色男NO.1語録(1999・平成11年度)

●スタッフAまたは色男NO.1(21) 題名:ご挨拶とお礼まで
はい、みなさん、当コーナー掲示板開始以来、なかなかの盛況ぶりのようで、私こと色男NO.1がスタッフ一同に成り代わりまして、誠に厚く御礼申し上げる次第であります。「ザ・ラスト・パラダイス」と致しましては、当コーナーすなわち文学の国は教育の国に続いての2番目の誕生ということになりまして、記紀神話になぞらえますならば、国生み神話は最初の淡路島(オノコロ島)の次なる大八島という具合かしらんと思われますが、おそらく、後々になりますと、「ザ・ラスト・パラダイス」天地創造の神、救い主=最終教祖がその御姿をお見せになると予想されますので、まずは乞うご期待というところであります。
さて、それではさっそくでありますが、皆様に今月のお勧めの本とまいりましょう。 この3月にはいってから、一般書店店頭に並んでいるテリー伊藤氏の「君は長嶋茂雄と死ねるか」(主婦の友社、定価:本体1300円)という本なんですが、入国者の皆さんの中には大のプロ野球ファン、特に巨人ファンの方は多勢いらっしゃることと思いますが、なかなかどうして、この本、文学とプロ野球の相関関係を巧みに暗示させてありまして、大いに参考になる一冊なのです。 大相撲がさしずめ古典なら、正岡子規に始まる「野球」は近代文学というところでしょう。高橋源一郎氏の三島賞受賞作に「優雅で感傷的な日本野球」がありますし、東大総長蓮實重彦氏は知る人ぞ知る野球評論家でもあるのですよ。阪神タイガース野村監督はなんだか怪しいぞと思っていたら、やっぱり太宰の「富嶽百景」を読んで、あの有名なひまわりと月見草の物語(!)を案出されたようなのです。 今回は皆さん、是非とも太宰の「花吹雪」(「津軽通信」新潮文庫に収録)と併せてテリー氏の著作を御読みください。長嶋茂雄は生きた宮本武蔵である、なんてきっと吉川英治先生もビックリなさいますぞ。文学は文学のみにあらず、あらゆる現象、すべて文学的に考察すべし、これが今月の訓示であります。
あぁ、ありがたや、ありがたや。
追記:他の国々も続々と誕生していきますので、楽しみにしていてくださいね。
投稿日 : 99年3月22日(月)15時03分

●スタッフAまたは色男NO.1(27) 題名:SEXならば当方に御任せあれ
さて、みなさん、私が色男NO.1です。
書き込みありがとうございます。
(^○^)さん、はじめまして。
(^○^)さんのHPも併せて拝見させていただきました。 文学の部屋のDは男根、Mは女陰という誠に素晴らしい編集意図に深く感銘いたしました。実際、「人間失格」では葉蔵のインディアン踊りの場面にて男根が露出し、「潮騒」では観的硝の一夜が悪童どもの噂となり、二人はおめこした、と大々的に喧伝されてあります。片口教授の論文にもMはスカラベ(糞転がし) なる虫に喩えられ、その資質を仮面の下深く隠蔽し、別人への変身の欲求があると分析されているように形態的に(女陰)なのですね。それに様々な物語をそのブラックホールに吸収しますしね。危険な存在ですし公共の場所ではイニシャルトーク向きなんです。
それと比べてDの方はイニシャルにする必要もないくらい一般に流布し、今もなお深い愛情のこもった言葉を捧げられている作家です。そのような現在性というか、我が国における両作家の受容のされ方を(^○^)さんのHPに見る思いが致しました。
他の皆様方もぜひ書き込みなさってくださいね。私の他にも豪傑NO.1など奇々怪々なるスタッフが皆様の入国を心よりお待ち申し上げております。
投稿日 : 99年3月28日(日)18時53分

●スタッフAまたは色男NO.1(41) 題名:はじめまして (^○^)さん、)^o^(さん
(^○^)さん、)^o^(さん、このたびは文学の国にお越し頂きましてありがとうございます。
私こと色男NO.1の多忙ゆえにお返事遅れました事、大変申し訳なく思っております。 書き込みを拝見させて頂きましたところ、御二方とも当コーナーの常設展示M&D(まだ工事中です。相すみません。)についてのご感想をお書き頂いたようなので、今後の予告編など踏まえてお返事書かせて頂きます。
(^○^)さんの敵の存在が文学を輝かせるものだというご指摘を読み、私は新潮カセット講演「学生との対話 三島由紀夫」の中の一節、三島のある発言を思い出しました。以下、三島がいうところ私なりに要約致しますと、まず最初に行動というものを考えた。なぜ、思想、観念、精神というものは敵を見出さない時に衰弱するのか。私(三島)が芸術至上主義者であった頃はただ芸術の城を築いて芸術を守っていればよいと考えていたが、その行き着く果ては人間国宝のような技術者的生活があるばかりであり、それだけでは精神を維持できず、私の心の中に満足できないものがある。精神が向上して動き出さなくてはならん。ただ行動するだけでは駄目で行動するためには敵が必要である。そのために私は共産主義者を敵とする事に決めたのだ。韓国で反共精神が強いのは危害を加えられた怨念があるからであろうが、私は特に生命を脅かされた訳ではない、家族に怪我を負わされた訳ではないので私には怨念というものがなく、したがって、理由は薄弱だ。であるから、 私の反共というものは一種独特のものである。…………というような事を三島は早稲田の学生諸君相手に語っておりました。一読してお分かりしていただけたと思いますが、当初三島には敵は存在していなかったのです。そんな馬鹿な、いくら三島でもアンディー・フグか大山倍達じゃあるまいし、敵無しの地上最強の男じゃないんだから敵ぐらいいただろうとお思いになるかも知れませんが、三島の中では先の大戦が世界最終戦争であり、つまり戦後なんてものではなくポスト・ヒストリカルな(世界の終わり)にあってすべての歴史的構造、その対立図式さえもが無化された地点にあって、もはや敵という観念は存在し得ないのです。歴史とは精神が弁証法的に目的の王国へ到達する現象であるというヘーゲル的な観念に立脚すれば、近代化以後に精神が存立しえないのは明白です。三島はそのような世界の終わりにあって余生を余生として生きるような年金生活者のような自分というものにおよそ耐えられるような人ではなかったのでしょう。そのあたりからも三島が凡百の終末論者とは異なる点が伺えますが、)^o^(さんの書き込みにもあったような神秘主義、あるいは新興宗教は絶えず未来に終末を設定する事で信仰生活へと人々を誘ってきたわけです。衰退しつつある、終焉に近づきつつあるという認識は何らかの形で(現在)を鼓舞するものでしょうが、むしろ三島はすべてが終わったあとの空虚に自らが精神足る事、かつての光輝ある人間存在である事、その問題を文学のモティーフとしていたと思われます。それは同時に文学が自明の理であるという認識、その存立の基盤にいささかの疑念も持たない者への批判であり、自らの存在をして超近代の道標たろうとした彼の生き方の問題でもあると思われます。 (^○^)さん、)^o^(さんの素晴らしい着眼点が引き金となり、文学がますます面白い生きて動いたものとなることを願ってやみません。これからもどしどし書き込みなさってくださるように、本当によろしくお願い致します。
(^○^)さん、)^o^(さんの素晴らしい着眼点が引き金となり、文学がますます面白い生きて動いたものとなることを願ってやみません。これからもどしどし書き込みなさってくださるように、本当によろしくお願い致します。
誠に申し訳なく思うのですが、私が多忙のおりはスタッフの一員であるWEB担当のおねむりパーシーまで何なりとお申しつけ下さい。
投稿日 : 99年4月11日(日)00時02分

