彦がそれを引用して、いい文章を書いているけど。三島は何でもとにかく、最後から出発するみたいな人だったのに、それが途中で変わった。」
「あれで初めて、三島文学の中に<現実>が入ってきたんじゃないか。」
 澁澤は文学のみならず三島の全生涯において、巨大な寓話的観念世界の住人であった三島に初めて現実が訪れたのだといい、ほとんど取材ノートそのままのやせ細った「天人五衰」は現実との遭遇によって破綻し、現実に出会った事によって本多が最後に京都から奈良までを車で移動する描写が変に鮮明で写実的即物的によく書けている、逆説的に言えば幸福な破綻であると言っています。
 これはそれまでの三島美学を評価してきた者の非常に典型的な側面を表した発言になっていると思います。つまり、ある種の三島シンパというのは文学的に文体至上主義であり、形式主義を重んじた伝統を最優先する系列に属する作家として三島を愛好しているのです。それは明治以降の自然主義などの素人のまごころ主義(?)に対立するものとしてあり、澁澤が指摘するところの観念の肥大のない天人五衰の車移動の描写というのは、他ならぬ自然主義的描写だったのです。川端の評価もこのような文体論的なものであり、三島が最後の小説をして彼の愛読者を裏切るような傾向を如実に示したという事が、一つの事件としてありました。
 この澁澤の対談の翌年には研究史の転換を象徴する、四方田犬彦の「貴種と転生」が発表される事になります。以下、少し長くなりますが引用文をお読み下さい。
「三島の他の長編と比較して、小説作品としての「天人五衰」の評価は、これまでけっして高いものではなかった。主人公の本多繁邦と安永透の関係が実生活における三島の同性愛の苦悶を表しているといった幼稚な感想から、作者が政治的行動に執心するあまりに文学的創作欲の減退が露呈しているという素朴にして穏健な風評まで、実にさまざまな評言が寄せられてはきたものの、物語論的な観点から作品の内的構造そのものが論じられる機会は、最近になるまでまことに少なかったといえる。三島が後の世にまで語り継がれる事になるであろう自決を急がなかったとすれば、「天人五衰」は「それの書かれるべき時点の事象をふんだんに取込んだ追跡小説」として、一九七一年末に完結予定であったという作者本人の弁が存在している。さらに加えるなら、それは当初は阿頼耶識の権化たる天使的少年の出現による本多の幸福な死によってハッピーエンドとして完結する予定であったこの作品が、途中から大きく構想が変えられたため、唐突にしてきわめて晦渋な終わりを見せている事実は否定できない。」
 小説は執筆しながらも、まさに作中人物が自立性を以って動き回り作者の意図を裏切って着地点を見つけるべきだという考えがある訳ですが、三島はよく知られているように最後の1行が決まるまで書き出す事は出来ないという事を公言して、通説に対立する創作技術を遂行していたといいます。
 最初に創作ノートで終わりを確定しながらも、その構想を裏切って異なる作品に着地点を見出した「天人五衰」を三島唯一の小説と評するものまでいます。物語論的内的必然性から実際の天人五衰に着地したという解釈の可能性は疑えませんが、創作ノートそれ自体が実際の天人五衰を現しているというのは、やや牽強付会の感が否めません。
 !(^^)!さん、20年前は新撰組、中でも土方歳三のファンだったのですね。土方は旧幕府軍として函館まで行って戦いますよね。あの中に永井尚志という幕臣がいたのですが、彼は三島の曽々祖父なんですよ。
 (~_~)さん、お久しぶりです。現実感を喪失した中でのコミュニケーションというのはよく分かります。恋愛がそもそも幻想のもとに成立する要素がある訳ですから、人間性の問題としてネット恋愛というのは全然不思議ではありません。
ただ、それが現実に遭遇する時にフィクションとしての恋愛に破綻が生じ、大変な心労を患う事もあり得るという認識が必要ですね。平安貴族だって社交界の噂や評判をもとに恋文のやりとりをして月明かりの中、顔のない香りの中でいくつもの恋愛を彩っていた訳ですからね。ネットコミュニケーションは既にいくつかの現代小説として結実しているようですから、一読してみるのも面白いかもしれませんね。