●スタッフAこと色男NO.1(58) 題名:スター稼業はつらいよ
お久しぶりです。私がスタッフAこと色男NO.1です。皆様にはスタッフCことおねむりパーシーが大変お世話になり、感謝しております。今後ともよろしくお願いします。
M&Dについて色々とご感想をお寄せいただき誠に有り難うございます。あのコンテンツはまだしばらく続くものと思われますので続編完成出来次第、追ってご報告致します。一時代に代表的人物は一人という歴史の編集の仕方をしますと、どうしてもどちらかが対抗馬、敵役という役割を振られてしまうわけですから、ファンの皆様方にとっては確かに心穏やかなる問題ではありません。ヘーゲルなどはナポレオンを主人公とすることで世界史を組み立てていますし、歴史書編纂の舞台裏では必ず何らかの政治力学が働いている事は否定できません。当コーナーのコンテンツとしては、M&Dを同時代人の対決図式として構成する意図は全くなく、むしろ時間軸に沿って同一命題の反復という形式、多少比喩的な表現を用いれば輪廻転生されるロマン派的なるものの系譜というものを私なりに検証したものにすぎません。ですから、どちらかを星飛雄馬、別のほうを花形満という風に分別しようというわけではありませんので、ファンの皆様はご心配なく。
(^^)さんは三島であれば「潮騒」、太宰であれば中期作品群を支持なさるとの事ですが、それらの比較も多くの収穫の得られる楽しいものですね。というわけで、古典的キャラクターと近代人としての作者を一致させるのは自殺行為というか、とにかくしんどい訳です。ギリシャは遠くになりにけり。 作品と作者の相違点は笑えますよ。周囲一里に満たない歌島を五周する事さえ出来る泳ぎの技量で、沖縄の那覇運天港を力の限り風速25mの台風にも負けずに20mも泳ぐという英雄的行為によって、障害を超えてヒロインとの恋を成就する主人公は三島の反対物でこそあれ全然私小説的一致は見られません。三島はカナズチだったのですね。「潮騒」は古代ギリシャの小説「ダフニスとクロエ」を下敷きにしているのですが、これもギリシャ体験による産物でした。ギリシャで思い起こされるのは、類稀なる水泳の技術によって水中にあっては健常者との差異を解消したバイロンは古代ギリシャへの憧れから、私兵を率いてギリシャ戦争に参戦しています。トルコの圧政を挫かんとしてギリシャ西海岸ミソロンギに上陸しても、ギリシャ独立軍、バイロン義勇軍共に行動もままならず、1824年4月19日、バイロンは36歳にて熱病で死去しました。この波瀾万丈ロマンティックなストリー、三島も自己神話化に際して参考にするところ多かったと思われます。とにかく、バイロンはロマン派最高のスーパ―スター、伯爵令嬢にして後のイギリス首相ウイリアム・ラム夫人となったキャロラインの異常なまでの愛がバイロンを女嫌いの詩人に変貌させた事は有名なエピソードです。まさに、女のいない国へ行きたかったのでしょうね。
一方「走れメロス」はギリシャのダーモンとフィジアスという古伝説に依ったシラーの「担保」という詩を題材としています。熱海で放蕩した太宰と檀一雄は金にいきづまり壇を人質として旅館に残して、金策の為単身帰京した太宰は待てども帰らず、旅館の主人に連れられて壇が様子を見に帰ると、太宰は井伏鱒二と将棋を指していたといいます。激怒した壇が太宰に詰め寄ると苦し紛れに「待つ身がつらいか、待たせる身がつらいのか。」と力弱く弁明する太宰。この熱海でのエピソードがメロス執筆の直接のきっかけになったといいますから、ギリシャ的英雄の試験に太宰は失格しちゃったという感じですね。
というわけで、古典的キャラクターと近代人としての作者を一致させるのは自殺行為というか、とにかくしんどい訳です。ギリシャは遠くになりにけり。
我々は現代に生きる事としましょう。
投稿日 : 99年4月25日(日)16時13分

●スタッフAこと色男NO.1(62) 題名:セックス&オカルト、そして中央線人
皆様、私が色男NO.1です。
(^^)さんには最新の研究成果を披露して頂き、大変感謝しております。
A、ランボーは「私の中に他人がいる」と私的インスピレーションによってユング的な内的イメージを認識していましたが、三島の中に内在する観念としての「潮騒」という解釈も勿論可能です。青年時代より精神分析関連の文献を猟歩して、それを自家薬籠中のものにしていた観のある三島は、この非言語的な実在する肉体との対話を通して、それを「自己」の元に統合しようとしたのかもしれません。そこで我々は、自らの精神に拮抗する為の肉体を獲得したいという欲望によって突き動かされ、教養小説(ビルドゥングス・ロマン)の主人公さながらの成長物語を生きる三島が、詩的存在としての完成を引き換えに言語からの脱出という文学史上未曾有の事件を目撃する事となるでしょう。
ここでは、これ以上精神分析に深入りする事は差し控えて、三島がある時点を境にして精神衛生術としての古典主義と手を切った事を指摘しておくにとどめましょう。自らの内部に存在する異物、しかも共存する事は叶わず、かならず自らの存在を侵食するであろう「癌細胞」のような異物に、わざわざえさまでやって育ててやるという態度、「病気」を昂進させようとする態度は明らかにロマンティケルのそれであり、あの俗悪なまでに健康な関西移住後の谷崎潤一郎にはついぞ見られないものです。生前の三島は「死の覚悟」を胸中深くに秘めたまま寂寞を極めた静謐のうちに死へと赴いたのです。
私が前回の書き込みで「自殺行為」という言葉を使用したいきさつは上述の事情を踏まえてのことであり、精神分析一般に関して基礎知識をお持ちでない方はセックス大好きフロイト博士とオカルト大好きユング先生の関係など伝記などを通して学習され、とりあえずは三島自身の自己分析が極めて重要な「18歳と34歳の肖像画」というエッセイを一読される事をお勧めします。私個人としましては、小心者なのかもしれませんが、やはり、 なかなか「sterben(死)する覚悟」があるとは答えられません。言行不一致を恥とする徳目を無視できればもっと思い切った飛躍ができるのかもしれませんが。
それでは、話頭を転ずる事として今月のお勧め本です。 おねむりパーシー偏愛の世界としてご存知の方も多いかと思われますが「中央線の呪い」(扶桑社刊 三好里沙子著)をお勧めします。これは、単なるタウンガイドにとどまらず、中央線沿線に育まれたところの文学的風土とその今日的継承を余すところなく網羅してある優れものです。井伏鱒二という人物の文学史上における位置をなるほどとばかりに理解できる事請け合いです。さぁ、君も中央線人になろう!
投稿日 : 99年5月3日(月)14時14分

●スタッフAまたは色男NO.1(66) 題名:真面目が一番とワイルドが言った
皆様、私が色男NO.1です。
(^○^)さん
ユングについて書き込み頂き有難うございます。(^○^)さんが極めて真面目な方である事が理解でき、本当に良い文学の友が出来たと私も嬉しく思っております。私は不真面目であると自分では考えていないのですが、誤解もあるかもしれないので、入国者の皆様方に対して心からのお返事を用意してお待ち申し上げている事を分かって頂きたく、少々私自身について説明させて頂きます。
私は三島の遊び心たっぷりのエッセイが大好きで、「不道徳教育講座」(角川文庫)など、何度繰り返し読んだか分からないほどです。筑摩文庫はこの手のエッセイばかり盛り込んであって、三島に対してずいぶんとユニークな理解をしているのが特徴的です。筑摩文庫はユングの最晩年の仕事である「空飛ぶ円盤」も入っていて、本当に面白い編集方針もあるものだなぁと思います。三島のプレイボーイぶりは今日ではほとんど伝説と化していますが、付き合いのあった人々の証言によると、遊びでさえもが彼は真剣だったとか、どんなに爆発的な哄笑を見せたところで目だけは笑っていなかったとか、恐ろしいまでにシリアスな三島像が浮かび上がってきます。卓抜したユーモアセンスと周辺をすべて沈黙させるほどにシリアスな部分とを併せ持つ三島という人は、本当に不思議な人物ですね。以下、「行動学入門」(文春文庫)の三島自身の後書きに興味深い文章があるので引用してみます。
……・・真面目で良心的なのも思想だが、不真面目で良心的という思想もあれば、又、一番たちの悪いのに、真面目で非良心的という思想もある。(間略)こういう軽い形で自分の考えを語って、人は案外本音に達している事が多いものだ。注意深い読者は、これらの中に、(私の小説よりもより直接に)私自身の体験や吐息や胸中の悶々の情や告白や予言を聞いてくれるであろう。………
ある時編集者の川島勝が井伏鱒二と酒を飲んでいたら、たまたま三島の話題になって、「三島君の悪口を言ってはいけないよ。彼があんな事をしたのも、一人で寂しかったからじゃないかな。私どもの酒飲み仲間になっていたら、あんなことにはならなかったよ。」と井伏は語ったそうです。川島氏によると、井伏はどうも三島に好感を持っていたらしい。私が緊張と緩和のバランス感覚をもって、ある種の悪ふざけっぽいレトリックに走るのも、そうした孤独に耐えられないからかもしれません。私はどちらかといえば、スターになりたいというよりも、スターを辞めたいという気持ちの方が理解できるんです。おかしな事を言っていますかね。(笑)
投稿日 : 99年5月9日(日)18時28分

●スタッフAこと色男NO.1(82) 題名:桃太郎は高橋秀樹
みなさん、こんにちは。私が色男NO.1です。
みなさん、こんにちは。私が色男NO.1です。 音楽の国では私の書いたコンテンツが掲載されてあるので、よろしければご一読ください。M&Dは1970年以前について論考されていますが、こちらは主に1970年以後とはいかなる時代であるかという問題について扱っています。ですから、併せてお読み頂ければより一層のご理解が頂けるものと思われますので、どうぞよろしくお願いします。
さて、SFは文学であるか、という話が)^o^(さんによって提議されていた様ですが、「文学」の意味内容を設定しなければこの問題も焦点が定まらないと思いますので、「文学」=「近代文学」という前提を設けてから考えますにSFは非文学的物語であるということが言えると思います。それが古典になると例えば日本の伝奇物語なるジャンル、「南総里見八犬伝」「雨月物語」さらに遡っては「竹取物語」など、もし近代において発表されたならば間違いなく大衆文学に分類される事と思います。つまり、SFやミステリーなどは近代文学の約束事に収まらない(物語性)、近代合理主義=西洋中心主義的観点によってはリアリティーなきものが、ある種の文化共同体にとってリアリティーがあるとみなされるテーマはこのようなジャンルによって近代文学の不完全性を補足するということが為されていたように思います。SFなども宇宙人や未来旅行などの特殊な設定を設ける事によってのみ描写される問題を言及するという点においては近代文学という制度を成立させるための二義的な要請によって創作されるところのジャンルなのですが、近代化という事に至上の価値を置くならば SFは文学に含まれないということになります。
しかし、今日では文学それ自体がSFを外部的なものとして処理するのでなく、方法論として自らに内在させ、不条理で不確実な現代的問題をより高度な描写で処理するために積極的に利用されています。したがって、今日はボーダーレスな時代とされ、私小説最後の残党とされる車谷長吉のような人が直木賞を受賞し、逆にハードボイルドでバイオレンスな花村萬月のほうが芥川賞を受賞してます。このような状況に対して、安岡章太郎のような老大家は困惑するより他ないようです。非常に簡単ではありますが、SFについては以上のような状況に置かれてあるとご理解ください。ちなみに、私が個人的に推薦するのは荒巻義男であります。(敬称略)
それから今回は、太宰の「お伽草子」についても少しだけ言及しておきます。この作品は太宰の全作品の中で芸術的に最高の傑作であると奥野健男が絶賛していますが、ひとつには青春の文学と評価されがちな太宰作品の中にあって実社会で努力されている生活者にとっても魅力的な作品であるという点も指摘されてあります。太宰はこの作品を書くに当たって、瘤取り、浦島さん、カチカチ山、舌切雀、のあとに桃太郎をもって「お伽草子」を完結させようとしたが、「日本一」の旗を思い浮かべるに及んでこの計画を放棄した、と書いています。4つの物語はいずれも日本一の登場はないので、作者の責任も軽く、自由に書く事が出来た、太閤でさえ言ったじゃないか。「日本一はわしではないと。」と。…
太宰はこのように日本一や代表的人物という事柄にこだわり自分はそれを書くにふさわしい人間ではないと言っているのです。これは私のM&Dの問題とも重複しますが太宰は物語的身体として色事師を演じ、したがって武勇伝の主人公たる桃太郎を創作しないという態度によって自らのキャラクターを明確に打ち出している訳です。次にこれは古い武士道の文献になるんですが「葉隠」という本にこのような一行があります。武勇と小人は、我は日本一と大傲慢にてなければならず。
自ら桃太郎を主体として物語るという超人的私生活を生きた三島由紀夫についてはM&Dでも取り上げますのでお楽しみに。
投稿日 : 99年5月30日(日)19時32分

●色男NO.1(管理人)(90) 題名:色男と豪傑は一心同体少女隊
みなさんこんにちは。私が色男NO.1です。
近々、スタッフCことおねむりパーシー嬢が「白百合忌」に参加すべく東京に参ります。 あの、地元人よりも三鷹に詳しいパーシーを生で拝む事が出来るんですよ。 お暇な方はぜひパーシー嬢に連絡して、今年で最後という白百合忌に合流してみましょう。 きっと、パーシー嬢は快く皆さんを迎え入れ、三鷹及び山崎富栄についての熱弁をふるい、皆様に忘れ得ぬ思い出の一日をプレゼントする事と思います。
(^o^)さん、当HPの看板を下さって本当に有難うございました。そして、^/^さん、「名作ナビ」の御投稿有難うございました。皆様に楽しんで頂けるHPとなるようにこれからも他のスタッフ共々努力する所存であります。
§^。^§さん、いつも当HPを御愛読頂きまして、有難うございます。
M&Dはまことに個人的な話になるんですけども、私の自宅より徒歩8分程度のところにトンカツレストM&Dというお店がありまして、その店名を勝手に拝借している次第なのです。このお店がM&Dである以上、私の胸中でもこれは何としても動かしがたく、M&Dで定着してしまっているのです。それこそ、M&D法改正なるか?という次元の問題な訳ですね。(笑)ということで、トム&ジェリー、仲良く喧嘩しな、という風に解釈ください。これからも、M&Dをよろしくね。
これまで、私のお勧め本として「君は長嶋茂雄と死ねるか!」(テリー伊藤著、主婦の友社刊)と「中央線の呪い」(三善里沙子著、扶桑社文庫刊)をご紹介しましたが、皆さん、もうお読みになりましたか。生きている宮本武蔵である長嶋茂雄の巨人軍は現在も下位を低迷、果たして、テリー氏は切腹しなければならぬのか?長嶋巨人よ頑張れ、テリー氏のために。中央線の呪いに関しては三鷹でパーシー嬢と大いに語り合ってください。
テリー氏の著作については太宰の「花吹雪」を併読される事をお勧めし、前回は「お伽草紙」の桃太郎創作放棄についてのいきさつについてお話しましたが、太宰は「日本一」「代表的人物」などの観念から一つのキャラクターを構築し、それとの比較において自己を語るというパターンがしばしば見られます。時に具体的な固有名をも動員してヒーロー像をある典型にまで高めていますが、スタイルこそ違え、根底においては自らもヒーローと同一物であるという記述を忘れていません。一例として、以下「デカダン抗議」という太宰の文章からの引用をご覧下さい。
…………一人の遊蕩の子を描写して在るゆえを以って、その小説を、デカダン小説と呼ぶのは、当たるまいと思う。私は何時でも、謂わば、理想小説を書いてきたつもりなのである。(略)私の理想は、ドン・キホーテのそれに比べて、実に高邁でない。私は破邪の剣を振って悪者と格闘するよりは、頬の赤い村娘を欺いて一夜寝る事の方を好むのである。(略)私は、この好色の理想を、仮に名づけて、「ロマンチシズム」と呼んでいる。…………
これは要するに私(色男NO.1)と豪傑NO.1氏とは別人でありますが、その「ロマンチシズム」という理想において同一性が認められる、というような意味ですね。ですから、太宰の作品「ロマネスク」作中における登場人物、仙術太郎と喧嘩次郎兵衛にも同一性が認められる訳です。今回はこれぐらいで。
それではみなさん、桜桃忌でよい出会いを。
投稿日 : 99年6月5日(土)20時22分

●夏休みは読書のチャンス(教育の国への寄稿)
投稿者:色男NO.1 投稿日:08月07日(土)21時45分
角川文庫夏のフェアの150冊に三島由紀夫の「不道徳教育講座」が含まれています。面白いから一度読んでみてね。

● スタッフAこと色男NO.1
題名:セクシーな男、それは私 投稿日 : 1999年8月7日(土)22時03分
皆様、お久しぶりです。私がスタッフAこと色男NO.1です。女漁り旅行、芳しい成果得られず傷心の結果。しかし、夏はまだ終わらない、そこの可愛い君、会えるといいね。無粋な豪傑は男どもとつるんで山岳修行、夏はもっと色っぽくいきたいものだねぇ。とても懐かしいCMの話。確かフランスベッドだったと思うのですがベッドの中に美しい女性(プリシラ・プレスリー、つまりエルビスの元夫人)が横たわっており、それを見つめる世界のスター三船敏郎がいかにも威厳ある声で「ん〜、寝てみたい。」とつぶやいていた。とてもゴージャスでセクシーなCMでしたが、どなたか覚えてらっしゃいますか。

●スタッフAこと色男NO.1(10) 題名:宇宙の神秘と深淵
皆様、お久しぶりです。私が当文学の国管理人色男NO.1です。女漁り旅行から帰ってみると掲示板が新しくなっていたので驚きました。全く、WEB担当のパーシーには世話になりっぱなしです。そもそも、パーシー以外のスタッフはPCに関する知識は皆無に等しく、恥ずかしながらほとんどパーシーに依存している次第でありまして、何か、コンピュータ技術上での不手際ありましたら心優しき皆様、パーシーにご指導ご鞭撻の程よろしくお願い致します。
ところで、読売新聞に「黒い雨」に関する記事が出ていたので簡単に紹介しておきます。「黒い雨」の下敷きとなった重松日記に続編のあった事が8/2までに分かったとの事、それまで確認されていたのは昭和20年8月6日から13日の分で、玉音放送や工場の用水溝にうなぎの子がさかのぼるシーンは井伏の創作と見られていたが、今回発見された続編にはそれらの記述があり創作説は覆されたということです。井伏の史実に忠実な創作態度が伺えるという説明が新聞にはありました。いわゆる原爆ものとしては大江健三郎の「ヒロシマノート」とともに名作として知られていますが、全く別な切り口から原爆を小説化した傑作に三島の「美しい星」があります。これは反戦という観念に基づかないSFスタイルの作品で終末論と人類の審判という大問題を作中人物にディスカッションさせるという日本のこれまでの純文学には全く見られないような思想小説です。この作品執筆にあたっては面白いエピソードがあり空飛ぶ円盤の観測サークルに三島自身が参加し本人がほとんど宇宙人と化していたという話、あるいは六本木のイタリアンレストラン「キャンティ」にてロカビリー歌手のミッキーカーチスに説明されて初めてUFOの存在を知ったという話、嘘か誠か三島は話題に事欠きません。70年代にはピンクレディの「UFO」という大ヒット曲がありましたが、♪地球の男に飽きたところよ〜ん、ア〜ンという人類決別宣言とも取れる絶叫が日本中に聞こえていました。
「キャンティ」については幻冬舎文庫から「キャンティ物語」が出ていますので、ぜひご一読ください。1999年7の月に三島由紀夫文学館がオープン、恐怖の大王は「別のもの」に凌駕されてしまったのかもしれませんね。(?)
投稿日 : 99年8月7日(土)22時51分