●色男NO.1(561) 題名:貴族の禁断の恋 投稿日 : 2002年1月30日(水)02時28分
  (~_~)さん、「春の雪」の冒頭がいきなり終焉から始まっているのは、日露戦争の戦後という事で日常性あるいは仏教的時間を問題とする三島の「鏡子の家」以来のテーマの再現と見ていいのではないでしょうか。つまり富国強兵、帝国主義的列強に追いつき追い越せという日本近代化の目的が、大国ロシアに戦勝する事で一応達成されて、国家意識が世界同時性に回収されてしまい、燃え尽き症候群のような状態にあった明治40年代から大正にかけて、恋愛の感情による新しい戦争が始まるというような対話が清顕と本多の間で交わされています。そこでエロティシズムが出てくるんですね。目的が喪失された終わりなき日常の中であらゆる意味において感情のままに無為に生きる清顕が、ようやく絶対不可能と邂逅して、優雅とは禁を犯すものだ、それも至高の禁を、という具合に一路死へと向かって天かけるように生きる訳ですね。そしてそれは第二次戦後の三島自身の問題として熟考されていたはずのものなんですね。
 !(^^)!さん、三島の曽々祖父は新撰組の隊員ではなくて徳川幕府の最後の若年寄なんです。ですから、役職としてはずっと上の人で、慶喜将軍の側近にあたるような位置にあったんですね。大政奉還以後、明治新政府に対して旧幕府側が戊辰戦争を引起しますよね、沖田は病死して、近藤は京都でさらし首になった後も土方は新撰組の残党とともに戦い、一方幕府の海軍副総裁だった榎本武揚が函館に渡り、ここに独立共和国を樹立しようとするのですが、ここに土方とその残党は合流し、最後の戦いで戦死します。榎本や永井尚志は投降して新政府の要人になっています。
 三島の祖母夏子がこの永井尚志の孫になり、夏子は有栖川宮家に行儀見習に行ったりした関係で、三島の貴族趣味が培われたと伝記などでは記されているようです。
「豊饒の海」創作ノート及び昭和四十五年八月十日ー取材ノートが、決定版三島由紀夫全集の第14巻に収録され、今年の一月配本予定となっています。三島のドナルド.キーン宛書簡(1970年9月3日)に次のような記述があります。
「四巻の分け方は、第一巻「たわやめぶり」第二巻「ますらをぶり」第三巻「とつくにぶり」と来て、第四巻に該当する「ふり」がないのに困惑。第一巻和魂、第二巻荒魂、第三巻寄魂、第四巻幸魂、と分けたほうがよいかもしれません。殊に第四巻は、甚だアイロニカルな幸魂で、悪(自意識の悪)が主題ですが、最後の最後の本多の心境は、あるひは幸魂に近づいているかもしれません。(略)「天人五衰」は今ものすごい勢ひで書き進んでいます。この全巻を外国の読者に読んでもらふとき、はじめて僕は一人の小説家とみとめられるであらうと、それだけがたのしみです。」
 年譜によると1970年8月11日、キーンを下田に招き、天人五衰の最終回原稿を示し、この事は新潮社の人には言わないでと口止めしたので、キーンは遠慮してしまい、そのまま原稿を読まずに返してしまったという事です。その前日には清水港で海の場面の取材をしていますから、原稿は前後して、夏頃には完成してあったというのです。
 ここで注意すべき点は、三島自身が天人五衰によってはじめて小説家として認められると書いているところですね。澁澤解釈はおそらくこのあたりの事情を彼なりの表現で語っているのだと思われます。
 澁澤は三島文学の特徴として日本では珍しい観念小説の書き手である、という点を指摘しています。通常、三島が現実にコミットして社会的な主題を扱ったとされる作品も、澁澤によれば新聞の三面記事的日常が寓話になっているものとして見られている訳です。暁の寺最終回の脱稿が1970年2月20日であり、この作品の完成によって作品外の現実が紙屑になったと「小説とは何か」に書いています。1月頃には、まだ定家で書きたいと言っていたようですが、その資料を収集していたような形跡は見つかっていません。
 澁澤の小説の「小説性」の問題は1991年には、青海健の次のような整理へと到達しています。
「『物語』的な完成度という点では第一、二巻に譲るとしても、この作の『小説』的な問題性はむしろ本多が主人公となる第三、四巻にある。この認識者の自意識の記録が物語るのは、本多とその自意識すなわち言葉との格闘であり、言葉を最終的に征服しようとたくらみついに言葉からの逃走を企てるに至る悲劇的な道程である。」