●スタッフAこと色男NO.1(64) 題名:美 俺の宿命
こんにちは、みなさま。私が色男NO.1です。
今日、お昼のあるTV番組をたまたま見ていると、世間ではキムタクはワキガが臭いという噂がかなりな範囲で流布しているらしく、臭いをごまかすために刺激の強い香水をふりかけているとか、一度使った衣装は臭くて使えないのでスタッフが始末しているというもので、これに関して芸能レポーター井上公造氏以下数名のゲストがガセネタであると発言し、どの角度から見ても完璧なので欠点を見つけたくなるのでしょうねなどとコメントする人もいました。この手の偶像破壊の衝動に関してはいかなる社会体制も癒しがたく、あまたの美と成功の体現者が祝祭の犠牲とされてきた事はだれしも知る通りです。戦後民主主義と嫉妬についての考察は心理学者岸田秀氏の著書「嫉妬の時代」などお読みになればいいかと思われます。みなさんは傷つけたくなるほど美しい、この偶像を破壊しなければ真の自由は得られない、など考えた事はありますか?著名人のプライバシーは有名税などといって省みられない事が多々ありますが、噂というのは怖いものですね。
投稿日 : 99年8月15日(日)17時19分

●スタッフAこと色男NO.1(18) 題名:古きよき時代の酒の追憶
みなさん、こんにちは。私が色男NO.1です。
最近、私どものHPで話題となっている「夜の文壇博物誌」をもうお読みになった方はいらっしゃいますか?この本は噂の真相最新号にも取り上げられ、芸能人乱交パーティーの件の陰に隠れている形にはなっていますが、戦後文壇の裏面史を知る上では貴重な資料になっているかと思われます。著者の大塚英子さんは吉行淳之介の愛人であり銀座の文壇バー「ゴードン」を退職後、吉行の最期を看取るまでの長きにわたって2人だけの愛の部屋での生活を持っていたということです。吉行の代表作「暗室」は彼女との交渉が作品に大きな影響を与えており、この作品で谷崎潤一郎賞を受賞しています。谷崎賞といえば遠藤周作は「沈黙」、大江健三郎は「万延元年のフットボール」とそれぞれが代表作での受賞となっているのが興味をひきます。吉行の「暗室」が刊行されたのが昭和45年であり、大塚英子さんがゴードンを退職なさったのが昭和45年3月ということでこの頃は銀座もちょうど花盛りのピークにあったという事ですね。ゴードンの常連客としては安部公房、黛敏郎、勝新太郎、それから丸谷才一氏など六本木の「キャンティ」の常連でもあった人々がいて、作家や芸能人等の人物相関図は大変に興味深いものです。先日、加賀まり子さんが警察から薬物反応の検査を受けた一件がありましたが、その時に逮捕された車に同乗していたという男性がキャンティの現オーナーの兄に当たる人で、芸能プロデューサーとして松任谷由実、YMO、山下達郎などを世に送り出した人でもあります。ユーミンの曲の中に出てくる学校らしき風景はキャンティのスケッチなんですね。
今、文壇は死語というかつてのようなサロンもなく同業者の交流の場所もあまりないという事です。若手評論家の福田和也氏などは文壇復活を提唱して人脈作りに奔走しているそうですが、それが、ある人々から見れば政治的にもみえるそうで、昔の作家や芸能人の酒豪伝説など絶えて久しく退屈のような気もします。文壇バーについてのおもしろいエピソードなどお持ちの方、何か書き込んで頂ければありがたく思います。
投稿日 : 99年8月29日(日)17時27分

●スタッフAこと色男NO.1(26) 題名:さっちゃん今昔物語
今晩は、私が色男NO.1です。
最近、一部の有識者の間では当HPのWEB担当のパーシーが平成のスタコラさっちゃんとの評価を頂いているようで、本人共々、皆様の熱い御支持を大変感謝しております。山崎富栄という女性は悪女と見られたり否定的な存在とされる事が多かったのですが、長篠康一郎氏のような研究者によって彼女の名誉回復が為されるという今日までの評価の様々な変容があったことは、ファンの皆様方でしたら十分ご理解しておられる事と思います。本日発売の「週刊ポスト」をもうご覧になった方もいらっしゃるとおもいますが、ペルソナ三島由紀夫伝やマガジン青春譜でおなじみの猪瀬直樹氏が今度はピカレスクという大型新連載で太宰治の自殺の謎に迫るという事です。初回の最新号では猪瀬氏が生前の太宰と交流のあった野平健一夫妻や林聖子氏との座談会が掲載されています。現段階では何とも言えませんが、当時人気絶頂であった太宰(昭和24年度の所得は100万円、当時の文壇長者番付一位の吉川英治が250万円であったというから相当なものです。)がなぜに自殺せねばならなかったのかという疑惑から改めて他殺の可能性を検証するというニュアンスが感じられました。富栄悪女説再燃か?年内いっぱい引きずるだろうと思われるサッチー騒動はマスメディアを動員した馬鹿馬鹿しい前触れだったのでしょうか。座談会にも登場の林聖子氏の父は大杉栄の肖像画を書いた画家だったそうですが、あの大杉栄と伊藤野枝のように極秘の暗殺計画が実行され、富栄はその犯人にされてしまったのでしょうか。そういえば別の雑誌で尾崎豊の遺体写真などが掲載され集団リンチ事件であった事の可能性を検証した記事があったように思います。これから、一体、何が語られようとしているのでしょうか。
話は変わりますが、現在、講談社+α文庫から配本中の「歴史劇画 大宰相」の第4巻には三島が出ています。漫画キャラになった三島をご覧になりたい方はぜひ御一読をお勧めします。漫画はゴルゴ13でおなじみのさいとう、たかを氏です。ゴルゴ13の顔は三島にそっくりですね。血液型も共にA型。さいとう氏は陸軍中野学校があった中央沿線の中野に在住との事です。
投稿日 : 99年9月12日(日)20時11分

●スタッフAこと色男NO.1(33)題名:黒澤明&パーシー情報
こんばんは、私が色男NO.1です。
映画の国では「昭和史の語り部 黒澤明」がUPされましたので、是非御一読くださいませ。
(^o^)丿さん
はじめまして。パーシーと仲良くしてくださっているようで本当に有難うございます。今後とも、ごひいきにお願いします。(^_^)さんのHPは私もたびたび拝見させて頂いてます。とても素晴らしいHPですよね。私どもも文学の国コンテンツ「M&D あなたならどっち?」で三島由紀夫を取り上げる予定になってます。旅行の国の「宇治・東山通信」も私の多忙ゆえになかなか公開できませんが気長にお待ちください。パーシーは源氏物語も好きなようなので、その方面の書き込みは大歓迎です。
この文学の国掲示板では、いろいろな作家について書き込み自由となっております。文学を通じて皆様に有意義な時間を過ごして頂けるよう我々は微力ながら応援させて頂くつもりでいます。また、WEB担当のおねむりパーシー立ち会いのもとでのオフ会等も今後計画していますので、興味のあるお方はどしどしお声をかけてくださいね。ちなみにパーシーの上鷹情報は10/12(火)〜14(木)です。PARADISE名物パーシーを一目ご覧になりたい方はぜひ上鷹記念オフ会に参加申し込みくださいませ。
投稿日 : 99年10月3日(日)19時57分

●色男NO.1(87) 題名:キャンディーズからSPEEDへ
みなさまこんばんは。私が色男NO.1です。
§^。^§さん、(^o^)さん、私の黒澤明論を読んでくださって有難うございます。
黒澤も村上春樹も続編を用意しておりますので気長にお待ちください。
ところで、あのSPEEDが解散宣言しましたね。デビューより4年ほどの活動期間になるそうですが、ある意味日本の歌謡界の頂点を極め、無名からメジャーになるという4人共通の目的は達せられ、後は各々の方向性によって進むより他ない状況になっていたのは、ファンの皆様ならあるいはお気づきになっていた事なのかもしれません。とにかく、若くてダンスが出来る、メインボーカルの島袋寛子は歌唱力がある、とセールスポイントはいくつも考えられますが、メンバーの一人上原多香子は女優志願者になり、しかも人気は4人中最も高くなったようで、寛子的には不満が募る、というメンバー4人の自我の拡大が結束を不可能なものにしてしまったというのが真相のようです。解散を来年の3月という事でXデーを設け、カウントダウンでもう一儲けというのは事務所の方針のようですが、この図式には実は前例があります。70年代におけるキャンディーズがそうですね。キャンディーズも芸能界のスターシステムに基づいた操り人形さながらの状態に不満が募り、グループ末期には、蘭ちゃんの告白によるとファンの他のメンバーへの声援に苛立ちを覚え、キャンディーズは私なのよという思いをぶちまけたいほどだったといいます。そして、解散宣言後の最後のシングル「微笑み返し」は最高の売り上げを記録し、後楽園球場でのラストコンサートも史上希に見る成功を見せ、山口百恵の引退結婚神話にも少なからぬ影響を与えたという事です。SPEEDにはまた沖縄のグループという側面もあります。来年お目見えになる2000年紙幣にも沖縄の首里城守礼門が印刷されますが、72年沖縄返還という歴史的出来事に付随するように南沙織やフィンガーファイブという沖縄出身のグループが活躍していました。南沙織は後に篠山紀信と結婚して引退、フィンガーファイブも音楽性に目覚めたところから事務所の方針と折り合いがつかず解散という事になってしまいました。この和製ジャクソンファイブはマイケル・ジャクソンを生み出す事は出来なかったのです。70年代に90年代が反復しています。まるで80年代バブル景気などなかったかのように。
投稿日 : 99年10月11日(月)19時36分