「『戯曲の法則を強引に小説の法則へ導入』することで出来あがった転生の物語が第一、二巻であるなら、第三、四巻は、戯曲的な『本能的』な形式を放棄してはじめて成立可能となる小説である。前者を"成功作"と見なすのは、三島文学の本領をあくまで「自然で自明な形式感」にあるとする一種の形式主義に拠る。」(「三島由紀夫の帰還」 青海健 小沢書店2000年より引用)
 このような小説観は浅田彰の次のような言葉に通じます。
「物語の精緻な偽物を書き続けた人ではあるけれども、いわゆる小説は一回も書かなかったのではないかという気がするわけです。(略)「豊饒の海」は、もしかするとその唯一の例外ではないか。」(「天使が通る」浅田彰 島田雅彦 新潮社1988年より引用)
小林秀雄が金閣寺を小説ではなく詩であるといい、小説であるならば放火後の主人公を描かねばならないとして三島の魔的な才能を絶賛した事を受けたかのように、水上勉は金閣炎上を書いています。

●色男NO.1(566) 題名:国際派作家としての三島 投稿日 : 2002年2月9日(土)01時04分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 三島が日本文学史上はじめて海外読者を意識して創作活動を行った作家であった,と言う点については今日、ほとんどの研究者の間で異論がないところであろうと思われます。戦中、占領期とアメリカでは優秀な日本文化研究者を派遣して、この国についてその本質を見極めようと図る訳ですが、ここで伝統と近代の絶妙なバランスの上に高度に知的な作風を示すミシマが、彼らの視野にクローズアップされてきたという前提がまず最初にあったようです。昭和29年には中央公論社の紹介で三島とキーンは出会い、ここから三島という稀有な広告塔を所有した日本近代文学の世界市場進出が始まります。三島は「豊饒の海」に着手する以前の昭和30年代にはアメリカとヨーロッパの同時代作家という位置付けが既に確立されていたようです。昭和39年にはフォルメントール賞の、翌年にはノーベル文学賞の有力候補になっています。
 三島の文武両道は「太陽と鉄」をはじめ、度々問題となっており、川端との間にノーベル賞をめぐる文壇政治力学の見えざる問題もまた存在したのでしょうが、川端受賞によって日本に受賞チャンスが再び訪れるのは十数年後の事になる、しかし自分はそこまで生きてはいないだろうという自覚から、次の受賞は大江だよ、と語り、自衛隊の情報将校山本にはもうノーベル賞は捨てましたとはっきり明言していたのです。ノーベル賞を本気で取ろうと思えば、三島としてはただ延命するだけでほとんど転がり込んでくるような地位にいた訳で、その死に際しての川端の、もったいない死に方をしたというコメントは、そういったいきさつから容易に理解されます。
 山本にノーベル賞への決別を宣言した昭和42年には「年頭の迷ひ」と題するエッセイを読売新聞に書いているのですが、その一節を引用しておきましょう。
「私も四十になったら、せめて地球に爪跡をのこすだけの仕事に着手したいと思って、一昨年から四巻物の大長編にとりかかったが(略)この大長編の完成は早くとも五年後のはずであるが、そのときは私も四十七歳になってをり、これを完成したあとでは、もはや花々しい英雄的末路は永遠に断念しなければならぬといふことだ。迷いというべきか、未練というべきか(略)英雄たることをあきらめるか、それともライフワークの完成をあきらめるか、その非常にむずかしい決断が、今年こそは来るのではないかという不安な予感である。(略)私にとって魅惑的な栄光は、英雄の栄光であって、文豪の栄光ではない。」
ちなみに三島はもし生き延びて自分が文豪になったら、精神は荷風で生活は谷崎の折衷型になるだろうと書いています。最後の最後まで豊饒の海全四巻の翻訳にこだわった三島はキーン宛の最後の書簡でもその事を強く依頼し、これは単純にマーケット拡大の問題ではなく、文学的な問題を含んでの事で、最後の小説をまさに「小説」的にしめくくる事において自決との相関関係を解読してほしいというメッセージを残したというふうにも考えられるでしょう。
 (^^♪さん、お久しぶりです。就職活動お疲れ様です。(^^♪さんの奮闘ぶりが目に浮かぶようです。懸賞が当たったのは、これから訪れる大きな幸運の前触れですよ、きっと。必ず良いところにひっかかりますから、焦らずマイペースで行くといいですよ。

●色男NO.1(567) 題名:恐るべき子供たち 投稿日 : 2002年2月9日(土)01時18分
こんばんは、(*^_^*)さん。
(^^♪さんもお読みになったというインストールですが、多忙を言い訳として私は読んでいません。読んでいなくて、みなさんのお話や噂から判断するに、昔からの恐るべき子供たちの系譜に連なる作品なのかなという勝手な印象を持ちました。
サガンなんかも18歳で当時としても古典的な心理主義的な作風で話題になったようですが、インストールも作者のタレント性に商品価値が置かれ話題先行型である、次回作に期待というようなコメントがネット上でも多数派を占めているようです。
風俗チャットに小学生という部分で現代性が現れているんでしょうが、それ以前に文章がよく書けているらしいですね。若い作者はバイロンみたいに一夜にして有名になったのですから、あまり世間の雑音に巻き込まれずに、自分の中のテーマをじっくり熟成すべきなんでしょうね。出版不況の今日にあって、ありがたい人材なのかもしれません。

●色男NO.1(571) 題名:盗んで、そして蒸発する 投稿日 : 2002年3月1日(金)00時47分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。「豊饒の海」と「花ざかりの森」のエンディングが似ている事は度々指摘されますが、このラディゲを競争相手として執筆された最初の長編「盗賊」には実にさまざまな三島自身の終焉に関する先取りとも思われるような文章が頻出して、読む者をして戦慄させるものに満ちています。
 特に「盗賊」の第六章 実行─短き大団円と、「天人五衰」の透自殺未遂以後の最終部分において、ほとんど重ね合わせる事が可能であるような細部に我々は瞠目すべきでしょう。
私はそれをみなさんにも御理解していただくためにも、試みに「盗賊」から主語だけを変更して引用する以下の文章をお目にかけようと思います。

「天人五衰」より
「世間を黄塵のように包んでいるあの人間たちのお喋りの声を本多はきいた。かまびすしく常住言い立てるあの条件附の会話。
(その後、生き残り続ける者たちのいかにも日常的な凡庸な会話の断片が意味もなく羅列されている:色男註)」
「盗賊」より
「片時もお喋りがかれらの唇を奪わない時はなかった。これは業に庶幾かった。地球全体がこうしてわやわやと喋りつづけているのだった。「今日は」とか(略)だとか。─地球という天体は喋りながらまわっている月だった。喋りつづけているおかげで、人類は地球がもうすっかり冷却して月とかわりのなくなっていることに気附かない。(略)
「三島(主語変更)」はたえず苦痛に、(この生の明確な証拠に)目ざめていた。それが彼を殺したのだ、と子爵は忖度してみるのだった。だから「三島」は、饒舌の代りに、この世に一つの沈黙を遺して行った。即ち決して解き明かされぬ一つの秘密を。」
「世の人たちは、死が生の空白を埋めるためにのみ呼び寄せられるものではなく、生の充実をより確実なものとするためにも呼び寄せられうる、という新しい教義を学んだ。」
「二人(生き残り続ける者:色男註)は同時に声をあげてこの恐ろしい発見を人々の前に語りたい衝動にさえ駆られていた。今こそ二人は、真に美なるもの、永遠に若きものが、二人の中から誰か巧みな盗賊によって根こそぎ盗み去られているのを知った。」

 そして「天人五衰」において、永遠に若きものが盗み取られた透は21歳を過ぎても生き残り続ける者となり、真に美なるものを盗み取られた絹江は、透と結婚して、まさに「盗賊」の生き残り、恐ろしい荒廃、醜悪な予感に饒舌な月の住人たちと化した二人と寸分違いなく重なるのでした。この二人、光明の天使より光を盗み取った者は作中にはその姿もなく、世界中はこの類い稀な盗賊の死の真相をめぐって、作品の外部で喋り続けているのでした。