●色男NO.1(43) 題名:文学とオカルティズムについて
みなさま、こんばんは。私が色男NO.1です。
今回は、鴎外の「寒山拾得」と太宰の「女神」について、少しだけ書いておこうかと思います。まず、太宰は気質上の相違があるにもかかわらず、鴎外の文学を尊敬していました。太宰自身は、これもまた寄席好きのユーモア文学の大家ともいうべき漱石の系譜にも連なる要素を有しながらも、ゲルマン的なシリアスな佇まいの鴎外に対して、自作でも何度も憧れを語って、躊躇しませんでした。二葉亭四迷は「文学は男子一生の仕事にあらず」といいましたが、鴎外も文学的人生のみで内面的満足を得られるような人物ではなかったのです。鴎外はロゴスの限界にたいして常に脱出の欲望を持っていました。明治後期には超能力等のオカルトブームが見られたのですが、そういった風潮にあって、知識人である鴎外は懐疑的なスタンスを取りながらも、「自然主義にあらずんば文学にあらず」といった当時の科学礼讃の文壇主流に対しては論争を挑まずにはいられないという思いも捨て去る訳にはいかなかったのでした。鴎外はこのような神秘的問題を語る事の不毛、言説の不完全性といったテーマを「寒山拾得」で扱った訳です。この物語には寒山と拾得という乞食が出てきますが、その実体は文殊菩薩と普賢菩薩であるという秘密が明かされているのですが、その「附寒山拾得縁起」において鴎外は子どもに物語を説明してやるのですが、子どもは一向に理解しない、ついには当時のオカルティスト(現在の新々宗教の教祖の如き人物であったのでしょう)まで引き合いに出して、「実はパパァも文殊なのだが、まだ誰も拝みに来ないのだよ。」というところで終わっています。信仰というのは、自らの内部に信じなければ私という存在はあり得ないという必然性がなければ、到達も出来ないのですが、ここでは信仰を持たない者に言葉だけで理解させようとする矛盾を露呈させるという事が、なされています。つまり、ロゴスの限界を実証してみせる為に、言語による構築を試みようとしている。鴎外にとって、乃木大将夫妻の殉死が大事件であったのは、「人間が神となるところの最高の神秘」を垣間見てしまった以上、もう自分は虚構し得ないのだと諦観させるものだったからです。
「寒山拾得」でずいぶん長く書いてしまったので、「女神」については次回までのお楽しみという事にさせていただこうと思います。
投稿日 : 99年10月30日(土)20時06分

●ディズニーランド大好き 色男NO.1 1999年11月13日 17時20分
(^_^メ)さんの「日本的」と「日本精神」の違いについての考察を面白く読みました。と色男NO.1の口述筆記をするのはパーシー。
続いて色男が語るところによると、いわゆる親日家といわれる一群の外国人がいますよね。彼らはジャポネスクなる日本趣味の様式美を愛でる観察者であって、自ら日本精神を体現するところの存在ではありません。黒澤明という人物はむしろ彼らのポジションに近いところで万博における日本パビリオンを建設しているかのごとく文化使節として海外マーケットを開拓する尖兵の一人としての側面もあったと思います。では、日本精神それ自体であるところの三島が海外輸出向けの商品つまりメイドインジャパンをどのように思ったかという事についてですが、三島は大のディズニーランドのファンでありました。海外向け模造文化を面白いと思える完成の持ち主だった三島にしてみれば「日本的」なるものを否定する理由も見つからないと思われます。

● 色男NO.1(51) 題名:「私」とは「他者と関係する私」
投稿日 : 99年11月13日(土)22時22分
こんばんは。私が色男NO.1です。
(^o^)さん、§^。^§さん、(^_^)さん、御入国ありがとうございます。
以下、太宰の文章を少し引用します。
……・余談 ここには、「鴎外と漱石」という題にて、鴎外の作品、なかなか正当に評価せられざるに反し、俗中の俗、夏目漱石の全集、いよいよ華やかなる世情、涙出ずるほどくやしく思い、参考のノートや本を調べたけれども、「僕輩」の気折れしてものにならず。

「もの思う葦」(新潮文庫)より引用

太宰には憧憬の対象としての鴎外、芥川ラインというものがあり、「形」こそ違えども、彼らと同様のロマン主義者である(晩年の鴎外はロマン主義とは言い難いが)という思いが見出されます。
前回の書き込みで扱った「寒山拾得」に続いて、太宰とオカルティズムについて考察してみる事にしましょう。テキストは「女神」という昭和22年の作品にします。同作品では璽光尊という実在する固有名をテキスト内部に取り込む事で、社会的にも話題となった出来事と語り手たる作者の身辺との構造的類似性が提示されますが、語り手(作者)はその構造的類似性に違和感を覚えて、その外部にあろうとします。ストーリーを少し補足しますと、璽光尊という女性は69連勝の双葉山と棋聖呉清源を信奉者として、皇族の名を語るなどして布教した訳ですが、「女神」の語り手のところにも古い知人が来訪して愚にも着かない妄想を話しだし、自分の妻は女神であなたと私は彼女の子どもで兄弟だと主張、語り手の主人公は当然、そんな話は信じられないばかりではなく、この知人の事を気の毒にさえ思う訳です。ちょうど、「寒山拾得」の物語を鴎外に説明されても理解できない子どもと同位置にあると思われます。
ところが、この作品にはオチがあって、旧友が帰った後に語り手が自分の妻にその話をしてやると、意外にも妻は全く違和感を覚えず、「(女神なんて言われて、大事にされて、私だって女神にされたら)わるくないわ。」というのです。太宰は神秘現象を許容する妻を描いて、日本文壇に伝統的な「私小説」的装置を強化している、つまり、日常さえも小説化される為の前提として生きる事で、小説を可能とする為の題材としての日常を無頼しなければならなかったのです。私小説は必然的に、日常生活する「私」と関係する他者をも、題材化(あるいはモデル化)してしまうものであり、リアルな太宰夫人とは別人のような、しかし、結果として太宰の無頼を許容する妻として、テキスト内部への登場を余儀なくされているのです。日本文壇の主流とみなされて長らく権威であった私小説は、いわゆる「小説」のグローバル・スタンダードではありません。 「太宰」と「鴎外、芥川ライン」と「私小説」───この三者には複雑な関係が横たわっています。文学史を紐解いてみても、私小説はロマン主義の死(透谷の自殺)の後に、発生しています。ロマン主義者である太宰が私小説を書くという事は、何を意味しているのでしょうか。さて、みなさん、一つ考えてみてください。これは余談ですが、太宰は生前、文学賞には縁遠く、ほとんど唯一といっていい、受賞した文学賞は「北村透谷賞」でした。

●色男NO.1(56) 題名:犬系と猫系について 99年11月22日(月)20時11分
こんばんは。私が色男NO.1です。
^/^さんの書き込み、大変面白く読ませて頂きました。^/^さんが鴎外、芥川、太宰という「犬」系の作家の流れを発見されたように私もずいぶん以前に「猫」系の作家の流れを発見したことがあります。すなわち、漱石、谷崎、三島がそれに該当するものです。この猫系の作家には面白い共通項が二つあり、まず東京出身で都会的なセンスの作風を持つ事、それから私小説の類はこれを極力筆を執らず、「話」の面白さを中編ないし長編小説に構築し得たこと、この二つです。芥川は晩年自らの芸術至上主義に懐疑を抱き谷崎との論争上で私小説の勝利を宣言するようなことをしています。鴎外も大正期にはフィクションをもはや心よしとせず、史伝物をライフワークとしたように、「知性派」の自滅が棚ボタ式に「私小説」(^/^さんの説に従えば野生による作物)の文壇権力を強化する事に貢献した訳ですね。太宰としてはそのような「私小説陣営」(文壇政治)に反旗を翻したようなところがあります。谷崎はむしろ昭和に入ってから文豪とみなされるようになった作家でした。あるいはかつての鴎外に見られるような超人伝説は戦後の三島において再現されているのです。

●悪趣味について 色男NO.1 1999年12月19日 18:00 色男NO.1かく語りき
皆様、書き込みありがとうございます。
乱歩の「パノラマ島奇談」にしても谷崎の「金色の死」にしても、一種のユートピア小説なのであるが、そこに描かれた人工楽園、──地上の楽園としての美の国、夢の国としての理想郷──それは渋沢龍彦によると浅草の花屋敷を思わせるような俗悪ぶりであると言います。また、三島は「金色の死」の理想郷の描写から、世界最高の俗悪美の展示場というべき、香港のあのタイガー・バーム・ガーデンを想起したと言っています。
ところで、三島ファッションは世紀末デカダンスの実践であったのでしょうか。あの独特の長揉み上げはいただけないと三島の父君、梓までもが「伜 三島由紀夫」の中に書いています。人々をびっくりさせる事が好きな三島は自分には無意識はないというように、全てが意味ありげなメッセージに満ちていて、様々な暗号解読はジグソーパズルめいていて面白いですね。最終的に完成された三島パズルには下でも出したお茶目な三島涅槃像でも現れるのでしょうか。

●色男NO.1(120) 題名:あなたが好き、きっと言える
皆様、今晩は、私が色男NO.1です。
冬の女王といえばユーミンですが、「時をかける少女」「私をスキーに連れてって」の映画はご覧になりましたか。白銀の世界におけるピュア・ラブというユーミンワールドが遺憾なく描かれています。椎名林檎の「幸福論」はパーシーのオキニの一曲でもありますが、この曲はユーミンの人と音楽を林檎バージョンに仕立て直したものです。椎名林檎はユーミンのトリビュートアルバム「DEAR YUMING」にも70年代荒井由実時代の名曲「翳りゆく部屋」で参加しています。
ユーミンをして、『あの日に帰りたい』と言わしめる青春のシンボルとは誰か?  
ユーミンの最初で最後の恋人は避暑地で出会ったYOU ARE MY sunsine、あるいはいつでも強がる姿が好きな三島由紀夫その人だ。写真でしか知らないから面識はないけど、六本木のキャンティで一番の遊び人、二度と戻ることのない素敵なグループのパトロン的存在。ある日目覚めるとテレビジョンでは宇宙飛行士が月を歩いていて、初恋なくして恋はみな同じ、もう恋は始まらない、輝きは戻らない、今、私が死んでもと思い直して、彼の存在自体をマスコミ等のセンセーショナリズムから守ってあげたいと一念発起、前を行くあなたが素敵なシルエットになるまで、あなたにはぐれずについていけるわと、結婚して、幸せはあなたへの復讐と思ったりもしたが、永すぎた春が終わろうとしているみたいだから、薔薇の封印は解かれるかも知れない。
ユーミンは度々、活字メディアでさりげなく告白している。例えば、「ダ・ヴィンチ」一月号(リクルート社刊)の松任谷由実が選んだ10冊、という記事のP94あたりをしっかりと読まれよ。リ・インカネーションと何度もリフレインしながら、生まれ変わってもあなたを見つけると語っているではないか。
投稿日 : 1999年12月19日(日)22時32分

●色男NO.1(81) 取り急ぎお礼まで
^_^;さん、(^○^)さん、§^。^§さん、(~_~;)さん
ご入国ありがとうございます。私が色男NO.1です。何卒今後ともよろしくお願いします。私自身、大変多忙につき仲々こちらに書き込みに来れませんが、WEB担当のパーシーがほとんど管理人代理となってこの文学の国を盛り立ててくれているので助かっています。また、いずれオフ会などもしたいと考えているのですが、現段階ではどうなることとも知れません。6月以来更新の滞っていたM&Dも近々続編をUPさせますので、お楽しみに。
私の過去の書き込みをもれなく集成した「色男NO.1語録」なるコンテンツも用意しましたのであわせてご愛読いただければと存じます。この後、音楽の国掲示板にも私の書き込みがありますので、もしお時間がありましたらご覧ください。
投稿日 : 99年12月19日(日)21時55分

●色男NO.1(131) 題名:A HAPPY NEW YEAR
こんばんは、私が色男NO.1です。前回に引き続き怒涛のユーミンシリーズ第二弾。
あなたは、ユーミン神話の真相を知ることとなる。ユーミン教とは信仰にまで高められた恋愛至上主義なり。
60年代末期、早熟な音楽少女はG.S.の追っかけで、六本木族が夜な夜な徘徊する飯倉片町は「キャンティ」の最年少の常 連客となり、そこにはあの三島由紀夫の存在のあることを知り、顔を合わせる事はなかったものの、同じ空気を吸える事の感動を覚え、キャンテ ィは彼女の夜間学校となった。15歳にして、愛は突然に訪れた。この当時は「神様」がいて毎日夢を届けてくれたのだった。
しかし「愛」は死んだ。キャンティ、オーナーの長男が「アルファー・レコード」の製作部長となったこともあり、ユーミ ンはY.M.O.、山下達郎、吉田美奈子、ハイファイセットとともに売り出された。返事をもらえるはずもない三島へのファンレターは、ユーミンの 時代とマッチしてセンチメンタルなデビュー曲となり、'73年にはファーストアルバム「ひこうき雲」を出した。19歳というのは、三島由紀夫が 処女創作集「花ざかりの森」を出版したのと同年齢だ。
反戦フォークはプロレタリア文学みたいだし、四畳半フォークは大逆事件後の私小説みたいだ、私は耽美派でいたいから Gパンは履かない、三島は永遠の少年だったから、私は永遠の少女でいこう、音楽の新感覚派はニューミュージックだ。結婚と少女性は両立する かしら、年をとっていく現実は残酷に思えたが、 ダンナさんの苗字は幸いにして松任谷、芸名そのものから私は生まれ変わらねばならない、 少女である自分を私小説風に歌うだけでは限界がある、イニシャルだって三島と同じ、Y.M.になったんだから、存在自体ゴージャスにならなく っちゃ。結婚後最初のアルバム「紅雀」はそんな女心を隠せず、記念碑的にローテンションの作品となったが、♪もっとつらく悲しくさせてね、 私だけにくれる痛みなら〜、と自らの宿命を自覚するのだった。三島由紀夫が死んだのは11月25日だったが、ユーミンも11月末に結婚している。
投稿日 : 2000年1月4日(火)02時45分

●色男NO.1(管理人)(91) 題名:文芸批評についての考えるヒント
こんばんは、みなさん。私が色男NO.1です。
文学の国とは直接関係ないのですが、近日中にグルメの国をUPする運びとなりました。中には、随分お待たせしたファンの 方もいらっしゃると思いますが、この私、色男NO.1が主任シェフとなり、芸術の域にまで高められた食文化というものを腕によりをかけて皆様に ご賞味頂こうと考えております。さてはお楽しみという事で。
(>_<)さん、当文学の国掲示板へようこそおいでになられました。今後ともよろしくお願い致します。戦後知識人としての 三島、あるいは戦後知識人と三島という事で文章をお書きになるという事ですが、これは随分大問題で、調理方法もなんパターンも考えられるも のですね。どれくらいの長さのものにまとめられるのか分かりませんので、適切なアドバイスになるのかどうか分かりませんが、とりあえず、 「戦後」という概念を明確にし、その戦後の価値体系に戦後知識人がいかなる立場で発言したか、という本質論で書くとなるとかなりの枚数を要 すると思われますので、短文で気の利いたポイントを押さえて読者を吊り上げようと思われるのでしたら、誰か一人、適当な戦後知識人を選んで 三島と比較検討する事で両者の差異、あるいは共通項を浮き彫りにするというのが無難でしょうね。似たようなテーマを扱った両者の作品を一つ ずつピックアップしてテクスト論に終始させ、問題処理の方法を探り出し、それが戦後知識人に固有のものであるか、「戦後」の価値体系に対 しての批判を内包するものであるかを明らかにさせれば、よりシンプルな文章になると思われます。まず、よく言われることは戦中の三島は日本 浪漫派の周辺にいたこと、そして、戦後には野間宏や埴谷雄高らと共に「近代文学」の同人になっている事、この二点から三島と戦後知識人か らの距離を測定するのがいいでしょうね。「近代文学」は近代的自我の再建をスローガンに掲げている訳で、いわゆる戦争体験を通して人間性 の本質を追求しようとする共通のテーマが見られますが、「新日本文学」のような党派性はありません。三島の文学的交友という点においても、 昭和20年代には「鉢の木会」という文化サロンに所属し、フランス文学者などの文芸評論家との交友が三島の批評家的才能を洗練もするのです が、例の安保闘争前後あたりから「鉢の木会」は自然消滅してしまいます。この辺の事情を詳しく調べて人物群像を生き生きと描写すれば、戦 後文壇史の面白い読み物ともなりましょう。世代論で考えれば、第一次第二次戦後派は大体太宰治と同年代ぐらいの人が多く、三島自身は反政 治主義的な第三の新人とほぼ同世代であるという点は注目に値するし、早熟な三島が随分年上の年代の人と同時期に仕事しなければいけなかっ た事情も少なからずあるでしょう。三島を近代の超克やポストモダンとの文脈で論じる人や、大江健三郎のようにあくまで三島は戦後派文学の 一員であると考える立場、蓮實重彦のように小説が下手であるという点において三島は戦後派の作家と言い得る、という文字通りには読めない かなり戦略的な解釈もあります。ですから、(>_<)さんが随分お考えになって悩まれたのも最もな話で、戦後文学の座標軸を作るとして── 例えば、政治的問題性を縦軸に芸術的完成度を横軸に──三島という作家がどの辺に位置付けられるかが論者によって大きく異なり文学史的位 置付けがある程度の定説というものを見出していない点にも、この作家を論じる上での難解さの一員があると思われます。逆に考えればそれだ け料理人の調理方法も自由で、自らのオリジナリティーを発揮しやすい素材であるとも言えます。ご苦労があるかと思われますが、頑張ってく ださい。
文芸批評は必ずしも創作に付随し、補佐するものではなく、批評家自身の人生観を普遍化して問題にするものだ、という のは小林秀雄以来のわが国の伝統でもあります。先行論文など気にせずに大胆な推論で面白い文章をお書きになればと、私のようなものには思 われます。みなさん、文芸批評と言えども文藝ジャンルである以上、完全な詩的要素の駆逐は幻想に過ぎないと断じた上で筆をとればいいわけ です。
投稿日 : 2000年1月16日(日)19時12分