 三島作品と三島の存在とは複雑な入れ子構造の裡に成立し、それはなお拡散して三島的物語が世界的現象として氾濫するような事態として、ポストモダンが言及されるという事もありました。三島存在は殊に誰にも分かりやすい紋切り型の物語パターンの合金ですから、様々な物語との構造的類似性が指摘されては物語批判の名のもとに、それを相対化、解体するというのが、専らわが国の文芸批評家の仕事になっているところがありました。
 三島の事件は同時代を巻き込んだところの象徴性を帯びたものでしたから、フロイト主義者は個人的内的要因に還元するという方法を執拗に反復して来た訳ですが、時間の経過が歴史の地層のように降り積もり、もはや忠臣蔵を精神分析しても仕様のないように、三島も同様の地点にまで到達してしまうのは、時間の問題でしょう。

●色男NO.1 (572) 題名:旅と詩作 投稿日 : 2002年3月1日(金)01時09分
 こんばんは、(*^^)vさん、!(^^)!さん、私が色男です。
 (*^^)vさん、お久しぶりです、お待ちしておりましたよ。私も金沢に行った時に文学館を見ると、泉鏡花など郷土の作家に関する展示が充実している事で随分楽しかった事を覚えています。五木寛之が通って原稿を書いたという喫茶店には行きませんでしたが、また機会があれば行ってみたいものです。
4月に青森に行かれるのは観光ではなさそうですね。東北は詩人を生む豊かな土壌がありますから、(*^^)vもきっと良い影響を受ける事があると思いますよ。私もとりあえず太宰の津軽を読んで行ってみたいと切望するものですが、時間的な事やいろんな都合がつかなくていまだに実現していません。太平洋側で金木や竜飛崎は回り難いようですが、チャンスがあれば是非お話をお聞きしたいものです。
 !(^^)!さんは最近散文よりも詩や俳句に興味があるんですね。私も下手の横好きで詩もどきを作ろうとして四苦八苦した事がありますが、本当に難しいですね。(*^_^*)さんは大変詩作を好んでいらっしゃった訳ですが現代詩のあまりの抽象性を批判しておられたと思います。もし、これをお読みになっておられるのなら、お話を伺ってみたいなと思うのですが、お元気でしょうか。安定期であれば、是非、楽しい書きこみをしていただきたいと思います。

●色男NO.1(575) 題名:戦後、プロ化する学習院 投稿日 : 2002年3月8日(金)01時54分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
太宰が如是我聞の中で志賀直哉を東京六大学野球に例えていたと思うのですが、これは私小説に対する批評になっていると思うのです。そこで六大学野球はかなり人気があって、野球といえば六大学であり、一応戦前からあったプロ野球も高校野球や六大学のOB戦くらいの認識しかもたれていなかったのが、戦後になって六大学史上最高の人気選手が現れて彼がプロ入りするや、そのファンまでプロに連れて行き、まさに主客逆転、プロ野球は国民的人気スポーツになってしまったのです。その人気男が昨年で完全にユニホームを脱いでしまい、プロ野球というジャンル自体が曲がり角に立ち、構造改革さえ叫ばれる有様になっているとの事です。戦後派文学はある意味でアンチ巨人の他球団にも比せられると思うのですが、長嶋は現役時代に日本が共産主義になるとプロ野球がなくなってしまうから困ると発言し、プロ野球はまさに55年体制の代理戦争として国民的に燃え上がったような側面があった訳です。
 三島歌舞伎の集大成椿説弓張月はグロテスク趣味で血糊が溢れ出る演出になっているようですが、それは市川猿之助のアイデアによるものだそうです。為朝に託して描きたかったのは神風連であり、さらには三島自身の幕引きをも踏まえた英雄譚という事です。弓張月のポスターは横尾忠則で、横尾自身の代表作の一つにもなっています。
 三島没後、猿之助は梅原猛と組んでスーパー歌舞伎のヤマトタケルを成功させます。
 梅原はスーパー歌舞伎の脚本を何本か書くと、次にスーパー狂言にも手を染めるようになります。
題してクローン人間ナマシマ。スーパースターのクローン人間を7人、若き現役時代の能力を備えたクローンを製造し、メリケン国グランドリーグのスカウトに主力選手をまるごと引き抜かれた東京ジャイガンツ最大の危機を救い、オープン戦では連勝につぐ連勝という風刺劇なんだそうです。クローン選手の衣装は横尾忠則がデザインしています。
 (^^♪さん、3社くらい筆記で落とされたくらい、たいした問題ではありません。この国にはその何万倍もの会社が蠢きつつも、(^^♪さんとご縁のある優良企業が自分を見つけて辿りついておくれと、痺れを切らして待っているはずです。戦略変更されたのも、賢明な判断だったと思いますよ。(^^♪さんという人材を必要としている会社が必ずどこかにあります。だから雇用のミスマッチを予防し、最短時間で良縁を発見する作戦を攻略するのが就職活動というものなのですね。伊集院静は美男ではありませんが若い頃は雰囲気があって女性に好まれる要素もあったのでしょうね。でなければ天下の夏目雅子を10年も惹きつけておく事ができた理由を説明できませんよね。
 !(^^)!さん、お雛様にちらし寿司という女の子のいる日本家庭の風景が目に浮かぶようです。しまい遅れると婚期が遅れるとか迷信もあって、なんだか文化的な香りの集積のように思います。昔はテレビCMで雛人形や五月人形のメーカーのものもあったように記憶するのですが、最近見なくなりましたね。三島も没後32年になります。

色男NO.1(581) 題名:人生は劇場だ 投稿日 : 2002年3月22日(金)02時30分
 こんばんは、みなさん、私が色男です。
 (^^♪さんの就職活動問題について、この文学の国に入国してくださるみなさんが実に丁寧に自らの体験をふまえて激励の書き込みをしていただいた事は私としても非常にうれしく、これまで管理運営して来てよかったと痛切に思われます。ここで出会い、そうして一つのテーマに沿ってみなさんが本当に優しい気持ちで対話して下さる、このような麗しい交流の姿こそ、私がHP開設当初に思い描いた理想の形でした。私は前回、ご縁という言葉を用いた訳ですが、実際の活動にあって、何か苦々しい婉曲な決まり文句のように頭に刷り込まれている人もあるいはいらっしゃるかもしれませんが、袖触れ合うも多少の縁、と過程にあってはいかにも曖昧ないかようにも解釈し得る日本的言葉であるという印象をお持ちになるのもやむを得ない事かもしれません。しかしながら全てが完結した地点から振返ってみるに、様々な遠回りや人との出会いも皆全てが必然と見えるようになる不思議があるのも、また事実なのです。
 (^^♪さんが就職について真剣に人生の問題として取り組まれ、その思いを何らかの形で言葉にする事でそれまで全く予想だにしなかった展望が開けてくるという事もあるでしょう。今この年齢だからこそ悩み考える事に意味があり、将来において、それを乗り越えてきた事は必ず自らの血肉となり自信となるのです。
嘘も方便といいますが、人生は劇場であると自らの内部に他者の目を持つ事は、まるで羽根が生えたようにフットワークが軽くなるかもしれませんよ。人間として正直者である事はバカではありません。本当の理解者、仲間を作る事の出来る人は正直者なのです。ただ、思春期を過ぎて動物でいられる賞味期限を過ぎると、役者としての技量がほんの少し人生航路を左右するようになるんです。(~_~)さん、!(^^)!さんも、生きていく上で素晴らしい役をもらってセリフをちゃんとこなしておられると思うのです。
 私も時々過去のほんのちょっぴり巧くいった事や誉められた事で自信を持てた時代へ帰りたいと思う事があります。でも、それはおそらく子役だった事で誰も本当には演技力を問わないし、子供と動物は大人の評価を勝ち得る点で双璧であり、また誰にとっても期間限定の黄金時代なんですね。よく言われるのは学校はお金を払って行く所だから、ある意味みんなお客様なんだけど、会社はお金をもらいに行くところですよね。ここは演技力を発揮してお金を稼ぎ自己実現するための劇場です。
 アフター5には子供に帰って彼氏の肩に甘えながらウインドゥショッピングでも楽しむ。嘘が巧くなって、それを使いこなすようになれば、プライベートで裸になることが格別の輝きを持つようになります。大丈夫ですよ。(^^♪さんには素晴らしい役が待っていますから。