 

●満員御礼 2000年1月23日14時25分 (ヤフー掲示板にて)
こんにちは、私が色男NO.1です。
皆様書き込み有難うございます。大変感謝いたしております。
(^.^)さん、「文藝春秋」2月号から横尾忠則のコメントを引用され、その現代日本における芸術の衰退という悲観的な認 識に対して大いなる期待感を述べておられる事に深く感銘いたしました。私自身、常に現在に密接に関与する事で過去の遺産を風化させること なく継承したいと考えますので、本当に勇気付けられる思いがしました。
^/^さん、私も全く同感であります。三島の文学は母子密着のたおやめぶりの文学であります。元来が官僚制に相容れぬ美 意識の持ち主なんですね。「絹と明察」における父の問題は天皇の問題であります。
(__)さん、死体の偏愛が「死は美に通じる」という金色の死に近い思想であるのかという事ですが、「ナルシシズム論」 で三島はナルシズムは男性に特有の精神的傾向であり、女性には見られないものであるとしているように、美との相関関係において、自らが疎 外されているとはどうしても考えられないパーソナリティーを露見させているという意味において、学術論文というよりは三島という天才の謎 を解明する上で病跡学的研究に一資料を提供するものであると言えます。死体の偏愛をネクロフィリアと規定するならば、溺愛する側はむしろ 死体=美から疎外される側にあるものであり、ナルシズムの問題が抜け落ちてしまいます。三島は、自らが死体=美として偏愛される為に「他 者」を必要としたのであり、ある種の人にとって彼の自殺が演劇的装置に満ちたパフォーマンスと映るのも、その為であります。

●色男NO.1(145) 題名:80年代のユーミン
みなさん、こんにちは。私が色男NO.1です。今回で3回目のユーミンシリーズは80年代絶頂期のユーミンがいかに時代にフ ィットしたかについて言及しています。
80年代を歴史的に回顧する作業が今後行われる事となるでしょうが、中でもユーミンは最も重要なキーワードの一つに挙げ られることでしょう。
'76年に結婚するものの、夫のおかげで最強イニシャル「Y.M.」をゲットしたユーミンは村上春樹ばりに1970年を世界の終 わりの始まりと規定し、サザエさんやゴルゴ13よろしく反復の時代に寄り添って年を取らない永遠の少女という名の宇宙人となった。時代のナビ ゲーターとして風俗の表層をキャッチーなトレンドに転換しながら追尾しつつも、音楽する主体はあくまで時のないホテルの住人、少女としての ユーミンである。ブランド名が頻出する歌詞世界はやがて来る80年代を先取りするものであったし、文壇にさえキャンティ族の田中康夫なる派 生商品を生み出すユーミンはもはや時代の寵児であり、かつての三島由紀夫と戦後という黄金時代のパロディとして、「80年代」は空前のバブ ルへと突き進んでいく事となるのは周知の事実に属する。
'78年の「流線形'80」はそのタイトルからも満鉄が世界に誇った最速の蒸気機関、特急あじあ号をイメージさせるが、そ のレトロティック且つスピード感あふれる言語表現は早くも'80を冠して、歌謡曲を旧時代へと置き去りにしていくかのようだ。クルマはあくま で助手席専門のユーミンは'79年「OLIVE」というファッション誌かアメリカンコミックのキャラクターの名前を想起させるタイトルを前面 に押し出す事で、不在の男性、ポパイを強烈にあぶり出してもいる。'80年の「SURF&SNOW」はユーミンシーズンを設定する事で、若者 層をクリスマスイブやバレンタインデー等の各種イベントに動員する機動力となり、華麗なる第二次ブームを見事に演出している。限りなくア クティブな「雪国」の世界へと踊り出して、素敵な彼氏をゲットしたい・・・・・。それまで冬と言うとコタツの中で猫と一緒に丸くなり、餅や らミカンを食っていた人々にさえ、個人消費を大幅にアップさせ、日本国中に恋愛の福音をもたらしたユーミン。その独走はとどまる事を知らな い、かつての三島由紀夫がそうであったように。
一年に一枚のコンセプトアルバムは必ず11月25日前後1ヶ月の間にリリースされ、今は亡き彼へのレクイエムを常に新しい ものへと更新するための聖なる儀式である。
投稿日 : 2000年1月23日(日)16時14分

●色男NO.1(99) 題名:M&Dの西鶴世話物つながり

こんにちは、みなさん。私が色男NO.1です。
はじめまして、(^。^)さん。今後ともよろしくお願いします。
早速ですが、三島について何か面白い本を紹介して欲しいとの事で、それでは例によって、「M&D」の方法論にのっとり、 太宰との比較によって、興味ある項目を少しばかり指摘しておくことにします。昭和19年と言えば、天才少年三島の最初の本が出版された年です が、では、この年に太宰がなにを書いたかと言えば、「津軽」を出版し、「新釈諸国噺」を執筆(出版は翌年)したりしていたのです。この「諸 国噺」は太宰自身が凡例で記すとおり西鶴の翻案物なのですが、とにかく西鶴を褒めちぎっては世界で一番偉いとまで言い、その一方で、古典 の現代訳なんて意味がない、好色物は好きでないなどとしていて、谷崎源氏や戦時下の言論統制のエピソードなど想起されて、凡例の最後まで 通読すると、「昭和聖代の日本の作家に与えられた義務と信じ、」等の文章から,銃後の生活も大変だ、と色々行間に書いてない事まで読めて しまう訳です。「惜別」もそうですが、中期の太宰は題材選びに慎重で、やはり憲兵政治がいかに恐ろしいものだったか推して知るべし、といっ た感じです。ところで、この「諸国噺」ですが、十二本の短編が入っていて、大力というのが本朝二十不孝から選ばれてあるのですが、これは 西鶴45歳の作とあり、その物語に及んでは、あの「ロマネスク」で書かれた喧嘩次郎兵衛が不道徳ゆえに懲らしめられるといった教訓話で、文 体などなるほど太宰調で面白いのですが、やはり、今ひとつの不満が残るのは否めません。遊興戒でも大力と同様に私のような色男(笑)が遊び の報いで落ちぶれて、昔の遊び友達もそれを見ては白けてしまって、もはや遊ぶ事も出来ぬ、といった筋なのですが、これなどもやはり「ロマ ネスク」の仙術太郎、即ち太宰は道徳的な日本臣民の反面教師だよ、事のついでに言っておきますと、この遊興戒は「西鶴置土産」、没年の作 品なんですね。これは笑えないものがあります。それでは、天才少年三島は西鶴を使って何か書いたものがあるのかというと、今読んでも素晴ら しく面白い「不道徳教育講座」が西鶴の「本朝二十不孝」のパロディーとしてあるのです。「西鶴諸国咄」「本朝二十不孝」共に説話物で、M& Dは西鶴説話物つながりなんですね。
ちなみに三島は、西鶴の全作品の中で詩的絶頂と言えるのは、武家物の「男色大鑑」であると言っています。三島ビギナー の方には、小説ではありませんが、とにかく理屈抜きに面白い「不道徳教育講座」をお薦めします。これを読んで、よく知らないんだけど、三島 と言えばアレかな、という固定観念を一度解体してしまうとよいでしょう。
太宰研究の世界で知らぬ者はいない文芸批評家奥野健男は、実は三島と大の仲良しだったのです。食わず嫌いは文学もグ ルメ同様、世界観を箱庭式に限定してしまって、もったいないですよね。こいつを一度、食ってしまおうという好奇心があなたを未知なる世界へ と誘ってくれるのです。
投稿日 : 2000年1月30日(日)17時50分

●色男NO.1(114) 題名:「天国に結ぶ恋」を超えて

こんばんは、私が久しぶりで自らの管理する掲示板へ帰ってきた色男NO.1です。みなさま、大変ご無沙汰しております。 私は、最近、ユーミンファンのみなさまと恋愛をテーマに親交を深めており親しい友人も沢山出来て充実した日々を送っています。私のユーミ ンシリーズ第4弾は本来ならば音楽の国掲示板に書き込みするのが妥当かと思われるのですが、豪傑NO.1が管理する映画の国が少し寂しいよう に思えて竹馬の友の私としては、これを支援してやりたく思い、映画の国掲示板に書き込む事にします。よろしければ併せてご覧頂ければより 一層のユーミン通になられること請け合いです。
私のユーミン教布教活動は郷ひろみのゲリラライブのような確信犯的方法を採用しましたので、ユーミンファンの皆さん の反応がいかなるものか多少の不安があったのですが、さすがにユーミンファンは理解力のある方が多く、私の布教活動も「ひょうきん族」の ざんげ室みたいなジョークと受容して頂いたみたいで、大変感謝しています。
(@_@)さん、はじめまして。
三島の「海と夕焼」をお読みになったという事で、この作品はある意味、ユーミン教の奥義を集約するものでもあります ので、これをユーミンと関連づけて何かお感じになったという事に、私も心底驚きました。「海と夕焼」は主人公のキリスト教から仏教に至る 宗教の変遷と奇跡待望の問題が見事に物語化されていますが、ユーミンも少女時代にはキリスト教的感情教育下にあり、三島を聖別の対象とし て自殺さえ考えるのですが、「翳りゆく部屋」にあるように、生きる事となる訳です。魂の不滅、そして生まれ変わりの思想によって自殺の必 要性が無化され、つまりキリストの再臨に自らが遭遇し得るという奇跡待望が「千一夜物語」のように、♪あなたにふられた日から魔法を手に 入れた、と歌われているのです。「リ・インカネーション」や「カトマンドゥ」の世界観、宇宙的スケールの中で、ユーミンのペシミズムは完 全に癒されたのですね。
ユーミンワールドは信仰告白がテーマとしてあり、音楽技術的には様々な変化や発展が見られるユーミンも、テーマの上 では同じ一つの「信仰」を物語り続けており、その辺が口の悪い評論家から「マンネリズム」と批判される部分でもあります。しかし、信仰と いうものはあらゆる発展史観の果てにあるところにジャンプする技術でもあり、そこがユーミンの社会科学や革命幻想にコミットしない理由で もある訳です。遠藤周作も「沈黙」から「深い河」へと同様のコースをたどっている事は注目に値する事と思われます。このようなメカニズムを 了解する事において、初めてユーミンがユーミンである限り、永遠の少女であり続ける理由が理解されるのです。ちなみに「海と夕焼」はアン チ三島で知られる梅原猛も好きな作品であるようです。ユーミンはひたすら時間旅行の旅人と再会できる奇跡を信じ、それをエネルギーに変え て時代のシャーマンであり続けているのです。
投稿日 : 2000年2月20日(日)00時58分

●色男NO.1 題名:ユーミンの分身たち  投稿日 2000年2月20日(日)01時51分

皆さん、私がユーミン教宣教師色男NO.1です。ユーミン教とは信仰にまで高められた恋愛至上主義なり。一度でも恋愛し たことのある人なら誰もが信者になってしまう恐るべき増殖力を秘めた宗教なのです。それでも人はまぶしすぎる真実に信じがたい気持ちがし たり混乱してしまったりする事は多々あります。布教活動にあって、時には「奇跡」を示す必要性を痛感した私は、以下のユーミン自身による「告白」を記します。
 月刊カドカワ1993年1月号総力特集「ルージュの伝言・第二章」
質問「既に他界している人で、一人会えるとしたら誰に会いたいですか?」
答「三島由紀夫」
 ダ・ヴィンチ2000年1月号 松任谷由実「スピリチュアルな10冊」
「なんかもう、質感が好きっていうのがありますね。中でもこの『仮面の告白』にしたのは、三島のヰタ・セクスアリス的なコワ面白さもある から。でも本当に三島がホモセクシャルだったかどうかはどうでもいいの。私、福島次郎の『三島由紀夫剣と寒紅』も読んだけど、巻き込んじ ゃうのはどうかなと思った。作家の個人的な生活はどうでもいい。(略)」
今年は菅野美穂主演の映画「守ってあげたい」も封切られますが、これはそのものズバリ女性自衛官のストーリー。ユー ミンの「ひこうき雲」に収録された「恋のスーパーパラシューター」は三島の自衛隊体験入隊とパラシュート降下を連想させ、♪たった一つの恋 の真上に〜落ちて〜いけた〜ら〜死んで〜も〜いいわぁ〜、とデミ・ムーアの「GIジェーン」さながらのジャンヌダルク風の力強い女性像を描い ています。「ひこうき雲」だって死のイメージが鮮烈にあり、神風特攻隊がピンときます。三島は学徒出陣世代ですから。もう一つおまけ、椎 名林檎のニューシングル「罪と罰」は、ユーミンの「紅雀」収録の「罪と罰」と同名タイトル、内容はぜんぜん違いますが、林檎はビデオクリ ップの中で眉毛を剃り落とし目の周りを真っ黒にメイクして、日本刀を鞘から抜き、自らの愛車メルセデス・ベンツを真二つにしています。彼女 がユーミンの「翳りゆく部屋」をカバーしているのをご存知の方は多いと思います。

●色男NO.1(119) 題名:黒澤明、ユーミン、手塚治虫

こんばんは、みなさん。私がスタッフAこと色男NO.1です。
§^。^§さん、お久しぶりです。M&DをD&Mに変更して欲しいと言う一途な思いはユーミンの恋愛至上主義にも通じる情熱 であるかと思われます。ユーミン大好きの吉本ばななは太宰ファン、柳美里もまた太宰ファンですね。今回、上杉さんが書き込んで下さった手 塚ネタは面白く読ませて頂きました。実は、私も手塚と三島には何かある、前々からにらんでおりまして手塚作品も漫画文庫などを通して何冊 か実際に読んでみました。手塚は負けん気が強いというか優れた表現者に対しては例え後輩であっても激しく嫉妬する人であったというエピソ ードは有名です。自分が一番でなければ我慢できない、誇り高い人なんですね。「火の鳥」は白土三平の「カムイ伝」に対抗して書いたといい ますし、梶原一騎に代表されるスポ根物に対しては露骨に敵意を剥き出しにし、「ゴルゴ13」などの劇画に対抗して「ブラックジャック」を書 いたというエピソードも知られています。
その手塚がある意味最もライバル心を燃やした同時代の天才が三島なんですね。そのことに言及した本がありますので参 考までに紹介しておきます。
 「手塚治虫氏に関する八つの誤解」(長谷川つとむ、中公文庫)
第二章 三島由紀夫とは対蹠的であるという誤解
 著者は、二人の相似形について語り、両者を反時代的生き方を貫いた天才であるとしています。「三島はナルシストといった尋常なものでは なく、ナルシスそのものだった。」
 「手塚治虫─時代と切り結ぶ表現者─」(桜井哲夫、講談社現代新書)
 「一生のライバルとしていたのが作家の三島由紀夫氏。考え方はまるで違うが、三島作品を読むと、なんとなく性格が似ているように感じていたとか。あまり会って話すこともなかったが、ずっと意識していた。」これは、著者が「思い出の手塚治虫先生」から引用している文章の孫引きです。
以上のように、研究者の間ではかなり把握されている事実なんですね。三島は、UFO観測サークルに入っていたのですが一 度もUFOを見た事がなかった。それを嘆いている本人に手塚は嬉々として僕はUFOを見た事がありますよと自慢したそうです。手塚治虫は少年の ような人だったんですね。ちなみに、吉本ばななは手塚よりも藤子不二雄の方が好きであるという事です。
投稿日 : 2000年3月5日(日)06時34分

● 色男NO.1(167) 題名:ユーミンと中島みゆき

^_^;さん、)^o^(さん、はじめまして。
これからも、どうぞパラダイスをごひいきにお願いします。
楽しい話題大歓迎です。皆様、私がユーミン教宣教師こと色男NO.1です。ユーミン教とは信仰にまで高められた恋愛至上 主義なり。一度でも恋愛をした事のある人なら誰もが信者になってしまう恐るべき増殖力を秘めた宗教なのです。
ニューミュージックの女王ユーミンの独り勝ちに対して、マスコミの話題作りであったのか、様々なライバルを演出して 業界の活性化に努めんと画策した訳であるが、やはり真にライバルと呼び得るのは中島みゆきをおいて他にはいないだろう。拓郎・陽水がフォー クの一時代を築いた'75年にデビューした中島みゆきは圧倒的存在感で独自の世界を作り出した。
みゆきの場合、音楽的評価はもとより、文学的にさえ評価され、現代詩人と同列の文脈で論評されたりもした。音楽評論 家の田家秀樹は、そんなみゆきに太宰治を重ねている。彼女が太宰に対して、どのようなスタンスを取っているか定かではないが、みゆきの言 語感覚、世界観には太宰との類似性が認められるのである。殆ど対極と言いたいほどのユーミンとみゆきは絶妙なコントラストを描いて、時代 を二分していた。
そんな二人は「週刊FM」1982年3月1日号で対談している。当時、みゆきは吉野屋の牛丼に異常に凝っていて、ユニホーム まで着ていて、ユーミンに衝撃を与えたという。長靴まで揃えているコスプレぶりにユーミンも見習って、必死に考えて、自分はミスター・ドー ナツでいこうと結論した。
♪冷えだした手のひらで包んでる紙コップはドーナッツ屋のうすいコーヒー、二人は半分ふざけながら対談を楽しんでい るが、案外、二人の個性がよく現れているエピソード足り得ているのが興味深い。
氷室京介がかつてユーミンを新しい時代における美空ひばりと例えた事があったが、みゆきはと言えば、太宰の同時代人 淡谷のり子であろうか。現代のカリスマ椎名林檎を言語表現の才能に関しては、みゆき以来の天才と評する声も多い。
(お願い)
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投稿日 : 2000年3月25日(土)19時17分